彼女は、結婚する直前頃には前沢係長をはじめとする長野支社のベスト5に入るトップセールスウーマンに成長していた。
所長が落胆するのも当然のことなのである。
どうやら、この式の日にはすでに所長は、彼女が退社するつもりであることを知っていたようである。
結婚式だというのに、オッサン達と同じテーブル席でタメ息ばかりをくり返す所長には閉口した。
会社から結婚式に招待されたのも、所長と幼児課の最高責任者が一人で、あとはオッサン達三人だけだった。
「どういうだけで、お前たちが招待されたのか?」と所長はしきりに不思議がっていた。
「さあ、どういうわけでしょうかね?」と、とぼけながらもオッサンは結婚後の二人の成行きは充分に予想がついていた。
というのも、宮川の結婚式からさかのぼること三ヶ月ほど前に、オッサン達三人は、宮川の再三再四の懇願を受けて、宮川の実家へと泊まりがけで遊びに行ったことがある。
そこは、渋川温楽という武田信玄の隠し湯の一つとしても知られたところで、宮川は昔からその土地で地主として知られている旧家のボンボンだったのである。
つまり、なんのことはない。高校時代に親の金で高級車を乗り回し、仲間を集めて暴走族を気どっていた金持ちのドラ息子にすぎないのであった。
確かに家名のある宮大工が造ったという立派なもので門から、玄関までは二十メートルも離れた、家なのか寺なのかわからないような広大な敷地の中にある浮き世ばなれのした建物だった。
オッサン達にとって、こんな落ち着かない家もないものだが、ご両親がまたバカ丁寧な人達で、宮川が何を言ったのか知らないが二人揃ってオッサン達、若造に向かって、まるでVIPでも来たかのように両手をついてお辞儀をし、「お話は聞いております。いつもお世話になって有難うございます。」と、玄関に入るなり言うものだから、三人ともガチガチに緊張していたものである。
夜は料亭でもあるまいに、次から次へと見たこともない高級料理が出てくるし、酒はワインの何年物だのウイスキーのへネシーだのナポレオンだの、これでもかという贅沢三昧である。
翌日、礼を言って帰るときには、地元の名物だとかいうお土産までもらって、がらにもなく三人とも恐縮していた。
気になったのは、宮川の両親にたいしての言葉遣いや態度である。
それは、親を親とも思ってもいないような横柄なもので、晩年に授かった一人息子だとは聞いていたが、よっぽど甘やかされて育てられてきたらしいことは一目瞭然だったのだ。
だから、性格的にも自分の嫁となる女が自分よりも上の役職であって、しかも活躍しているという状態が許せるはずもないのである。
宮川とはそういう男なのである。
これは良いとか悪いとかの問題ではなく、あくまで宮川と彼女との二人の中で解決すべきことであるから、所長には気の毒だけれども仕方がない。オッサンは所長に対し、少しの同情は覚えたが関係のないことなので、知らん顔をして済ますことにした。
話は変わるが、それからまもなくオッサン達三人も、やっと念願だった一人暮らしが出来ることになった。
宮川が土下座をした夜から、だんだんと三人ともバラバラの行動をとるようにはなっていたのだが、やはり野郎が三人も同じ屋根の下で暮らすというのは、ムサ苦しく落ち着かないものである。佐藤君や久保田君はどうだか分からないが、オッサンにとってはバラ色の日々がめぐってきた気分がした。