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エレベーターの扉に挟まれ、カエルの腹這い

 闘志むきだしだった社内の戦場ムードは一転して、お葬式の様な暗く沈んだものとなり、ほとんど会話もなく、しばらくは皆ゾンビにでもなったかのように黙々と仕事をしていた。

 けれども、月日の流れは実に早く、あっと言う間に夏は過ぎ、秋の慰安旅行シーズンはやってきた。
 一難去ってまた一難とは、よく言ったもので、おっさんにとっての、やっかい事は次から次へと不思議なように押し寄せて来るのであった。

 夏のイベントの失敗ということもあって、所長は景気づけのつもりか、二泊三日の小旅行を計画していた。
 そして長野支社一行は、長良川温泉経由で新潟をまわって帰ってくるという豪勢な旅へと出発をしてしまったのである。
 
 一台の大型バスを2日間貸し切り、日常のストレスを解消しようという、所長の思いやりだったらしいが、これが裏目にでた。
 昼間から社内で酒が飲めるのである。
 こんな贅沢など、普段は望むべくもない。
 もちろんのこと、ビールも日本酒もウィスキーから軽いおつまみまで充分すぎるほど会社から用意されていた。
 そしてカラオケ大会だのゲームだのと、大いに盛り上がった。
 ここまでは順調だったのである。
 所長としても、楽しく騒ぐ社員たちを、ほほえましい笑顔で見守りながら嬉しそうだった。
 あの前沢係長でさえ、バスの中では単なる陽気な酔っぱらいの一人にすぎなかったのだ。
 さすがの所長も、この時ばかりは、「前沢、酒を飲むな。」とは言えなかった。
 彼は、前沢係長の酒乱ぶりを目にしたことは、この時点ではまだ無かったのである。
 だが、おっさんは、バスの車内にいるときから、すでに嫌な予感がしていた。 
 前沢係長。その人の酒乱ぶりを最も多く経験し、いやと言うほど見てきたのは、おっさんなのである。
 いつ暴れはじめるのか?それは突然やってくるのである。
 目の前で、その張本人は、酒を楽しそうに飲んでいる。おっさんとしては何杯ビールを飲もうとも、決して酔えたものではなかった。
 何の関係もない、全く知らない通りがかりの他人に、いきなりつかみかかり、拳を振り上げたのを、何度止めたことだったか。バスの中といえども決して油断はできないのである。
 それこそ、所長に対して、殴りかかったとしても何の不思議もないのである。
 だが、幸いにも、旅館へ到着するまでは、何事もなく済んだ。 
 けれども、当然のことながら、その時はやって来るのである。
 旅館での夕食が終わり、三時間ほど経過したとき、おっさんの所へ血相を変えて飛んできた新人社員は叫んだ。
 「前沢係長がっ、大変です!すぐ来てください。」
 「どうしたんだ?」と聞くも愚かな質問をおっさんがすると「とにかく、あのままではどうにもならない。他のお客さんの迷惑になります。」という返事である。
 また何かやらかしたのかと考えながら急ぎ足でついて行くと、「ガチャン・ガチャン」と耳障りな音が聞こえてきた。
 例によって、案の定、前沢係長はその酒乱ぶりを発揮していた。
 エレベーターの扉に挟まれながら、またあのカエルの腹這い状態になって寝ているのである。おっさんは開口一番に怒鳴っていた。
 「前沢係長っ!いい加減にして下さい。俺も怒りますよ。」