最近、オッサンは自分でも信じられない行動をとった。
何を血迷ったのか、大浦慰留地祭りの音楽祭に出場してしまったのである。
結果は言うまでもなく予選落ちである。
「やっぱりね」という声がしたような気が・・・するが、まあ、そんなことはどうでもいい。
話を先へと進めよう。
そもそも、他人に自分の歌など聞かせようとは考えもしないオッサンが何故に、こんなたいそうな音楽祭に出場することになったのか、そして、その内容はどんな具合であったのか、これから順を追って話していこう。
つまるところが、その昔オッサンが通っていた、音楽好きの集まるパブのマスターから突然の電話があった。
「おう、元気にしてるか」とマスター。
「どうも、ごぶさたしています。マスターの方こそお元気で?」と、オッサンは目上の者に対しては、いたって丁寧な受け答えをする体育会系のカタブツ男である。
「今日は、どうしたんです?」
「そうそう、こんど大浦の慰留地祭りでさ、オーディション形式の音楽祭を催すらしいんだけど、なんか出場者も少ないって話でさ、お前出てみないかなとおもってさ、街で唄ってるんだろ」
「へぇ、そうですか。でも俺みたいなのでいいんですか?単に歌好きでストレス発散のためにストリートで唄ってるだけなんですけど・・・」
「いいさ。歌も、カバー曲でもなんでもいいらしいから。やってみりゃいい。それじゃ担当者の電話は・・・だから、よろしく。頑張ってな」
このマスターは知る人ぞ知るバンドの名ベーシストである。
ずいぶん前に経営していたパブも辞めて、現在は完全に仕事として音楽活動をしている。ようするにプロのミュージシャンなのである。
実は以前、オッサンはこのマスター達のバンドをバックに歌を唄い「わたぼうしコンサート」に出演したことがある。
長崎の人なら知っていると思うが、身体に障害のある人達が作った詩や曲を歌にして演奏をするという、あのコンサートである。
その当時は、テレビでの生放映がされていた。
オッサンなぞは、後からその映像を見てずいぶん驚き、慌てふためいたものだ。
「これは決して、白昼の人目にさらしてはならない顔だっ!」と、自分の顔を見て真剣に考え込んだものである。
お気づきの人もいるであろうが、話がどんどん横道へとそれてきたので、元に戻そうと思う。
このプロのミュージシャンであるところのマスターがわざわざ、昔なじみということで、オッサンへと電話をかけてくれたことが、オッサンとしては、とても有難く、嬉しかったので、つい引き受けてしまったのであった。
その大浦慰留地祭りの音楽祭は、旧香港上海銀行で開催されたのだが、その詳しい内容はまたこの次にお話しようと思います。