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頭 七針

 おしぼりを二十五、六枚使ったあたりで、どうにかやっとオッサンの血は止まった。
 「当事者動同士で、しばらく話し合ってみろ。」と言って、所長は部屋を出た。
 ヒゲもじゃのトラック野郎は、その後も相変わらず床に手をつき
頭を下げたり上げたりしながら、何度も何度も謝っていた。
 先刻まで、殺しても足りないほど憎んでいた相手なのだが、その姿を見ていると、オッサンは少々かわいそうに思えてきた。
 それに、オッサンは大学時代、暴走族とのケンカ騒ぎで警察署の留置所に一晩留め置かれた苦い経験があつた。 
警察官というのは、どういうわけでか同じ事を何回も何回も、それも嫌になるほど繰り返し聞くのだ。
 オッサンはその時、「あんたら、馬鹿かっ!」と叫びだしたい気持ちを何度こらえたかわからない。
 警察は大嫌いだ。という記憶は根強く残っており、そんな思いも手伝ってか、結局、単純で思慮が浅く、人間的にもあまいオッサンは示談に応じた。
 ちょうど、会社のビルから見えるほど近くに赤十字病院があったので、トラック野郎を引き連れて行くと、到着して検査後、間もなく手術ということになった。
 とは言っても、切れた頭の皮を七針ほど縫い合わせる簡単なもので、十分程度で直ぐに終わった。
 けれども、傷口は思っていたよりも腫れ上がり(これじゃあ、当分の間、現地での仕事はできないなぁ・・・)と、少し落ち込んだ。
 とても、絆創膏などではごまかせるものではなく、こんな顔ではお客様の前には出られないのである。
 病院の廊下で待っていたトラック野郎は、柄にもなく、心配そうな顔をして、「大丈夫ですか?」などど聞いた。
 (お前のせいだろうがっ!)と、思いつつ多勢の人がいる病院の中なので、「このくらい、大したこともない。」と大見得を切ったが、正直なところ、後になればなるほど傷はズキズキと痛んだ。
 「所長さんに九州の人だと聞きましたが、さすがに、長野県あたりにいる人間とは違うもんですね。やっぱり九州男児っているんですね。」と、オッサンの機嫌を取ろうと思ったのか、さも感心したというようにタメ息まじりに呟いた。
 そして、一切心配せずに自分にまかせてくれと言って、(当然この時、オッサンは保険証など持ってなかったから、トラック野郎は自腹で現金を支払った。)サッサと病院の受付を終え帰りもまた、歩きで会社まで付いてきた。
 社内に入ると所長へと報告をしトラック野郎がこれから自分の会社へ戻って用件を済ませたい。今日中に必ずまた、伺いますからというので、所長とオッサンはしばらく話し合った結果、帰らすことにした。
 このまま、引き留めておいても仕方がないし、住所、氏名、電話番号も当然のこと控えていたし、トラック野郎の言った会社名も聞き、事務の方で本人の確認もとってもらっていたから、逃げようと思っても逃げられるものではないと判断したのである。
 果たして、それから三時間後、トラック野郎は、手土産と、現金の入った封筒を持って現れた。
 意外なことに、その後もトラック野郎は何度か、オッサンの怪我の治り具合を聞きに会社へ来たそうである。
 というのも、その度に面会したのは所長であって、トラック野郎はオッサンとは、それから二度と会うことは無かった。
 自分のことながら、オッサンは面倒くさいことは嫌いだし、謝礼金として十五万円ももらったオッサンは、それで充分納得していたのである。

傷害事件

 「コノヤロウッ!」と相手をつかんだオッサンの白い腕に、ピューッと生暖かく赤い液体が降ってきた。
 このとき、ただでさえ怒りで頭に血が上ったオッサンには、掴んだこのトラック野郎を、ロビーのタイルの床に投げてやろう。それも頭から叩きつけてやろうと考えていたのだが、次から次へとボトボトと落ちてくる自分の赤い鮮血を見て、どういうわけでか冷静さを取りもどした。
 (ここで、コイツを投げて怪我をさせては不味い。このまま会社まで連れて行こう)とそう思ったのである。
 そして、トラック野郎のシャツを掴んでいた腕で相手をヘッドロックをし、そのままエレベーターに乗り込み、相手の頭をエレベーターの壁に押しつけたまま、五階へのボタンを押した。
 「離せーっ、離せーっ」とわめくトラック野郎を無視し、ヘッドロックから裸締めに移行した後、片腕を後ろ手に捻り上げ、関節を極めたまま歩かせ、五階でエレベーターを降りて、会社入口の扉を開けた。
 随分と派手な出社の仕方であり、長野支社始まって以来の珍事件である。
 後から聞いた話では、最初の一瞬、所長はオッサンに対して、何を朝っぱらからプロレスラーのまねして遊んでいるのか?と本当にそう思ったそうだ。
 だが、状況を把握するのに一秒とはかからなかった。
 「どうしたっ!」と叫んだ所長に応えて、オッサンは「この馬鹿野郎が下のロビーで俺に、飲みかけのジュースの缶を投げつけたんです。」と言った。
 そのときのオッサンの姿は、それは、それは異様だったそうである。
 頭から顔にかけて真っ赤な鮮血に染まり、半袖の開襟シャツも半分血だらけ状態だった。
 所長ではないが、まるでブッチャーのセールスマン編である。
 それを会社にいた、ほとんど全員の社員が見ていた。
 ロールプレイングの騒めきはピタッと止まり、重たい空気が流れた。
 先まで、「離せっ!」と叫んでいたトラック野郎も、観念したのか静かになっていた。
 「とにかく、こっちへ連れてこいっ!」と所長に言われ、所長室へと連れ込んで、ドアのフックをカチャンとかけてから、オッサンは両手を離した。
 ソファーに座らせ、逃げられぬようにオッサンはドアの所に立っていた。
 所長はトラック野郎の真向かいに座り、しばらくジーッと相手の顔を見ていたが、開口一番こう言った。
 「いいですか、これは立派な傷害事件ですから、これから警察へ連絡しますので、詳しい事情を隠さずに話していただきます。いいですね。」と。
 すると、トラック野郎は何を思ったか、必死の形相でソファーから床へと這い蹲り頭を床に擦り附けて、
 「申し訳ありませんでした。全て自分が悪いです。弁解する気はもうとう有りません。ただ、警察だけは勘弁して下さい。お願いします。働けなくなります。責任をもって治療費等はお支払いしますので、どうかお許し下さい。」
 それを聞いて、どうするかと問いたげに所長は、オッサンの顔を見た。
 「そこに突っ立てないで、お前もソファーに座れ。」と言った。
 その時、ドアの外からノックの音が聞こえたので、オッサンは直ぐにフックをはずしドアを開けた。
 何かと思ったら、事務の女性が気を利かせたのだろう。おしぼりを三十枚ほど、お盆に山盛りにして持って来てくれたのだった。
 忘れていたが、オッサンの流血は、まだ完全には止まっていなかった。

また事件は起きた

 ひとり暮らしができるようになって、オッサンは会社とアパートの行き帰りを社の車でするようになった。
 アパートには駐車場も付いていたし、責任者の特権として、自分の班で使う車の管理をまかせられるので、家との行き帰りに使うくらいの自由は認められていたのである。
 しかし、幸か不幸か、また事件は起きた。
 ある朝のことである。
 オッサンが普通に赤信号で停車しているときに、いきなり後から大きなクラクションを鳴らされた。
 ルームミラーを見ると、四トントラックの運転手がクラクションを押し続けている。
 とっさにオッサンは、せっかちな運転手が信号の変わるのを待ちきれず、早く発進させろと脅しているのだと理解してわざと、ゆっくり信号が青に変わってから、二、三秒もしてから車を発進させ、すました顔をして会社の駐車場へと向かった。
 トラックの運転手はピッタリと張り付くようにオッサンの車のあとから、駐車場まで付いてきて、オッサンが車から出ると同時にトラックから降りてきて、こう言った。
 「コラッ、お前っ!どういうつもりだ。」
 オッサンはすずしい顔をして応じた。
 「何がですか?」
 「何がじゃないだろう、この青二才がっ!」
 (この男は、四十代のヒゲもじゃで、相撲取りのような体格をした大男である。)
 どうやらオッサンを臆病者だと思ったらしく、それからしばらく好き勝手に悪態をついて、がなりたてた。
 だが、ついにオッサンも堪忍袋の緒が切れて、思わず大声を上げた。
 「ヤカマシイっ!下手にでてれば、つけあがって。かかってくるなら相手になるぞ。かかってコンカァっ!」と自分の鼓膜も破れるかと思うほどの音量で怒鳴っていた。
 するとこのヒゲもじゃオヤジは、目を大きく見開いたまま固まって、黙りこんだ。
 前にも言ったがオッサンの顔は恐いのである。それに声がバカデカイのだ。
 社内でも知られた大声のおかげで、社訓やら社の規約十則など、必ず読み上げる係りはオッサンだった。
 無論、このときは、血気盛んな若者で相手がどれほどデカかろうが、強そうだろうが、負ける気は毛ほどもせず、相手が攻撃してくれば、まずは金的でも蹴り上げて、腕の一本くらいは折ってやろうかという気構えで対していた。
 ただし、少しズルイのが、正当防衛を主張するために、相手から攻撃させる必要がある。
 ところが、このトラック野郎は何を思ったのか、急に背を向けトラックへともどり、そのまま帰っていったのだった。
 オッサンは、しっかりとトラックの居なくなるのを見届け、会社へと向かった。
 そしてこの日は、何事もなく仕事を終え帰宅した。
 問題は次の日である。
 オッサンは、あのトラック野郎が駐車場で待ちかまえてるだろうことを予想していたが、駐車場には居なかった。
 なんだ、あれで終わりかと、思いながら、会社の入っているビルの前までやって来ると、あのトラックオヤジは、エレベーター前の自動ドアの内側で待ちぶせていたのである。
 しつこいバカ野郎がと思いながら、完全無視をするつもりが、つい睨めつけながら、男の前を通り過ぎざま「消えろ、バカ野郎」と、捨てゼリフを吐いて、エレベーターのボタンを押し、男が怒鳴りながらかかってきたと思ったので、応戦しようと振り返った瞬間、このトラック野郎は、卑怯にも飲みかけの、いや、ほとんど中身の入った清涼飲料水の鉄の缶を、一メートルと離れてもいない場所から、オッサンの額へと投げつけたのである。

結婚式

 彼女は、結婚する直前頃には前沢係長をはじめとする長野支社のベスト5に入るトップセールスウーマンに成長していた。
 所長が落胆するのも当然のことなのである。
 どうやら、この式の日にはすでに所長は、彼女が退社するつもりであることを知っていたようである。
 結婚式だというのに、オッサン達と同じテーブル席でタメ息ばかりをくり返す所長には閉口した。
 会社から結婚式に招待されたのも、所長と幼児課の最高責任者が一人で、あとはオッサン達三人だけだった。
 「どういうだけで、お前たちが招待されたのか?」と所長はしきりに不思議がっていた。
 「さあ、どういうわけでしょうかね?」と、とぼけながらもオッサンは結婚後の二人の成行きは充分に予想がついていた。
 というのも、宮川の結婚式からさかのぼること三ヶ月ほど前に、オッサン達三人は、宮川の再三再四の懇願を受けて、宮川の実家へと泊まりがけで遊びに行ったことがある。
 そこは、渋川温楽という武田信玄の隠し湯の一つとしても知られたところで、宮川は昔からその土地で地主として知られている旧家のボンボンだったのである。
 つまり、なんのことはない。高校時代に親の金で高級車を乗り回し、仲間を集めて暴走族を気どっていた金持ちのドラ息子にすぎないのであった。
 確かに家名のある宮大工が造ったという立派なもので門から、玄関までは二十メートルも離れた、家なのか寺なのかわからないような広大な敷地の中にある浮き世ばなれのした建物だった。
 オッサン達にとって、こんな落ち着かない家もないものだが、ご両親がまたバカ丁寧な人達で、宮川が何を言ったのか知らないが二人揃ってオッサン達、若造に向かって、まるでVIPでも来たかのように両手をついてお辞儀をし、「お話は聞いております。いつもお世話になって有難うございます。」と、玄関に入るなり言うものだから、三人ともガチガチに緊張していたものである。
 夜は料亭でもあるまいに、次から次へと見たこともない高級料理が出てくるし、酒はワインの何年物だのウイスキーのへネシーだのナポレオンだの、これでもかという贅沢三昧である。
 翌日、礼を言って帰るときには、地元の名物だとかいうお土産までもらって、がらにもなく三人とも恐縮していた。
 気になったのは、宮川の両親にたいしての言葉遣いや態度である。
 それは、親を親とも思ってもいないような横柄なもので、晩年に授かった一人息子だとは聞いていたが、よっぽど甘やかされて育てられてきたらしいことは一目瞭然だったのだ。
 だから、性格的にも自分の嫁となる女が自分よりも上の役職であって、しかも活躍しているという状態が許せるはずもないのである。
 宮川とはそういう男なのである。
 これは良いとか悪いとかの問題ではなく、あくまで宮川と彼女との二人の中で解決すべきことであるから、所長には気の毒だけれども仕方がない。オッサンは所長に対し、少しの同情は覚えたが関係のないことなので、知らん顔をして済ますことにした。
 話は変わるが、それからまもなくオッサン達三人も、やっと念願だった一人暮らしが出来ることになった。
 宮川が土下座をした夜から、だんだんと三人ともバラバラの行動をとるようにはなっていたのだが、やはり野郎が三人も同じ屋根の下で暮らすというのは、ムサ苦しく落ち着かないものである。佐藤君や久保田君はどうだか分からないが、オッサンにとってはバラ色の日々がめぐってきた気分がした。

できちゃった婚

 彼女にしてみれば、オッサンに対して”いったい何をしに、わざわざ出向いて来たのか”と、文句の一つも言いたかったことだろう。
 断るにしても、もっと言い方もあったかもしれないが、仕方がない。オッサンとはそういう男なのである。
 それに、こういう場合、下手な同情は禁物であり、かえってブッキラボウな物言いの方が、白黒がはっきりするというものである。
 融通のきかぬ頑固なカタブツとはよく言ったものだ。
 自分のアパートへと帰りながら、所長の観察力の鋭さに、つくづく感心していた。
 
 さて、問題はアパートで待ちかまえているであろう三人である。
 もちろん、宮川にとっては決して他人事ではなく、彼女とオッサンとのやり取りを知りたがるのも無理はない。
 しかし、他の二人には何の関係もないのだ。
 ところが、思ったとおりで、二人とも執拗に会話の内容を聞きたがった。
 もっともらしい理屈をこじつけて、ああだこうだと話を引き出そうとしていたが、問答無用とばかり、オッサンは宮川だけを部屋に入れ、他の二人を閉め出した。
 いやらしいもので、しばらく二人は戸口で聞き耳をたてていた。
 宮川に少し待てと、手で合図をし、物音をたてぬようドアに近づくと、オッサンは急にドアを開け放ち怒鳴った。
 「貴様等には関係ないっ!あっちへ行けっ!話を聞いたらただじゃおかんぞっ!」
 実際、自分でも驚いたが、この時は異常なほどの怒りを覚えた。
 その見幕に圧倒されたのだろう、二人は先を争うにようにして二階の自室へと駆け上がった。
 おかしなことに、宮川までもが少し青くなり、シャッチョコ張って正座していた。
 たしか、ついさっきまで胡座をかいていたはずなのだ。
 オッサンは、興味本位で他人のプライベートを知りたがる輩が、虫酸の走るくらい嫌いなので、思わず大声をだしてしまったが、他意はないので、脚でも崩してリラックスしてくれと言ったのだが、宮川は決して脚を崩すこともなく、正座した姿勢のままオッサンの話を聞いていた。
 それから三十分位だろうか、彼女との会話のやり取りを、細かく話した上で、オッサンはつけ加えた。
 「後は、おまえ次第だ。彼女はお前に好意をもっている。これからの誠意の示し方によって、どうにでもなると俺は思う。」
 宮川は、一言も言葉を挟まず、思いつめたように真剣な表情で話を聞いていた。
 「はっきり言っておくが、俺は社内恋愛は嫌いだ。おそらく彼女だろうと、他の者だろうと同じで恋愛感情を抱くことはない。仕事上での同僚であり、ライバルでしかない。社内での禁止事項でもあるはずだ。だから応援もしないし、邪魔もしない。今夜この場で忘れることにするから、そのつもりでいてくれ。」と、話し終えた。
 すると、何を思ったのか宮川は「有難うございます。」と言って、土下座をしたのである。
 大げさなことをするなと言って頭を上げさせると、目を真っ赤に充血させ、どうやら泣いていたようである。
 そうして、今夜は一人で頭を冷やし考え事をしたいので帰ると言って、夜中の十一時過ぎに帰って行った。
 
 それから約一年後に宮川と彼女はめでたく結婚式を挙げた。
 それも、念のいったことに、できちゃった婚である。式の後、産休扱いだった彼女は、そのまま専業主婦となった。
 なげいたのは所長である。