記事一覧

職務質問・・・顔?

 次の週、おっさんは、ライブの後はじめて、あの青年ミュージシャンと顔をあわせた。
 「いやぁ、盛り上がりましたねぇ、ライブ。」と、おっさんの気苦労も知らず青年は嬉んでいた。
 「あれから何度か遊びにいって、演奏させてもらってます。あのマスターも口は悪いけど、いい人ですよね。」
 「そうですか、それはよかった。」と、おっさんは、(二度と俺はライブなんぞには出ないぞっ!)と思いながら、話を合わせていたが、気になっていたことを思わず口に出した。
 先週の警官に注意されたことを話してみたのである。
 「そうでしたか、それは驚かれたでしょう。いえね、前にも似たようなことがあったんですよ。幸い僕は何も言われずに済んだんですけど、僕の前で演奏していた、知り合いのストリートミュージシャンが、警察官に強引に帰らされたことがありましたよ。」
 「えっ、そんなことがあるんですか?」
 おっさんは青くなった。
 「ええ、知り合いだったから、僕もかわいそうに思ったんですが、どうすることもできませんからねえ。そりゃもう後味悪かったですよ、ほんと。たぶん誰かに通報されたんだろうと思うんですがね。」
 「どうして?」
 「まぁ、その人の主観的な感覚なんでしょうけど、あんまりヒドイと思われたら、そういうこともあるってことです。」
 「そっ、そうなんですか?」
 おっさんの顔色は、すでに青から紫へと変わっていた。
 「でもよかったじゃないですか、帰れって言われたわけじゃないんだから。普通に歌ってるぶんには問題ないってことですよ。」
 (そうだ、帰れとは言われなかった。おまり大声は出さないようにと言われたのだ)と、おっさんも少しは安心したが、あの二人組の女の子達は帰って行ったのだ。彼女らが警官に何を言われたのかわからないが、決して下手なミュージシャンではなかった。
 そう思うと、なんだか背中に冷たいものを感じるおっさんでありました。
 ところで、話が少し横道にそれますが、おっさんは、昔からどういうわけだか、よく警官に職務質問をされるのであります。
 大学生だった頃にも、多勢の人がごったがえす東京、上野駅の構内で警官に呼びとめられたことがありますが、よくもこんな人ごみの中で自分だけに声をかけてくるものだと頭をひねったものです。
 そして、その警官が職業は何かと尋ねたようだったので、大学生だと答えると、このバカ警官は急に顔色を変えて怒りだし、「貴様が学生なはずがあるかっ!」と怒鳴ったのであります。そのときは、さすがにおっさんも頭にきて「学生だと言ったら、学生だっ!」と、学生証を見せてやったら、貼付してある写真と、おっさんの顔をじっくり見比べ、ついにはペコペコと謝っておりました。
 まったくもって信じられない話でありますが、他人からすると、おっさんの顔は恐いそうなのである。以前、おっさんの顔に顔面暴力というアダ名をつけた者もいたし、新宿の居酒屋でアルバイトをしていたときには、地回りのヤクザにスカウトされそうになって必死で断ったこともある。とくに一番いやだったのは、仲よくなったばかりの女の子が、ジーッとおっさんをみて、「黙ってると、ほんとうに恐いよ。」と真顔で言ったときだ・・・ 頭上にともっていた電球が、急にパッと切れた。そんな感じだった。
 自覚もなく、認めたくもないものの、これでは認めざるをえない。文句は親に言ってくれっ!
 とはいうものの、この顔の恐さのおかげで警官に帰れなどと言われずに済んだのだとすると、あながち悪いことばかりとも言えない。

警官が来た!

 つまり、常識にしばられることのつまらなさ、自分を自分らしく表現し生きる、熱中できるものを精一杯やってみるということを、おっさんは、たしかに、このとき学んだはずなのであります。
 それが、どこにどう活かされているのかは、はなはだ疑問の残るところではありますが、あんまり考えすぎると、おっさんの場合、バチッ、バチッ、と音が聞こえて、頭がショートしそうになるので、このあたりでやめておきます。
 でありますから、おっさんは当然のごとく、またもや街へとくりだすのであります。
 しかも今度は、誰が聞いていようと気にしません。それこそ、大いに聞いてもらおうじゃないかと、そのくらいの気持ちになっております。
 これは、べつに酒が入っているからではなく、昔の記憶に勇気づけられたわけでありますので、おまちがえなきようお願いしておきます。
 さて、そういうわけで、またまた、浜の町アーケードのど真中にやって来たおっさんは、落ちこんでいたのがウソのように、歌っておりました。
 するとしばらくして、二十歳くらいの女の子の二人組が、ちょうどおっさんのナナメ前に場所を決めて歌いはじめました。
 一人がギターを弾いて、サブボーカル。もう一人が歌うだけのメインボーカルでありましたが、その声の大きさは、おっさんをはるかにしのいでおります。そしてこれが呼吸もあっていて、なかなか上手い。
 たいしたもんだと、つい おっさんは歌うのを忘れて聞いておりましたが、ふと我にかえって(いかん、いかん、あんな小娘たちに負けてなるものかっ!)おっさんもあらんかぎりの大声を出して歌いはじめました。すると、むこうの二人も、さらに声のボリュームをあげました。こうやって二、三曲くらいでしょうか、互いに張り合うような形で歌っていると、急に後から肩をポンとたたかれました。ずいぶんとなれなれしい奴がいるもんだと思いながら、振り向くと、なんと警察官が立っております。
 (ぐえっ、ヤバイ)と、パニクッて、何がヤバイのかもわからずに固まっておりますと、警官は、おだやかな口調でこう言いました。
 「この先の方には住んでいる人もいるので、あまり大きな声では歌わないようにお願いします。」と、これは、しごくもっともな事であります。おっさんは恥ずかしくなって、「はい。そうですかわかりました。すいません」と、顔はまっ赤なゆでダコとなり、薄くなった頭には大粒の汗をかきながら、とにかく必死にあやまりました。
 それで安心したというように、その警官はそのまま去って行きました。
 あまり大きな声で歌っていたので、おっさんも少々のどが痛くなっていたところでした。
 そういえば、二人組の大声もきこえないぞと、そちらの方向へ目をむけると、やはり、警官に何か注意を受けている様子です。
 いきがかり上、おっさんも心配して見ておりましたが、警官がいなくなるのと同時に二人組もどこかえ帰ってゆきました。
 もちろん、二人が何を注意されてのか、聞こえはしませんが、だいたいの見当はつきます。女の子には、ちょっとショックだったのか、歌う気がしなくなったのかはわかりませんが、おっさんは少々気の毒に思いました。
 しかしながら、おっさんは、大声で歌うなとは言われましたが、歌うなとは言われておりません。
 むろん、他人に迷惑をかけてよいわけではありませんので、「歌っちゃいかん」とこう言われたら、歌うわけにはいきません。
 だからそういうことではなかった。できの悪いくせに、やたら都合のよい、おっさんの頭による解釈ではそうなるのであります。
 その後、二時間しっかり歌って帰りました。

ワァー、でいいじゃないかっ!

 ライブが終わってから一ヶ月間、おっさんはストリートにでませんでした。
 あれほど自分の未熟さをしらされたら、いくらおっさんといえども落ち込まずにはおられなかったのであります。
 それと、ライブの日にも自分の出番が終わってからのおっさんは、ただの酔っぱらいオヤジと化し、自分ではできなかったくせに、他のミュージシャンへは、アンコールを連呼し、少々うるさがられていた気もしていたからです。それに、おっさんは、どういうわけか酒が入ると言わなくてもいい、ドジ話とか、あとで後悔してしまうようなバカ話をしゃべってしまうクセがあるのです。
 そんなこんなで、いろいろな事情から、しばらくは、あの演奏メンバーと顔をあわせたくなかったのであります。
 ですが、それもわずかな間のことでありました。なにしろ、懲りるということを知らない男でありますから、またぞろ、変な虫が騒ぎだしてまいります。
 そもそも、他人と自分を比べてどうするのか、プロでもあるまいしと、ひらき直り、酒の席のバカ話など覚えておらんで通してしまえと腹を決めたのでありました。
ファイル 8-1.jpg
 おっさんがストリートで演奏しはじめたのは、他人にどうこう言われたからではなく、自分がやりたいと思ったからなのです。
 こんなことで、やめてなるものか、他人に迷惑をかけるのではよくないが、そうならない範囲で自分の好きなことをやるのが何が悪いかっ!と、おっさんには、何に対してだかわかりませんが、怒りにも似た闘志が湧いてきました。
 というのも、おっさんにはひとつのこだわりがあったのです。
 もう二十年近く前のことですが、まだ、おっさんが青年サラリーマンだった頃、社員研修の一つとして、あるビデオテープを見せられました。
 それに映っていたのは、なんでも、京都の名物和尚ということで、二十分くらいの短いものでしたが、それで充分おっさんの、それまでの人生観は、真反対と言ってもいいほどに変えられてしまったのであります。
 なにしろ、その坊さんは、画面へと映るなり、「ワァー、でいいじゃないかっ!」と大声で叫んだのです。おっさんは驚きました。
(なんだ、この坊主、気でも狂っているのか?)と、固唾をのんで見ていると、坊さんはこう続けます。
 「手も足も動かない人はどうするんですか、なんにもできないで終われるんですか、ワァーでも、ギャーでも、なんでもいいやないですか、わしら、せっかくこの世界に生まれてきたんや、どんな状況にいたかて、せいいっぱい、自分ちゅうもんを主張していかんならんのとちゃいまっかっ!」と、まるで岡本太郎が坊さんになったか。と思うくらいの迫力でテレビ画面のこちら側にいる、おっさん達に怒鳴りまくっているのです。
 おっさんの目は、画面へ釘ずけとなり、これはただ者ではないぞと、耳はダンボの耳となり、鼻は・・・・鼻は、ふつうでした。
 とにかく一言も聞き逃すまいと集中して、よくよく聞いていると、つまり、その人は、自分の能力にタガをはめず、伸びのびと生かせと説いているのです。
 そして場面はかわり、川辺に立った坊さんは、今度は静かな口調でこう語りました。
 「何か特別なことをしろと言うのじゃないんです。何かのために物事をしようとするよりも、どんなことでもいいからやってみたいと思うことを見つけなさい。たとえば、こういった川原の小石をいくつ積み上げられるか、それでもいいんですよ。我を忘れるくらい熱中できれば、その瞬間 その人の生命は光り輝いてるんです。」
 おっさんは感動しました。そして困ったことに、それがそのままおっさんの美学となってしまったのでございます。

テレビ局が来た・・・

 なんといっても、ライブ当日が一番悲惨でありました。というより、おっさんには厄日そのものでありました。
 ただでさえ、あがり症のおっさんでありますが、思った以上のお客さんの入りで、五十ほど用意された座席にすわりきれず、階段にすわったり、立っている人もいるようなありさまです。
 しかしながら、おっさんの緊張の度合いをさらに救いがたく高めてくれたのはテレビ局でありました。
 なんだかデッカイ集音マイクとビデオカメラを持った人たちがいるなと思っていると、どこかで見たことのあるような女性が、そこらをうろうろしております。
 はて? どこで見かけたものかと少々薄くなった頭をひねっておりますと、くたびれかけた脳みそが、やっと働きだしてくれました。
 そうだ、たしかテレビで見たことのある顔だ。アナウンサーだ。
 どうしてこんな場所にいるのかと、いぶかりながら見ておりますと、なんと、おっさんのすぐ目の前で、その女性アナウンサーは、あの青年ミュージシャンへとインタビューをやりはじめたのです。
 なんじゃこりゃ。おっさんは、すぐにマスターをつかまえて尋ねました。すると、今日のライブの宣伝とあの青年を取材してもらうために呼んだのだと言うのです。
 なんじゃそりゃ。そんなことなど聞いていないぞと、マスターに対しておっさんは、どういうわけでか条件反射的に怒りを覚えるクセがついております。
 よく考えてみれば、なにもおっさんにインタビューするわけでもなく、まったく関係ないといえば関係ないのです。
 つまり、それほど気にすることもないのですが、バカなおっさんは、テレビ局がきたと言うだけで、すっかり取り乱してしまい、それこそ頭の中は、菜の花が咲きほうだいとなり、おまけに蝶々まで飛んでおりました。
 これは、とてもじゃあないがシラフでいられるものではありません。さっそくカウンターへと走り、ビールをひっかけました。
 おっさんも、自分の演奏の下手なのは充分に自覚しておりましたので、出番を終えるまで、せめて飲まずにおこうと、ガラにもなく殊勝な考えをもっていたのでありますが、ことここにいたっては、そんなことをいってはおられません。
 酒でも飲んで勢いでもつけないことには、とても歌なぞうたえたものではありません。
 そして、まず一組目の演奏がはじまりました。これがまた、すばらしく上手い。二台のギターでアンサンブルをやっているのですが、まるでレコードでも聞いているような技量であります。
 そうして二組目、三組目と、皆かなり歌いこんでいるし場慣れもしているのでしょう、堂々としていて率がありません。
 おっさんとは比べたくても比べようがなく、まったくお話しにもならないほどのレベルの差なのであります。
 けれども、もうこの頃には、おっさんの方も完全にできあがっております。
 もちろん何杯飲んだのか覚えてもおりません。自分の出番が来るころには、足もともおぼつかないほどヘベレケとなっており、「次、出番だよ」と、マスターに言われて、カウンターから演奏場所まで真っすぐ歩くのに、けっこ苦労したのです。
 そういう具合ですから、演奏がどうなったのかは言うまでもありません。
 あまり言いたくもありませんが、事実、おっさん自身もよくは覚えていないのです。
 途中でかなりまちがえたことと、三曲はなんとか歌ったろうというくらいの記憶しかありません。強いて思い起こせば、たしか、アンコールという声に、”できません”とはっきり答えたことだけ覚えております。

ライブ決定!

 もうこうなるといけません。
 それから延々とマスターのクラプトン談議を聞かされたあげく、今歌った曲を今度のライブでぜひともやってくれと言いだす始末です。
 「冗談じゃない。そんなもん、やれっこないでしょう。」と、すっかり酔いの醒めたおっさんは断りました。
 「いやいや、クラプトンができるとなると話はべつだ、やってもらわないわけにはいかない」と、マスターも簡単には引きさがりません。
 「いんなゃ、できません。」と、おっさんもこればかりは、なにがなんでも譲れないのです。
 なんとなれば、何のために青年ミュージシャンを紹介したのかわからないではありませんか・・・・・・。
良心の呵責をもかえりみず、自分から矛先をかわすために、無責任にも、たまたま目についた青年を、苦しまぎれに指さした自分を、つい先頃まで、どれほど恥じていたことかと思うと・・・
たいしたこともないけれども、やはり負けるわけにはいかないのであります。
 しかしながら、思わぬところに伏兵はひそんでおりました。
 そうなのです。あの青年ミュージシャンこそ、最強の敵だったのであります。
 おそらく彼は、マスターの機嫌を損ねたくないという気持ちと自分をこの店に紹介してくれたおっさんを少しでも喜ばそうと、おだてることで、内心はライブに出たいはずのおっさんに恩返しをしようと考える、大きなカンちがいをした、悲しい常識人だったのです。
 「一緒にやりましょう。一曲だけと言わすに三曲くらいやって下さいよ」と、とぼけたことを、サラリと言ってのけるのです。
 「君は、そう簡単に言ってくれるけれども、僕にとっては、これはどんでもないことなのだよ。」と、さすがのおっさんも青年ミュージシャンには、後めたい気持ちからかそれほど強くは言い切ることができません。
 結局、これもマスターと青年との二対一、クラプトンを歌ってしまった、おっさんの負けであります。
 しばらくして、ニコニコと笑いながら見送るマスターと青年ミュージシャンへ背を向け、しょんぼりと肩を落としたおっさんは、ブツブツとグチをこぼしながら帰路へつくのでありました。

 そして一ヶ月後にライブとなりました。
 おっさんは気の進まないままノルマとして五枚のチケットを渡されました。(でたくもないのに、なにがノルマかっ!)と、憤りを感じながら、おっさんにも考えがありました。
 チケットを自分で買って知人に配ればよいと思ったのです。
 正直に言って、おっさんとしては、自分の歌を他人に聞いてもらうのにお金をもらうなどということなど考えたくもないことなのであります。
 それどころか、無料だと言って配ったところで、はたして何人の人が受けとってくれるのか?これは大きな疑問であります。
 幸い、誰一人として断られもせず、受けとってもらい、ホッと胸を撫でおろしたことでしたが、できればもう二度と、あんなバツの悪い思いはしたくはありません。
 何度も言うようですが、おっさんは、あくまでも、好きな歌を、ただ腹いっぱい、気のすむまで歌いたいだけなのであります。
 極論を言うと、他人が聞いていようがいまいが関係ないのであります。いや、どちらかと言うと聞いてないほうが有難い。
 そういうわけで、冷や汗をかきながら練習をし、妙な不安を抱きながらチケットを配ったおっさんの体重は、この一ヶ月間で五キロ近くも減ったのでありました。