ライブが終わってから一ヶ月間、おっさんはストリートにでませんでした。
あれほど自分の未熟さをしらされたら、いくらおっさんといえども落ち込まずにはおられなかったのであります。
それと、ライブの日にも自分の出番が終わってからのおっさんは、ただの酔っぱらいオヤジと化し、自分ではできなかったくせに、他のミュージシャンへは、アンコールを連呼し、少々うるさがられていた気もしていたからです。それに、おっさんは、どういうわけか酒が入ると言わなくてもいい、ドジ話とか、あとで後悔してしまうようなバカ話をしゃべってしまうクセがあるのです。
そんなこんなで、いろいろな事情から、しばらくは、あの演奏メンバーと顔をあわせたくなかったのであります。
ですが、それもわずかな間のことでありました。なにしろ、懲りるということを知らない男でありますから、またぞろ、変な虫が騒ぎだしてまいります。
そもそも、他人と自分を比べてどうするのか、プロでもあるまいしと、ひらき直り、酒の席のバカ話など覚えておらんで通してしまえと腹を決めたのでありました。
おっさんがストリートで演奏しはじめたのは、他人にどうこう言われたからではなく、自分がやりたいと思ったからなのです。
こんなことで、やめてなるものか、他人に迷惑をかけるのではよくないが、そうならない範囲で自分の好きなことをやるのが何が悪いかっ!と、おっさんには、何に対してだかわかりませんが、怒りにも似た闘志が湧いてきました。
というのも、おっさんにはひとつのこだわりがあったのです。
もう二十年近く前のことですが、まだ、おっさんが青年サラリーマンだった頃、社員研修の一つとして、あるビデオテープを見せられました。
それに映っていたのは、なんでも、京都の名物和尚ということで、二十分くらいの短いものでしたが、それで充分おっさんの、それまでの人生観は、真反対と言ってもいいほどに変えられてしまったのであります。
なにしろ、その坊さんは、画面へと映るなり、「ワァー、でいいじゃないかっ!」と大声で叫んだのです。おっさんは驚きました。
(なんだ、この坊主、気でも狂っているのか?)と、固唾をのんで見ていると、坊さんはこう続けます。
「手も足も動かない人はどうするんですか、なんにもできないで終われるんですか、ワァーでも、ギャーでも、なんでもいいやないですか、わしら、せっかくこの世界に生まれてきたんや、どんな状況にいたかて、せいいっぱい、自分ちゅうもんを主張していかんならんのとちゃいまっかっ!」と、まるで岡本太郎が坊さんになったか。と思うくらいの迫力でテレビ画面のこちら側にいる、おっさん達に怒鳴りまくっているのです。
おっさんの目は、画面へ釘ずけとなり、これはただ者ではないぞと、耳はダンボの耳となり、鼻は・・・・鼻は、ふつうでした。
とにかく一言も聞き逃すまいと集中して、よくよく聞いていると、つまり、その人は、自分の能力にタガをはめず、伸びのびと生かせと説いているのです。
そして場面はかわり、川辺に立った坊さんは、今度は静かな口調でこう語りました。
「何か特別なことをしろと言うのじゃないんです。何かのために物事をしようとするよりも、どんなことでもいいからやってみたいと思うことを見つけなさい。たとえば、こういった川原の小石をいくつ積み上げられるか、それでもいいんですよ。我を忘れるくらい熱中できれば、その瞬間 その人の生命は光り輝いてるんです。」
おっさんは感動しました。そして困ったことに、それがそのままおっさんの美学となってしまったのでございます。