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大人気ない勝利

 オッサンがいつも唄っているのは、浜の町のアーケードのド真中の大丸デパート正面入口なのであるが、三年もやっているせいか、はたまた唄声がバカデカイせいでか、それなりに知られてきているようだ。この前、いつものように、いつもの場所で唄おうと張り切っていくと、その場所には、すでに先客がいてギターを抱えて歌っていたのだけれども、オッサンが別の場所を見つけて唄う準備をはじめると、その先客がわざわざ、オッサンの目の前までやって来て挨拶をしたのである。
 「いつも土曜日に来るそうですね。まわりの人から噂は聞いていました。私も先週から唄ってます。これからもよろしくお願いします」と、しごく丁寧な言い方をする。
 二十歳位の女の子で、それまで一度もみたことのないヤツだ。
 「いや、どうも。こちらこそ、どうぞよろしくお願いします。お互いに頑張りましょう」と、オッサンも頭をさげた。
 ただし、内心では土曜に来るとわかっているなら、俺の場所をとるなと思いながら・・・。オッサンにはセコい一面もある。
 実際、場所取りは早い者勝ちで、誰がどこでやらなければならないなどとは決まっていない。
 これは誰から言われたわけでもないが、浜の町アーケード内でのストリートミュージシャンの暗黙のルールのようなものである。
 誰も文句は言わない。
 いつもの自分の場所で他の者が唄っていたら、空いている場所を見つけて、そこでやるようになっている。
 オッサンは、大丸デパートの正面入口から見て、そのナナメ前の宝石店の閉められたシャッターの前で唄うことにした。
 大丸前の女の子は、一人でギターを抱えてしばらく歌っていたが、声が小さくて何を唄っているのかよく聞こえなかった。
 もっともオッサンも唄っているので、それほど注意して聞いていたわけではない。
 前にも言ったように、オッサンは不器用で二つの事を同時にはできない性質である。
 ほどなくして女の子がいなくなったので、シメシメと思ったオッサンは、宝石店前から大丸デパートへと場所を移そうかと考えた。
 今がチャンスだと、ギターを肩からおろして、ギターケースへ戻そうとしたとき、オッサンから五メートルと離れていない場所から、大きな歌声が聞こえた。
 見ると、オッサンの知っている二人組のミュージシャンだった。
 (アイツらこんな所までやって来て演奏しているのかっ!)
 オッサンは思わずチェッと舌打ちをして、その場所から絶対に動かぬ決意を固めた。
 というのは、この二人組は、アンプを使って演奏するのだ。
 一人はギターで、もう一人はベースである。
 ギターのヤツが歌を唄うのだが、おそらくマイクも使っているのだろう。他の者たちと比べて、ひときわ声がデカイ。オッサンに言わせれば、こんなのは邪道であり、反則なのだが、この二人組にとっては当たり前のことなのであろう。
 いつもは、アーケード入口近くでやっているので、オッサンもあまり気にしていなかったが、こんなに近くでやられた日には、逃げるわけにはいかない。
 (たとえアンプを使おうが、マイクを使おうが、唄声の大きさでは負けるものかっ!)
 と、どっしりと腰をすえ、それから一時間ばかり休みもせず、ガンガンと大声で唄い続けた。
 さすがに気になったのか、チラチラとこちらを見ていたようだが、オッサンは知らん顔をして唄に集中していると、二人組はどこかへいなくなっていた。
 (ざまぁみろっ!)と、大人気ない勝利に酔いながら、なおも一時間、オッサンは唄い続けた。

ギター教室で歌う・・・?

 たしかに、「ギターの基本は同じだ」と言ったクラッシックギターの大先生の言葉は、決してまちがってはいない。
 だが・・・ だがしかしである。もちろんのことに、この大先生は、オッサンのように街角で弾き語りなどはしたことがないのである。
 いや、する必要がないと言ったほうが正確であろう。
 つまり、この人は、クラッシックギターの世界では、知る人ぞ知る、すごい人であり、何人もの名ギタリストを育てているのだ。
 おそらく、生まれも育ちも、オッサンとは真逆であり、整った環境で優れた音楽家の作曲した作品を、行儀のよい何百人というお客の前で演奏してきたのである。
 オッサンのように、わめき散らすような歌声に合わせて鳴らすギターの音なんぞというものは想像したこともないのにちがいない。
 クラッシックギター演奏というのは、一弦一弦を丁寧に弾いていく単音弾きが基本であり、美しくやさしい音色で、流れるようにメロディーを弾いていくものである。
 これは、ギターという楽器の性質を最も効果的に表現しうる方法であろう。
 これに対し、オッサンのストリートでやってる奏法は、ある決まったコードを指で押さえ、六弦から一弦まで、一気にジャランと弾き下ろし、弾き上げるという、かなりダイナミックというか派手な演奏である。
 実際、浜の町アーケードと、コンサートホールでは、全く環境も状況も異なっているのである。
 何となれば、コンサートホールとは、その演奏を聞くために集まった人たちの場所であり、浜の町アーケードは、そういう場所であるはずがない。
 いわゆる雑踏なのである。足音や話し声、どうにかするとスピーカーからBGMまで流れていたりする。
 こんな中で、一弦ずつ丁寧にギターを弾いたところで、まず聞こえない。
 これは大げさに言っているのではなく、本当のことなのだ。
 ギターを弾いている当人の耳に、自分が弾いているはずの、その音がきこえないのである。
 であるから、クラッシック奏法での弾き語りを、浜の町アーケードでやるというのは、無茶というより、無理な話なのである。
 それに、浜の町アーケードで弾き語りをやっているのは、オッサンだけであるはずもなく、何人もいる。それに十メートルも離れていない所で演奏をしているのだ。
 小さな声で、小じんまりと演奏しているわけにはいかない。
 別に競いあっている意識もないが、つい声の大きさでは負けないぞと、ムキになっている自分をときどきオッサンは発見する。
 それなら、何故、オッサンは二年近くも、その教室へ通い続けたのか?
 これには少なからず理由がある。
 オッサンが入ったのは初級クラスであり、そこには五、六名の初心者が集まって来ていたのだが、なんと、ほとんどの人が初めてギターに触るという全くの新人さん達であり、その中でオッサンは、「ギターが上手ですね」と言われる存在であったのだ。
 それともう一つ、毎月一回、そのギター教室では発表会と称してミニコンサートを行っていたのだが、そのコンサートで歌を唄ってくれと先生に頼まれたことも、やめずらかった原因の一つである。
 考えてみれば、これも変な話しで、普通はギターを習って、その練習の成果を発表する場であるはずのところで歌を唄ってくれというのはおかしい。
 そうなのである。一年もたつと、初心者だった人達は皆、はるかにオッサンよりも上手になっていた。すでにオッサンは落ちこぼれ組となっており、合同演奏などについてゆけなくて、それでも歌を唄えるという喜びを捨てきれなかったのであった。

ギター教室へ

 オッサンが不器用だというのは前にも言ったと思うが、ようするに、ギターも、ど下手である。
 あんまり言いたくはないが、事実であるし、隠したところでしょうがないので、ここではっきりと言っておこう。
 つまり、オッサンの場合、歌が唄えればよいのであって、ギターの演奏などというのは刺身のツマという程度にしか考えていなかったのだ。
 何事をやるにも、あまり考えることをせず、それほど細かいことを気にしない性分であるところの、霊長類ヒト科であるこの、オッサンと称する男は、まことに自分勝手なマイペース野郎であり、そもそもから、他人様に聞いてもらおうという発想が無いのである。
 いや、それどころか、まず誰も聞いてなぞいないと思いながら、いつも唄っている。
 だから、たまにリクエストをされると、また物好きなヤツが来たな。というくらいの心持ちで接している。
 けれども、世の中は広く、いろんな人たちがいて、オッサンのどうでもいいようなギターの演奏に対して、あれこれと、意見や注文をつけてくるものたちがいるのだ。
 例えば、リズムがいい加減であるとか、メロディーになっていないだとか、唄とのバランスがとれていないとか、ギターが上手くなったらもっと良くなるから頑張れとか、むろん親切心からであろう、さまざまな意見や感想を言ってくれるのである。
 ところが、天邪鬼でもあり、少々ヘソ曲がりでもるオッサンは、(大きなお世話じゃ、そんなに演奏が上手かったら、こんなところで唄ってないわい)と、バチ当たりにも、はじめの頃は気にもしていなかったのだが、これも、たび重なってくると、ボディーブローのように少しずつ効いてくる。
 ある日、ふと思いついてそれほどバランスが悪いと言うのなら、自分の演奏をテープに録音して聞いてみようではないかと、小型のテープレコーダーに吹き込んで聞いてみた。
 確かにひどい。
 (なんじゃこりゃ。こんな演奏を俺は人前でやっているのか?)
 さすがのオッサンも、顔から火の出そうな羞恥心と、ショックでしばらくは落ち込んだ。
 ギターの演奏もさることながら、変な声の出し方をしている。
 まぎれもなく自分の声ではあるが、普段の聞き慣れた歌声とは異なる、表現のしにくい違和感を覚えた。
 (こりゃいかん。いくらなんでも、もう少しどげんかせんといかん)
 そしてついに、オッサンはギターを習う決心をし、ギター教室へと通い始めた。
 だが、これがまた大失敗であったのだ。
 というのは、ストリートでの演奏はフォークギターを使っているのに、オッサンはどうしたことか、クラッシックギターの教室を選んでしまったのである。
 知らない人のために少し説明するが、クラッシックギターというのはナイロン弦が使用されていて音色が柔らかいがフォークギターというのはスチール(鉄)弦を使用し、音色が硬い。いうまでもなく、その弾き方にもかなりの違いがあったのである。
 これには、馬鹿なオッサンも最初に気がついたから、他の教室を捜そうと思ったのである。
 しかるに、そのクラッシックギター教室におられた、大先生(年令七十才から七十五才くらいの老人)が言うには、クラッシックだろうがフォークだろうが、ギターの基本は同じであるから大丈夫とのことだった。
 単純なオッサンは、この言葉に素直に従い二年近く、このクラッシックギター教室へ通った。
 けれども、いまだにギターは下手である。

オッサンは、ケンカは強い。

 ずいぶん前にも述べたが、オッサンがストリートに出て弾き語りをしているのは、土曜の夜十時頃から十二時くらいまでだが、ほんのたまに警官がやってきては、そろそろ帰れだの、大声で歌うなだとかと注意をしにやってくる。また、この言い方がもってまわったような言い方で、「せっかく、良い歌を上手に唄っているところ悪いんですがねえ・・・もうそろそろ帰ってもらえませんかねえ」と、聞いていて腹が立つような言い方を、わざわざするのである。
 まあこれも彼らの大切な仕事のうちだろうからと、オッサンは指示された通りに逆らうこともなく、声をおさえたり、帰ったりもしているわけだが、オッサンがどうにも解せないのは、二時間の間に警官がやって来るのはたった一回である。それも全く来ない日が多いのだ。
 お巡りと言うくせして、長崎一番の浜の町アーケードをこのくらいの頻度で見回りをしていて、なんの役に立つのか?
 たしかに、夜中にパトカーはよく目にするが、もっとこまめに歩いて回れと言いたい。
 実際、浜の町アーケードの中で、自家用自動車を乗り回したり、スケートボードや自転車の曲芸をやっている連中がいるのだ。
 そういう奴らは、不思議と、警官の去ったあとや、全くいない時にやって来ては好き勝手に遊んでいる。
 こんな事はもちろん禁止されているし、夜中とはいえ少なからず通行人もいるのだから、危なくてしょうがない。
 オッサンも何度か注意をしたが、その場は「ハイ、ハイ」と返事をしながら、忘れたころに、又やり始めるのだ。
 「コノヤロー、あっち行けっ!」と怒鳴って追っ払おうかとも思うのだが、オッサンの場合、少々武道の経験者でもあるので、正当防衛が成り立ちにくい。
 もしも、バカな警官に捕まったら、傷害罪でも摘要されかねないので、おとなしくしている。
 こんな言い方をすると、中年のオヤジの単なる強がりに聞こえるかもしれないが、オッサンは、ケンカは強い。その昔、大魔人と異名をとったことがあるが、自分でも信じられないほど人間が変貌し、パワーが出るのだ。傍らでケンカを見ていた人に、「お前、そいつを殺すつもりかっ!」と叫ばれて、ハッと我に返ったような経験が何度かある。
 ケンカをするときは、鬼になるのだ。
 ただし、誤解のないように言っておくが、まず、めったにケンカなどすることはないし、自分からケンカを仕掛けることもない。
 オッサンがケンカをするときは、相手が殴りかかってくるか、なにかして、どうしてもケンカをせざるを得なくなるときである。
 オッサンとて、黙って殴られたり、怪我をさせられるのは、まっぴらごめんだ。
 そして、オッサンは警察を信用していない。
 前にも言ったと思うが、大学生の時、一度 警察に世話になったことがあるのだが、何度も同じことを聞くし、その時の相手は暴走族で五、六人いたのに、まるでオッサンが悪いかのように取り調べるのだ。とにかく話しにならない。
 大学生の頃なら、若気の至りと、許されもしようが、四十七にもなると、世間でのいい恥さらしとなる。それこそ、いい笑いものだ。
 そういう事は、金輪際ごめんこうむりたい。
 もう一度、ひつこいようだが繰り返す。
 お巡りさんなんだから、足を使って細かく回って、不審者やめいわく行為者達をしっかり取り締まれ。そして、ストリートミュージシャンをバカにせず、もう少し暖かい目で見ろっ!

リクエスト・・・

 街角に立って歌っていると、とにかくいろんな人達がやってくる。
 あれを唄え、これを唄えと、オッサンの歌本をこねくりまわし、さんざんリクエストしたくせにして、いざ唄いはじめると、ワンフレーズも聞かないうちにどっかに消えてしまう、わけの分からない者やら、いつの間にかオッサンの横に来て、まるでバンド仲間でもあるかのように、調子っぱずれな大声をはり上げて唄いだす酔っ払いもいる。
 たまだが、興味があるのかないのか、オッサンの唄っている前を何度もうろうろと、往ったり来たりする人もいたりする。
 この間なんぞ、五、六回も往ったり来たり繰返し、ようやく決心がついたように恐る恐るリクエストをした奴がいたが、一曲歌うと、次から次へと、とめどもなくリクエストをしだすので、いったい、いつまで続けるつもりかと、言われるまま要望に応えていたら、結局、オッサンが唄い疲れて帰るまで、リクエストをし続けていた。
 時間にして、一時間半くらいであるが、こういう奴が一番困る。
 なぜなら、オッサンが唄いたい歌ができないからだ。
 何度も言ってきたように、オッサンが街角で唄うのは、他人に聞かせることが目的ではなく、あくまでも自分のストレス発散のためなのである。
 だからと言って、一応はリクエストにも応えるし、聞いてもらえることは有難いとも思っているのだから、他人を拒否しているわけでもない。
 ただし、リクエストはせめて、二、三曲くらいで御勘弁ねがいたい。
 これが、正直な本音である。
 けれども、この一方でオッサンにとっては、信じられないほどの幸運も起こる。
 というのは、オッサンが数曲を唄い終わって、しばらく一休みしようというときに、どこでどうやって聞いていたのか知らないが、オッサンのギターケースへとお金を入れてくれて、「ありがとうございました」と礼までして去って行く人が、ほんのたまにだがいるのである。
 おそらくは、その人の思い出の歌を、たまたまオッサンが唄ったのだと思うのだけれど、それにしても、驚くばかりである。
 まるで、オッサンの心の中を見透かしてでもいるような感じがして、少々気味が悪いほどである。
 こんな事を言ってはバチが当たりそうだが、自己満足で充分であると、ひらきなおって唄っているオッサンとしては、何か申し訳なく思わずにはいられないのである。
 たしかに、ギターケースを開けてあるから勘違いをする人もいるのだろうが、オッサンがギターケースの蓋を開いているのは、マッサージの宣伝のためである。蓋の裏側に自分の仕事である、「手もみ屋」マッサージのチラシが貼り付けてあるのだ。
 であるから、オッサンの歌を聞いたからといっても、お金など一切いらない。
 オッサンはプロの歌い手ではないし、実際それほど上手くもない。文字通りに、ただの歌好きな、ど素人の中年男なのである。
 ただ、しかし、「ありがとう」と礼を言って握手をし、お金を入れてくれる人に向かって、「いりません」とは言えないのである。