街角に立って歌っていると、とにかくいろんな人達がやってくる。
あれを唄え、これを唄えと、オッサンの歌本をこねくりまわし、さんざんリクエストしたくせにして、いざ唄いはじめると、ワンフレーズも聞かないうちにどっかに消えてしまう、わけの分からない者やら、いつの間にかオッサンの横に来て、まるでバンド仲間でもあるかのように、調子っぱずれな大声をはり上げて唄いだす酔っ払いもいる。
たまだが、興味があるのかないのか、オッサンの唄っている前を何度もうろうろと、往ったり来たりする人もいたりする。
この間なんぞ、五、六回も往ったり来たり繰返し、ようやく決心がついたように恐る恐るリクエストをした奴がいたが、一曲歌うと、次から次へと、とめどもなくリクエストをしだすので、いったい、いつまで続けるつもりかと、言われるまま要望に応えていたら、結局、オッサンが唄い疲れて帰るまで、リクエストをし続けていた。
時間にして、一時間半くらいであるが、こういう奴が一番困る。
なぜなら、オッサンが唄いたい歌ができないからだ。
何度も言ってきたように、オッサンが街角で唄うのは、他人に聞かせることが目的ではなく、あくまでも自分のストレス発散のためなのである。
だからと言って、一応はリクエストにも応えるし、聞いてもらえることは有難いとも思っているのだから、他人を拒否しているわけでもない。
ただし、リクエストはせめて、二、三曲くらいで御勘弁ねがいたい。
これが、正直な本音である。
けれども、この一方でオッサンにとっては、信じられないほどの幸運も起こる。
というのは、オッサンが数曲を唄い終わって、しばらく一休みしようというときに、どこでどうやって聞いていたのか知らないが、オッサンのギターケースへとお金を入れてくれて、「ありがとうございました」と礼までして去って行く人が、ほんのたまにだがいるのである。
おそらくは、その人の思い出の歌を、たまたまオッサンが唄ったのだと思うのだけれど、それにしても、驚くばかりである。
まるで、オッサンの心の中を見透かしてでもいるような感じがして、少々気味が悪いほどである。
こんな事を言ってはバチが当たりそうだが、自己満足で充分であると、ひらきなおって唄っているオッサンとしては、何か申し訳なく思わずにはいられないのである。
たしかに、ギターケースを開けてあるから勘違いをする人もいるのだろうが、オッサンがギターケースの蓋を開いているのは、マッサージの宣伝のためである。蓋の裏側に自分の仕事である、「手もみ屋」マッサージのチラシが貼り付けてあるのだ。
であるから、オッサンの歌を聞いたからといっても、お金など一切いらない。
オッサンはプロの歌い手ではないし、実際それほど上手くもない。文字通りに、ただの歌好きな、ど素人の中年男なのである。
ただ、しかし、「ありがとう」と礼を言って握手をし、お金を入れてくれる人に向かって、「いりません」とは言えないのである。