「コノヤロウッ!」と相手をつかんだオッサンの白い腕に、ピューッと生暖かく赤い液体が降ってきた。
このとき、ただでさえ怒りで頭に血が上ったオッサンには、掴んだこのトラック野郎を、ロビーのタイルの床に投げてやろう。それも頭から叩きつけてやろうと考えていたのだが、次から次へとボトボトと落ちてくる自分の赤い鮮血を見て、どういうわけでか冷静さを取りもどした。
(ここで、コイツを投げて怪我をさせては不味い。このまま会社まで連れて行こう)とそう思ったのである。
そして、トラック野郎のシャツを掴んでいた腕で相手をヘッドロックをし、そのままエレベーターに乗り込み、相手の頭をエレベーターの壁に押しつけたまま、五階へのボタンを押した。
「離せーっ、離せーっ」とわめくトラック野郎を無視し、ヘッドロックから裸締めに移行した後、片腕を後ろ手に捻り上げ、関節を極めたまま歩かせ、五階でエレベーターを降りて、会社入口の扉を開けた。
随分と派手な出社の仕方であり、長野支社始まって以来の珍事件である。
後から聞いた話では、最初の一瞬、所長はオッサンに対して、何を朝っぱらからプロレスラーのまねして遊んでいるのか?と本当にそう思ったそうだ。
だが、状況を把握するのに一秒とはかからなかった。
「どうしたっ!」と叫んだ所長に応えて、オッサンは「この馬鹿野郎が下のロビーで俺に、飲みかけのジュースの缶を投げつけたんです。」と言った。
そのときのオッサンの姿は、それは、それは異様だったそうである。
頭から顔にかけて真っ赤な鮮血に染まり、半袖の開襟シャツも半分血だらけ状態だった。
所長ではないが、まるでブッチャーのセールスマン編である。
それを会社にいた、ほとんど全員の社員が見ていた。
ロールプレイングの騒めきはピタッと止まり、重たい空気が流れた。
先まで、「離せっ!」と叫んでいたトラック野郎も、観念したのか静かになっていた。
「とにかく、こっちへ連れてこいっ!」と所長に言われ、所長室へと連れ込んで、ドアのフックをカチャンとかけてから、オッサンは両手を離した。
ソファーに座らせ、逃げられぬようにオッサンはドアの所に立っていた。
所長はトラック野郎の真向かいに座り、しばらくジーッと相手の顔を見ていたが、開口一番こう言った。
「いいですか、これは立派な傷害事件ですから、これから警察へ連絡しますので、詳しい事情を隠さずに話していただきます。いいですね。」と。
すると、トラック野郎は何を思ったか、必死の形相でソファーから床へと這い蹲り頭を床に擦り附けて、
「申し訳ありませんでした。全て自分が悪いです。弁解する気はもうとう有りません。ただ、警察だけは勘弁して下さい。お願いします。働けなくなります。責任をもって治療費等はお支払いしますので、どうかお許し下さい。」
それを聞いて、どうするかと問いたげに所長は、オッサンの顔を見た。
「そこに突っ立てないで、お前もソファーに座れ。」と言った。
その時、ドアの外からノックの音が聞こえたので、オッサンは直ぐにフックをはずしドアを開けた。
何かと思ったら、事務の女性が気を利かせたのだろう。おしぼりを三十枚ほど、お盆に山盛りにして持って来てくれたのだった。
忘れていたが、オッサンの流血は、まだ完全には止まっていなかった。