ひとり暮らしができるようになって、オッサンは会社とアパートの行き帰りを社の車でするようになった。
アパートには駐車場も付いていたし、責任者の特権として、自分の班で使う車の管理をまかせられるので、家との行き帰りに使うくらいの自由は認められていたのである。
しかし、幸か不幸か、また事件は起きた。
ある朝のことである。
オッサンが普通に赤信号で停車しているときに、いきなり後から大きなクラクションを鳴らされた。
ルームミラーを見ると、四トントラックの運転手がクラクションを押し続けている。
とっさにオッサンは、せっかちな運転手が信号の変わるのを待ちきれず、早く発進させろと脅しているのだと理解してわざと、ゆっくり信号が青に変わってから、二、三秒もしてから車を発進させ、すました顔をして会社の駐車場へと向かった。
トラックの運転手はピッタリと張り付くようにオッサンの車のあとから、駐車場まで付いてきて、オッサンが車から出ると同時にトラックから降りてきて、こう言った。
「コラッ、お前っ!どういうつもりだ。」
オッサンはすずしい顔をして応じた。
「何がですか?」
「何がじゃないだろう、この青二才がっ!」
(この男は、四十代のヒゲもじゃで、相撲取りのような体格をした大男である。)
どうやらオッサンを臆病者だと思ったらしく、それからしばらく好き勝手に悪態をついて、がなりたてた。
だが、ついにオッサンも堪忍袋の緒が切れて、思わず大声を上げた。
「ヤカマシイっ!下手にでてれば、つけあがって。かかってくるなら相手になるぞ。かかってコンカァっ!」と自分の鼓膜も破れるかと思うほどの音量で怒鳴っていた。
するとこのヒゲもじゃオヤジは、目を大きく見開いたまま固まって、黙りこんだ。
前にも言ったがオッサンの顔は恐いのである。それに声がバカデカイのだ。
社内でも知られた大声のおかげで、社訓やら社の規約十則など、必ず読み上げる係りはオッサンだった。
無論、このときは、血気盛んな若者で相手がどれほどデカかろうが、強そうだろうが、負ける気は毛ほどもせず、相手が攻撃してくれば、まずは金的でも蹴り上げて、腕の一本くらいは折ってやろうかという気構えで対していた。
ただし、少しズルイのが、正当防衛を主張するために、相手から攻撃させる必要がある。
ところが、このトラック野郎は何を思ったのか、急に背を向けトラックへともどり、そのまま帰っていったのだった。
オッサンは、しっかりとトラックの居なくなるのを見届け、会社へと向かった。
そしてこの日は、何事もなく仕事を終え帰宅した。
問題は次の日である。
オッサンは、あのトラック野郎が駐車場で待ちかまえてるだろうことを予想していたが、駐車場には居なかった。
なんだ、あれで終わりかと、思いながら、会社の入っているビルの前までやって来ると、あのトラックオヤジは、エレベーター前の自動ドアの内側で待ちぶせていたのである。
しつこいバカ野郎がと思いながら、完全無視をするつもりが、つい睨めつけながら、男の前を通り過ぎざま「消えろ、バカ野郎」と、捨てゼリフを吐いて、エレベーターのボタンを押し、男が怒鳴りながらかかってきたと思ったので、応戦しようと振り返った瞬間、このトラック野郎は、卑怯にも飲みかけの、いや、ほとんど中身の入った清涼飲料水の鉄の缶を、一メートルと離れてもいない場所から、オッサンの額へと投げつけたのである。