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消防訓練

 八月一日の土曜の夜、九時から十二時半頃まで唄って以来、今日までオッサンはストリートにでていない。これからもしばらくは行けそうにない。
 いろいろな事情もあるのだが、現時点では消防訓練のまっ最中なので、とてもストリートへ出る時間がないのである。
 それならば訓練が終わってから行けばと言われそうであるが、とてもそんな気にはなれないのである。
 というのも、それなりに一生懸命でやっているので訓練が終わると、かなり疲れてしまうのだ。
 ということで、他に書くべき内容もないから、オッサン自身の独断と偏見により、オッサンのやっている小型ポンプ操法による消防訓練の様子を、オッサンの視点からオッサンのやっている部分についてだけ語っていくことにする。
 まずは、小型ポンプ操法とはどんなものかの説明を大まかにしておこう。
 もちろん、至極簡単にすませようと思うのでご安心願いたい。
 ようするに、小型ポンプという機械があって、この機械に給水管(水槽及び水源から水を吸い上げるためのパイプ)と消防ホース(吸い上げた水を放水するためのホース)をつなぎ、五十メートル程先の標的物(いわゆる火点)へと命中させるための訓練である。
 この一連の動作を四人の人間が分担し、いかにチームワーク良く、スムーズに素早く出来るようにするかが、この訓練の眼目である。
 この四人の内訳は、指揮者、一番員、二番員、三番員となる。
 指揮者とは、言うまでもなく指示する者、一番員とは消防ホースの係り、二番員は吸水管係、三番員は小型ポンプの発動と停止を行う。
 そして、オッサンはこの一番員なのである。
 なにが疲れるといっても、一番員が最も体力を使うのである。
 というのは、一番員は消防ホースの係りなので、小型ポンプへと消防ホースをつないで走るわけである。
 まず、小型ポンプにつないだ消防ホースを右脇に抱え、左脇にも、もう一本の新しいホースを抱えて走る。
 そうして走りながら頃合いを見て、右脇に抱えた消防ホースが伸びきる二、三歩手前で中腰の体勢をとり、左脇に抱えてきたホースとつなぎ、また走る。
 三つめの消防ホースを抱えて待機している指揮者の所まで走ったら連結部を受取りホースをつなぐ。そして、指揮者からの゛放水始め”と言う号令を待ち、号令が発せられ次第、再び小型ポンプまで走り゛放水始め”の伝令を機械員である三番員に伝えたのち再度、指揮者の元へ走り戻り伝達の完了を伝え、放水口を持って構えている指揮者の補助を行うというものである。
 そしてこの間のタイムが短ければ短いほど高評価されることになる。 
 であるから、一番員は、とにかく猛スピードで走り回っているわけなのだ。
 だから、訓練の終わる頃には、結構な疲労が残っており、とても、これから浜の町まで繰り出して、唄いまくるぞという気持ちにはなれないのである。

最高の誉め言葉

 さて、はじめて喫茶店でのライブに参加した夜のこと、オッサンを含めて五組の演奏者だったと思うが、これがかなりのレベルの高さであった。
 後から聞いたところ、オッサン以外の演奏者は、日頃から他のライブハウスであたりまえのように弾き語りをやっている人たちなのである。
 つまり慣れている。だから、なんの違和感も感じさせず、自然に唄い、のびのびと演奏をしているのだ。
 オッサンの出番は確か4番目だったと思うが、首すじと手のひらにジトーッと冷や汗をかきながら柄にもなくあせっていた。
 (この後に、どんな顔をして演奏してよいやら・・・たいして練習もしていないのに)その場を逃げだしたい気持ちを必死でこらえていた。
 「次ですよ」と言われてから、夢遊病者のような足どりで椅子に腰掛け、その喫茶店のギターを借りて弾き語りをはじめた。
 このとき、何をどういう風に唄ったのかオッサンは覚えていない。
 情けない話であるが、周りの演奏者が皆プロみたいに上手く、その演奏をした人たちがお客として自分の演奏を聞いていると思うとオッサンの思考回路はパニックを起こしてしまったようである。
 とにかく無我夢中で六曲ほどを説明もなにもせず一気に唄い終わった。
 やっと終わったと安心して、他の人の演奏を今度は少し余裕をもって聞いた。
 ところがである、五組の演奏がひととおり終わると、スピーカーやマイクの音量がバランスを調整してくれていた係りの人が、「はい、それでは、第一部は終了します。十五分の休憩をはさんで第二部となります」と言ったのである。
 ということは、もう一度演奏をすることになるのだろうか?
 どちらにしても、オッサンはもうしなくてよいのだろうと、勝手に決め込んで、ビールを飲んだり、軽食を食べたりしながら、すぐに十五分は過ぎていった。
 なにしろ、お客は全て演奏者なのである。
 むろん、この喫茶店はそれほど大きなスペースではないから、それでも満席に近い状態である。
 そろそろ休憩も終わり、次に唄うのは誰であろうかと、待っていると、後から肩をたたかれて次の演奏は、最初がオッサンであると聞かされたのである。
 「えっ、またオイが唄うてよかとですか?」
 「よかさ、あたりまえやろもん」
 というわけで、また五曲程を弾き語ったオッサンであった。
 もちろん、演奏の出来はガタガタである。準備もしておらず、適当に唄えそうな歌を選んでやったのだから、まともな弾き語りになるわけもないのだが、二回目は、オッサンも開き直っていて、まるでストリートで唄っている感覚で唄えた。
 結局、この日は全部で十一曲程を演奏したわけだが、オッサンとしては、出来、不出来よりも、気の済むまで唄えたという充実感があり、それなりの満足を覚えた。 
 なにより、一番嬉しかったのは、「あんた、よっぽど歌を唄うのが好きなんだねぇ、演奏を聞いていると、なんかこうにじみ出てくるね」と言われたことである。
 これは、その時のオッサンにとって最高の誉め言葉である。