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冬が来た・・・誘拐?

 おっさんにとっての慰安旅行は散々なものだったが、ようやくそれも終わり、長野の気候は早くも冬への移行をはじめていた。
 雪こそ降ってはいないものの、日ごとに肌寒さが増し、背広の上へコートでも着ていなければ、現地を回るのが辛くなってきた。
 おっさんは昔から寒がりなので、誰よりも早く、ストーブとコタツを買いに走り、直ぐに使用した。
 仕事から帰るなり部屋を閉めきりストーブに点火し、テレビとコタツのスイッチを入れると、着替えもせずにゴロンと横になりコタツにもぐり込む。そのまま一時間ばかりボーッと何も考えずに過ごすのだ。一種の無念無想というか、暖かさを味わうバカ状態とでもいおうか、とにかく至福のひとときなのである。
 ただし、一時間中おっさん一人だけでいられるわけではない。あとの二人が直ぐにやって来るのだ。そして同じようにボーッとして時を過ごし、一時間前後した頃に夕食を買いにコンビニへと出かける。
 三人仲良く戻って来て、また何故かおっさんの部屋に集まり、食事をしながら、その日の出来事を何だかんだと話し、テレビの深夜番組も終わるかと思われる時間になると、ようやく二人は各自分の部屋へと戻って寝入るというのが、印で押したようなパターンであった。
 ところがである。
 ある日、突然このパターンは崩れた。
 その日は、いつもの二人がいつもの時間には帰ってこなかったのである。
 おっさんは、一人で自分の部屋を伸び伸びと占有し、おそらく心持ちの良さのためか、コンビニにも行かず、そのままぐっすりと四・五時間眠ってしまったのである。
 そして、目を覚ましたオッサンの耳には何やら聞き覚えのない女の声が聞こえた。
 寝ぼけてでもいるのかと、我ながら苦笑いしてテレビを見ながら着替えていると、今度は、はっきりとおどけたような女の笑い声が二階の方から聞こえたのである。
 前にも言った事だが、おっさんの部屋だけが一階で、佐藤君と久保田君は二階の廊下をはさんで右と左にある。声はどうやら、久保田君の部屋からしていた。
 ことのき、「カチン」と怒りのスイッチが入ったオッサンは、寮長として苦言を呈してやろうと、二階へと上がり、軽くノックした後、部屋に入って凍りついた。口元まで出かかった文句を思わず呑み込んでしまったのだ。
 そこに居たのは、どこから見ても、中学生の女の子二人なのだ。
 佐藤君もいて久保田君も居た。
 だが、四人とも敷きっぱなしの布団の上で円座になっているのだ。
 (なんてこった!この馬鹿野郎どもは。よりにもよって・・・こんな子供を・・・)
 おっさんの怒りは頂点をはるかに飛び越え、すでに恐怖を感じ始めていた。
 おっさんは必死で引きつった笑顔を作り、二人のやっかいなお客さんへと挨拶を済ませると、急いで久保田君だけを呼び、一階の自分の部屋へと連れて行き、事情を説明させた。
 話をきくと、たまには街に出て、ナンパでもしようと軽い気持ちで声をかけたら、上手くいったので、近くだし、食事とか店ではもったいないからと連れて来たら、なんと中学生だったと。頭を掻いて苦笑している。
 (そんなことは、一瞬でわかれっ!この馬鹿者がっ!)と、怒鳴りたくなった気持ちをグッと抑え、上の部屋には聞こえない程度の押し殺した声で説教をした。
 「親の身になって考えてみな、久保田君。こんな時間まで帰ってこない娘を心配しないはずがないだろう。まずは家に連絡させて帰らせることだ。たとえ君たちに悪気がなくても、親から訴えられたら、立派な誘拐罪だぞ。こっちは社会人なんだから、勝手について来たといっても通用しないんだぞ。」

掛け軸に向かって・・・

 おっさんは、なんだか弱い者いじめをしたイタズラ坊主のような形となってしまった。
 皆の視線が気になって、その場にいるのが辛くなった。その場の全員に非難されているように思えたのである。
 前沢係長はといえば、右腕は折れているから力が入らないのだと言うように、ダラリとさげたまま、未だに痛いと泣き声をにじませ、駆け寄って来た女子社員達に介抱されている。
 「そんなに力を入れたつもりはなかったんですが、大丈夫ですか?」と尋ねるおっさんを、まるで犯罪者でも見るかのように睨みつけ、救急箱にあった湿布薬を貼ってもらい、大ゲサにも包帯まで巻いてもらっていた。
 バツの悪くなった、おっさんは仕方なく宴会場を出て、自分の部屋へともどった。
 けれども、前沢係長の仮病は一時間もしないうちに発覚した。
 また暴れ出したのである。
 部屋にあるだけの枕や布団を人に投げつけているというのだ。
 なんとか逃げだして来た社員の話によれば、あの後、自室に戻され、三十分ばかり延々と所長に説教をされた前沢係長は、所長が帰るまでは、おとなしく静かで反省をしている様子だったが、所長がいなくなると、十分もしないうちに寝床から跳ね起き、「あの野郎っ!俺を馬鹿にしやがってっ!」と叫び声を上げたかと思うと、いきなり側で寝ていた社員たちへ、布団や枕を両手でつかみ上げ投げつけ始めたということである。
 部屋に入って見ると、床の間にあった花瓶は割れ、掛け軸に向かって小便をしている前沢係長がいた。
 まったく、酒が入ると何をやらかすのか理解のできない男であるが、おっさんお姿を見ると急に怯えてでもいるように、布団に入り寝たフリをした。
 おっさん達は、小便の跡がわからぬように雑巾がけをしたあと、部屋の者全員で相談をして、花瓶の弁償のこともあるからと、一応所長に知らせておこうという結論に至った。
 また暴れださぬようにと、おっさんはその場に残ることにして、所長へと伝達を頼んだ。
 所長が現れるまで、前沢係長の寝たフリはずっと続いた。
 部屋へと入って来るなり、「前沢、いいかげんにしろっ!」と所長が怒鳴ると、前沢係長は借りてきた猫みたいにモソモソと起き上がり、布団の上に正座をしてうなだれていた。
 それからまた、所長の説教が始まった。
 今度のは、かなり長く、二時間近くもかかる小言で、一緒に聞いていたオッサン達も、うんざりするほどだった。
 そして、やっと終わったかと安心したオッサンの耳に、聞きたくもない命が下った。
 「お前は、念のためにこの部屋に泊まってくれ。これ以上暴れられたら、たまらんから。」
 確かにその通りなのだが。この夜、オッサンは、ほとんど眠れず夜を明かしたのである・・・。
 だが、所長の命令により、やむなく魔よけ係となったオッサンの効果は絶大であった。
 所長が帰った後でも、今度ばかりはおとなしく、寝床へ入った前沢係長は寝たフリをしたまま、やがて大イビキをかき、本当に眠ってしまい、それから朝まで起き上がることはなかった。
 けれどもオッサンは眠れなかった。
 何故に、せっかくの慰安旅行へ来てまで、これほどに疲れなければならないものかと、つくづく嫌になった。
 この時ほど、勤め人の辛さを感じたことはない。

よせばいいのに大宴会

 おっさんは経験により知っていた。
 こういう場合、怒ったフリをするのが一番効果的なのだ。
 ちょうど、いびきのひどい人の耳もとで大きな音が鳴ると、しばらくの間、ピタッといびきが止まる。それに似た現象が起こるのだ。理由は分からないが、恐いと思う人がいると酒乱もしばらくは止まるのだ。
 かくして、前沢係長はモゾモゾと起き上がり自分の部屋へと向かった。
 むろん、おっさん達も後から見守るようについてゆく。幸いなことに、おっさんの部屋は前沢係長とは異なっていた。
 一応、布団に入って寝る格好をしたので、ひとまず安心とばかり引き上げてきたが、後日談によると、不幸にも同室となった者達は惨々なめにあったらしい。
 そして、旅行の一日目の夜は、所長に知られることもなく、無事に済んだのだが、二日目の夜はどうにもならなかった。
 次の日も、昼間のバスの中では、前沢係長はずっと眠っていて、おとなしいものだったが、夜 夕食をしながらの大宴会を、所長は用意していたのである。
 おっさんは、前沢係長の暴れ出すのを確信していた。
 よせばいいのに、その酒乱ぶりをしらない所長は、皆をねぎらうつもりであったのか、ビールや酒を充分すぎるほど準備して、ご丁寧にも自ら酒を注いでまわっていたのである。
 そして、当然のようにその時はやってきた。
 日本酒を、とっくりごと一気に飲み始めた前沢係長の目は、焦点が定まらなくなり、全身痙攣を起こしたミミズのような形になった。 
 こうなると、もう手がつけられない。
 片手にビール、片手に酒とっくりを持って交互に飲みだし、時々むせては、志村けんのコントみたいに、口から酒とビールをタレ流すものだから、着ていた旅館の浴衣はびしょ濡れとなり、見かねてビール瓶を取り上げようとした新入社員の首を両手でしめはじめたのである。
 それを間近で見た、所長をはじめ皆の目は点になっていたが、おっさんはすかさず、前沢係長をすでに、羽交い締めにしていた。
 つまり、背後から両手を脇の下へ通し、首の後で手を組み合わせ締め上げたのである。
 こうすると、両手は自由がきかなくなる。
 怒った前沢係長は「お前は、そんなヤツかっ!」と、いつものセリフを吐き、おっさんへと攻撃目標を変えた。
 ものすごい馬鹿力で、羽交い締めを振りほどくと、おっさんにつかみかかってきたのだ。
 ちなみに、おっさんは柔道初段であるが前沢係長は三段である。
 体格も身長こそ同じ位だが、体重は二十キロばかり係長が思い。けれども何も考えず不用意に組み付いた前沢係長の体勢は、おっさんの得意な体落としという柔道技をかけるのに、これ以上ないというつくり(体の崩れ)になっていたのである。
 そして、技は映画のワンシーンを見るかのように見事に決まり、そのまま寝技の袈裟固めにおさえ、係長の右腕を素早く両足で挟み腕の関節を極めた。
 すると驚いたことに前沢係長は急に大声を上げて泣き出したのである。
 ポロポロと涙を流しながら、腕の骨が折れたと、わめき痛い痛いと大げさにくり返すのである。
 おっさんは確信していた。折れてなどいない、人間の腕はそんなに簡単に折れはしないし、そんなに強い力を入れたわけではなかったのだ。
 だが、全員の見ている前である。係長があんまり痛がるので、直ぐにわ技をはずし、おっさんは「すいませんでした。」と謝った。

エレベーターの扉に挟まれ、カエルの腹這い

 闘志むきだしだった社内の戦場ムードは一転して、お葬式の様な暗く沈んだものとなり、ほとんど会話もなく、しばらくは皆ゾンビにでもなったかのように黙々と仕事をしていた。

 けれども、月日の流れは実に早く、あっと言う間に夏は過ぎ、秋の慰安旅行シーズンはやってきた。
 一難去ってまた一難とは、よく言ったもので、おっさんにとっての、やっかい事は次から次へと不思議なように押し寄せて来るのであった。

 夏のイベントの失敗ということもあって、所長は景気づけのつもりか、二泊三日の小旅行を計画していた。
 そして長野支社一行は、長良川温泉経由で新潟をまわって帰ってくるという豪勢な旅へと出発をしてしまったのである。
 
 一台の大型バスを2日間貸し切り、日常のストレスを解消しようという、所長の思いやりだったらしいが、これが裏目にでた。
 昼間から社内で酒が飲めるのである。
 こんな贅沢など、普段は望むべくもない。
 もちろんのこと、ビールも日本酒もウィスキーから軽いおつまみまで充分すぎるほど会社から用意されていた。
 そしてカラオケ大会だのゲームだのと、大いに盛り上がった。
 ここまでは順調だったのである。
 所長としても、楽しく騒ぐ社員たちを、ほほえましい笑顔で見守りながら嬉しそうだった。
 あの前沢係長でさえ、バスの中では単なる陽気な酔っぱらいの一人にすぎなかったのだ。
 さすがの所長も、この時ばかりは、「前沢、酒を飲むな。」とは言えなかった。
 彼は、前沢係長の酒乱ぶりを目にしたことは、この時点ではまだ無かったのである。
 だが、おっさんは、バスの車内にいるときから、すでに嫌な予感がしていた。 
 前沢係長。その人の酒乱ぶりを最も多く経験し、いやと言うほど見てきたのは、おっさんなのである。
 いつ暴れはじめるのか?それは突然やってくるのである。
 目の前で、その張本人は、酒を楽しそうに飲んでいる。おっさんとしては何杯ビールを飲もうとも、決して酔えたものではなかった。
 何の関係もない、全く知らない通りがかりの他人に、いきなりつかみかかり、拳を振り上げたのを、何度止めたことだったか。バスの中といえども決して油断はできないのである。
 それこそ、所長に対して、殴りかかったとしても何の不思議もないのである。
 だが、幸いにも、旅館へ到着するまでは、何事もなく済んだ。 
 けれども、当然のことながら、その時はやって来るのである。
 旅館での夕食が終わり、三時間ほど経過したとき、おっさんの所へ血相を変えて飛んできた新人社員は叫んだ。
 「前沢係長がっ、大変です!すぐ来てください。」
 「どうしたんだ?」と聞くも愚かな質問をおっさんがすると「とにかく、あのままではどうにもならない。他のお客さんの迷惑になります。」という返事である。
 また何かやらかしたのかと考えながら急ぎ足でついて行くと、「ガチャン・ガチャン」と耳障りな音が聞こえてきた。
 例によって、案の定、前沢係長はその酒乱ぶりを発揮していた。
 エレベーターの扉に挟まれながら、またあのカエルの腹這い状態になって寝ているのである。おっさんは開口一番に怒鳴っていた。
 「前沢係長っ!いい加減にして下さい。俺も怒りますよ。」

不正発覚!! ハワイ旅行辞退!!

 このイベントは、最終日を一週間後にひかえた時点で、長野支社にとって最悪の結果を招いた。
 不正が発覚したのである。
 それも不名誉極まりなく責任者によっての不正である。
 田中という、その責任者は幼児課二係の主任二級で二十四歳、勤務年数四年。甘いマスクと長身でスマートな彼は、社内の女子社員の憧れの的であり、一番人気の責任者だったのである。
 むろん、女子社員に限らず、その仕事ぶりは男性社員からも尊敬されていたし、所長の信頼も厚い将来を有望視されていた優良社員だったのだ。
 その事実を知らされたとき、誰もが顔を見合わせて、信じられないという様子だった。
 彼が何をしたのか簡単に言うと、部下である係員の女子社員の契約を、3件ほど自分のものとして申告していたのである。
 彼の係には、超大物新人と目されるトップセールスマンの卵と誰もが認める女子社員がいた。
 彼女の海外旅行の目標達成は驚くほど早かった。イベント期間のまん中あたりでクリアしていたのである。
 ところが、その係の責任者だった田中主任はスランプに陥っており海外目標達成が危なかったのだ。
 そこで、軽い気持ちでしばらくオーダーを借りておこうとそんな小細工をしてしまったのだ。
 その超大物新人の女子社員は、まったく知らなかったという話だったが、実際のところは謎なのである。
 どうしてそう思うのか・・・ いくら係の主任といっても自分の契約したオーダーの処理を他の人間にまかせるということは考えにくいのである。
 つまり、自分の仕事の一番重要な部分を優秀な営業社員が他人にやらせていたわけである。
 これは推量にしかならないが、二人の間で何らかの話し合いがなされていたと考えるほうが自然なのでる。
 けれども、これは決して許されるべきことではない。
 事の重大さを知った所長は、全社員を集め緊急会議をひらいた。
 「まず皆さんに謝ります。このような失態の責任は、この支社の総合管理者としての私の責任であり、社員育成の指導力のなさによるものであります・・・。」
 延々と謝罪の意志を述べたのち、所長はこれからどうするかについて、全社員に問いかけた。
 しかし、誰も発言するものはなく、長い沈黙の後、所長が結論を出した。
 「これは、皆さんへのお願いなのですが、今回のハワイ旅行のイベントを長野支社は辞退するという形をとりたいと考えています。異論のある人は遠慮なく意見を発表していただきたい。」
 不思議なことに所長のこの考えに反対する者は一人もいなかった。
 目標達成をしていた営業社員全ての気持ちは分かりようもないが、不正のあった支社の社員として海外旅行組へ参加しても、気持ちの良い旅にはなり得ない。
 ちなみに、この時もちろんおっさんは目標達成していた。他の係員四人はもう少しという者もいれば、全く無理だという者までいたが、まだ達成には至っていなかった。
 そして、田中主任は会社を辞めることになった。
 所長は、「心を入れかえて、やりなおせ!」と、ずいぶん説得したそうだが、本人の強い希望で自主退職という形にしてもらいたいとのことだった。決して悪い人間でもなく、イベントが終わったら自分が取ったオーダーから返すつもりでいたそうだが、認識が甘かったのである。