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ギター教室へ

 オッサンが不器用だというのは前にも言ったと思うが、ようするに、ギターも、ど下手である。
 あんまり言いたくはないが、事実であるし、隠したところでしょうがないので、ここではっきりと言っておこう。
 つまり、オッサンの場合、歌が唄えればよいのであって、ギターの演奏などというのは刺身のツマという程度にしか考えていなかったのだ。
 何事をやるにも、あまり考えることをせず、それほど細かいことを気にしない性分であるところの、霊長類ヒト科であるこの、オッサンと称する男は、まことに自分勝手なマイペース野郎であり、そもそもから、他人様に聞いてもらおうという発想が無いのである。
 いや、それどころか、まず誰も聞いてなぞいないと思いながら、いつも唄っている。
 だから、たまにリクエストをされると、また物好きなヤツが来たな。というくらいの心持ちで接している。
 けれども、世の中は広く、いろんな人たちがいて、オッサンのどうでもいいようなギターの演奏に対して、あれこれと、意見や注文をつけてくるものたちがいるのだ。
 例えば、リズムがいい加減であるとか、メロディーになっていないだとか、唄とのバランスがとれていないとか、ギターが上手くなったらもっと良くなるから頑張れとか、むろん親切心からであろう、さまざまな意見や感想を言ってくれるのである。
 ところが、天邪鬼でもあり、少々ヘソ曲がりでもるオッサンは、(大きなお世話じゃ、そんなに演奏が上手かったら、こんなところで唄ってないわい)と、バチ当たりにも、はじめの頃は気にもしていなかったのだが、これも、たび重なってくると、ボディーブローのように少しずつ効いてくる。
 ある日、ふと思いついてそれほどバランスが悪いと言うのなら、自分の演奏をテープに録音して聞いてみようではないかと、小型のテープレコーダーに吹き込んで聞いてみた。
 確かにひどい。
 (なんじゃこりゃ。こんな演奏を俺は人前でやっているのか?)
 さすがのオッサンも、顔から火の出そうな羞恥心と、ショックでしばらくは落ち込んだ。
 ギターの演奏もさることながら、変な声の出し方をしている。
 まぎれもなく自分の声ではあるが、普段の聞き慣れた歌声とは異なる、表現のしにくい違和感を覚えた。
 (こりゃいかん。いくらなんでも、もう少しどげんかせんといかん)
 そしてついに、オッサンはギターを習う決心をし、ギター教室へと通い始めた。
 だが、これがまた大失敗であったのだ。
 というのは、ストリートでの演奏はフォークギターを使っているのに、オッサンはどうしたことか、クラッシックギターの教室を選んでしまったのである。
 知らない人のために少し説明するが、クラッシックギターというのはナイロン弦が使用されていて音色が柔らかいがフォークギターというのはスチール(鉄)弦を使用し、音色が硬い。いうまでもなく、その弾き方にもかなりの違いがあったのである。
 これには、馬鹿なオッサンも最初に気がついたから、他の教室を捜そうと思ったのである。
 しかるに、そのクラッシックギター教室におられた、大先生(年令七十才から七十五才くらいの老人)が言うには、クラッシックだろうがフォークだろうが、ギターの基本は同じであるから大丈夫とのことだった。
 単純なオッサンは、この言葉に素直に従い二年近く、このクラッシックギター教室へ通った。
 けれども、いまだにギターは下手である。