実は、オッサンは今、月に一、二度程ではあるが、とある喫茶店で歌を唄わせてもらっている。
最初に言っておきたいのであるが、これは決して、自分の弾き語りを他人様に聞いてもらいたいとかいう気持ちのあらわれではない。
あくまでもオッサンは、歌を唄うことが好きだから唄うのであって、それ以上でも以下でもない。
それでは何故、わざわざ喫茶店へと出向いてまで歌を唄っているのかといぶかる人もいると思うので、ここにその経緯を書いておこう。
前にも一度書いたことがあるのだが、ストリートでオッサンが歌を唄っているときに、オッサンの声質がいいと誉めてくれた人がいた。
その誉め方というか、言い方が少し変わっていたので、オッサンは今でもその時の、その人のセリフをハッキリと覚えているのだ。
「まあ、歌の上手い下手は別にして、あんたの声はいい声だよ。生まれもってってやつだな。ヴォイストレーナーだった俺が言うんだから間違いない、でも、もっと声の出し方とか勉強したら、もっとよくなるよ。」と言ったのである。
これを聞いてオッサンは複雑な思いがした。
そうなのだ、この人はたしかに、オッサンの声質は誉めてくれたが歌が上手いとは誉めてくれたわけではないのである。
(もしかすると、これは遠回しに俺の歌が下手であると言っているのかもしれない・・・)
けれども、とりあえず声が良いと誉めてくれたのだから素直に喜んでおけばよいと思って、あまり気にしないことにした。
ところが、この人はその後、何回もオッサンのストリートライブを聞きにきてくれた。
そしてそのうちに、その人の思い出話などを話してくれたり、ラーメンをおごってくれたり、酒を飲んで話をしたりするようになった。
その時はまだ、その人は定職についてはいなかったが、そのうち長崎で素人参加型の気楽なライブハウスをやってみたいと話していた。
つまり、この人が今、オッサンが歌を唄わせてもらっている喫茶店の手伝いをしているのである。
こうやって話を聞いていくうちに、この人の波瀾に富んだ人生がわかってきた。
あまり詳しく書くと長くなるので、かいつまんで話してみる。
この人は元、陸上のトラック競技の選手でインターハイとかにもでているのである。
一時期はオリンピックを夢見ていたいこともあったが、陸上競技選手としての自分の能力に見切りをつけて故郷に帰ることにした。
そして故郷へと帰る前に友人、知人の開催してくれた送別会で、たまたま歌を唄ったことが、プロ歌手デビューのきっかけとなったそうである。これがまた運命のいたずらとしか思えない出来事で、その送別会でピアノの演奏に来ていた人が、すごい作曲家の先生だっだのである。その先生が、この人の唄うのを聞いて「何かあったら、ここに連絡をとってみなさい」と音楽プロダクションへの紹介状みたいなものをくれたのだそうだ。
けれども、この人はその時はあまり気にもせず、そのまま故郷へと帰った。
その数年後に上京することになり、その音楽プロダクション(誰もが知っている有名な音楽プロダクションである)を思い出し、紹介状をもって訪ねてみたら、テストをされ、次はオーディションという風に、そのままの流れでプロ歌手になったのだそうだ。
まったく人生とはわからないものである。
親しくなってから、ギターを貸してくれと言われ、何度かその人の弾き語りを聞いたのだが、さすがにプロである。
素人とは、歌を唄う雰囲気から何から全くちがう。まさしくプロである。
これでは、オッサンの歌を上手いと誉めるはずもない。