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掛け軸に向かって・・・

 おっさんは、なんだか弱い者いじめをしたイタズラ坊主のような形となってしまった。
 皆の視線が気になって、その場にいるのが辛くなった。その場の全員に非難されているように思えたのである。
 前沢係長はといえば、右腕は折れているから力が入らないのだと言うように、ダラリとさげたまま、未だに痛いと泣き声をにじませ、駆け寄って来た女子社員達に介抱されている。
 「そんなに力を入れたつもりはなかったんですが、大丈夫ですか?」と尋ねるおっさんを、まるで犯罪者でも見るかのように睨みつけ、救急箱にあった湿布薬を貼ってもらい、大ゲサにも包帯まで巻いてもらっていた。
 バツの悪くなった、おっさんは仕方なく宴会場を出て、自分の部屋へともどった。
 けれども、前沢係長の仮病は一時間もしないうちに発覚した。
 また暴れ出したのである。
 部屋にあるだけの枕や布団を人に投げつけているというのだ。
 なんとか逃げだして来た社員の話によれば、あの後、自室に戻され、三十分ばかり延々と所長に説教をされた前沢係長は、所長が帰るまでは、おとなしく静かで反省をしている様子だったが、所長がいなくなると、十分もしないうちに寝床から跳ね起き、「あの野郎っ!俺を馬鹿にしやがってっ!」と叫び声を上げたかと思うと、いきなり側で寝ていた社員たちへ、布団や枕を両手でつかみ上げ投げつけ始めたということである。
 部屋に入って見ると、床の間にあった花瓶は割れ、掛け軸に向かって小便をしている前沢係長がいた。
 まったく、酒が入ると何をやらかすのか理解のできない男であるが、おっさんお姿を見ると急に怯えてでもいるように、布団に入り寝たフリをした。
 おっさん達は、小便の跡がわからぬように雑巾がけをしたあと、部屋の者全員で相談をして、花瓶の弁償のこともあるからと、一応所長に知らせておこうという結論に至った。
 また暴れださぬようにと、おっさんはその場に残ることにして、所長へと伝達を頼んだ。
 所長が現れるまで、前沢係長の寝たフリはずっと続いた。
 部屋へと入って来るなり、「前沢、いいかげんにしろっ!」と所長が怒鳴ると、前沢係長は借りてきた猫みたいにモソモソと起き上がり、布団の上に正座をしてうなだれていた。
 それからまた、所長の説教が始まった。
 今度のは、かなり長く、二時間近くもかかる小言で、一緒に聞いていたオッサン達も、うんざりするほどだった。
 そして、やっと終わったかと安心したオッサンの耳に、聞きたくもない命が下った。
 「お前は、念のためにこの部屋に泊まってくれ。これ以上暴れられたら、たまらんから。」
 確かにその通りなのだが。この夜、オッサンは、ほとんど眠れず夜を明かしたのである・・・。
 だが、所長の命令により、やむなく魔よけ係となったオッサンの効果は絶大であった。
 所長が帰った後でも、今度ばかりはおとなしく、寝床へ入った前沢係長は寝たフリをしたまま、やがて大イビキをかき、本当に眠ってしまい、それから朝まで起き上がることはなかった。
 けれどもオッサンは眠れなかった。
 何故に、せっかくの慰安旅行へ来てまで、これほどに疲れなければならないものかと、つくづく嫌になった。
 この時ほど、勤め人の辛さを感じたことはない。