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磯部という人物

 今でも、小林係長宅はオッサンの理想の家庭像として残っている。
 しかし、人間関係というものは不思議なもので、オッサンとはまるで旧知の友人のように何でも話す小林係長が、磯部主任(中学課二係の責任者)とは、仲が悪いとまではいかないものの、それほど親しい付き合いをしてはいなかった。
 それというのも、磯部主任は前の所長(ヘッドハンティングにより他社へ移った人物)と親交が深く、小林係長としては、いつまた前所長のもとえ行くかわからぬという不信感をぬぐえなかったようである。
 以前の松本支社というのは、所長派と小林係長派で対立していた部分があったらしい。
 つまり、この磯部主任という人は、完全な所長派だったのだ。
 けれども、その誤解は次第になくなっていった。
 偶然にも、オッサンとは同じ年のこの磯部という人物は、それほど悪い人間ではなかったのだ。
 仕事では、ライバル関係にあったが、オッサンと考え方が似ており、会社への貴属意識が高く、義理人情を重んじるタイプの男だったのである。
 その上に、オッサンとは似ても似つかぬハンサムボーイで独身ときている。
 であるから、女性の社員にはやたらに意識されており、実際モテていた。
 たしか事務の女子社員とも付き合っているとかどうとかと言う噂も聞いたことがあるが、オッサンは知らないフリをしていた。そんな事は、プライベートなことであり、仕事に支障をきたさない限り、余計な詮索である。
 妙にオッサンとは馬が合い、よく飲みにも行った。
 小林係長も、オッサンが加わると何のこだわりもなく、参加していたし、行きつけの店にも招待してくれたものである。
 何度となく、三人で飲み会をしているうちに磯部主任も小林係長も打ち解けた関係となり、立ち入った細かい話もするようになった。
 たとえば、前所長からの誘いはあるか。だの、もし移る気があるなら知らせてくれ。だの、小林係長は、聞きにくい事を何のこだわりもなく尋ねるようになった。
 つまり、オッサンとまったく同じスタンスで会話をするようになっていったのだ。
 磯部主任の方も、これまた正直な男で、前所長からの誘いは度々あり、今でも電話でやり取りをすることもあると告白していた。
 「あの人は、あの人だし、俺は俺ですから。申し訳ありませんが、この会社を辞めるつもりは、これっぱかしもありません」と冗談めかして答えていた。
 人間というのはわからないものである。ちょっとしたキッカケで、疎遠になったり、近しくなったりするものなのだ。
 前にも言ったとおり、オッサンはあんまり他人のプライベートに関心をもたない質の男だが、小林係長は逆で、親しくなると、何でも知りたくなるようで、根掘り葉掘りとプライベートな事を、好奇心まるだしで、ズケズケと細かくきいていた。
 これについても、酒が入っているせいか、嫌がりもせずスラスラと磯部主任は話した。
 オッサンは聞く気もなしにいたのだが、すぐ横にいるのだから、二人の声は嫌でも耳に入る。
 驚いたのは、半年程前には、五人の女性と同時に付き合っていたとのことだった。
 さすがに今は三人ですと言っていたが、一人の女性にさえ振り回され、なんとも言えず疲労感を覚えたことのあるオッサンとしては、うらやましいと思う反面、まるで地獄を見るような気がしたものだ。

小林係長

 ここで、まずは小林係長という人の人となりを話しておこうと思う。
 というのも、オッサンはこの人にかなりお世話になったからである。
 前沢係長も変わった人だったが、この小林係長は、もっと変わった人だった。
 自分が興味をもったことは、どんなことであれ、とことん追求する人で、自分にとって何か得るものがあると感じたら、どれほど年の離れた若者にでも、それこそ子供にさえも頭を下げて教えを請うという、おそるべき素直さを持つ四十代の中年男である。
 もちろん妻帯者であり、たしか、このとき小学校一年生と四年生になる姉妹がいたと思うが、結婚して十二年目だということだった。
 実は、この人のおそるべき素直さは家系的・遺伝的とでもいう要素があった。実家は、松本でも有名な地主で、父親は市会議員だということだったが、親類一同が占いを強く信じる家系だとかで、大切な事は全て占い師に相談をした上で決定するという占い至上主義とでもいうような家系だそうである。
 当然のように、結婚するときにも、地元で名の知られた占い師に見てもらったが結果は良くなかった。
 家族はおろか、親戚からの猛反対の中、あきらめきれず六人もの占い師を渡り歩き、その六人目の占い師が、「悪いことは言わないから、この結婚はおやめなさい」と言われたとき、小林係長は腹を決めたという。
 「わかりました。あなたの言われる通り、私たちの将来には何らかの不幸が待っているのでしょう。けれども、その不幸は僕らにとっては幸福です。何があろうと二人で乗り越えてゆきます」と、占い師にむかって言ったそうである。
 ちなみに、この占い師はこの言葉を聞いて、「このお兄さんなら大丈夫。どんな不運もはねのけるだろう。あんた、いい人見つけたね」と、奥さんに言ったそうである。
 小林係長は、長男であり跡取りであったそうだが、全てを弟へと頼んで、家を飛び出している。
 つまり、駆け落ちというやつである。まるでベタなメロドラマそのままの馴れ初めだ。
 にわかには信じられない話だと思うだろうが、小林係長という人間を見たなら、誰しも納得すると思う。
 竹を割ったような性格とよく言うが、この人の場合、割り箸を割ったような、わかりやすい性格である。
 いうまでもなく、オッサンはこの人から多大な影響を受けている。
 毎週、一度か二度は晩ごはんを食べに来いと、自宅に呼ばれたものである。
 それも、何のかんのと理由を付け断りながらである。
 小林係長の言うなりになっていたら、毎晩行かなければならなくなるのだ。
 むろん、嫌いな者を呼ぶわけもないだろうから、オッサンは気に入られていたのだろうが、さすがのオッサンでも、毎晩おじゃまするほど、ずうずうしくはなれなかった。
 けれども、小林係長宅は、いつ行っても笑いがとぎれず、明るく楽しい食卓だった。
 三年前に、奥さんが体調を崩し、病院通いをしていると言っていたが、よくよく話を聞いてみると、死ぬか生きるかという時期もあったのだそうだ。
 このとき小林係長は、あらゆる健康法の本を、狂ったように読みあさり、インド古来の医療で、アーユルベーダーというのを見つけだし、その考えに基づいた体質改善を奥さんへと徹底して行ったそうである。
 その甲斐もあってか、病状はかなり軽減したという。
 だから、この家は家族全員が、生きていることを心から喜んでいるという雰囲気があった。

それにしても誉めすぎ

 オッサンにしてみれば、新人の頃の自分を知ってる人がいるということは、大変に有難いことであり、決して嫌なことではない。
 オッサン自身も融通がきかず、気転がきかず、すこぶる要領の悪い自分が、ただ気合いと根性だけで、よくここまで営業で生き残ってこれたものだと思っていたのである。
 たとえば、長野支社に入って来た五十名の新人社員は、一年間で三分の一以下に減る。そうして残った十数名も二年目には六人くらいになってしまうのである。
 小山主任も、そういう事情を踏まえた上でよくもまあ頑張って責任者となり、係長という幹部社員にまで出世できたものだと、名古屋研修でのオッサンのドジ話を懐かしんで語っていたわけである。
 しかるに、これを、もってまわったように敬語を使って話していると、第三者から見れば、まさに慇懃無礼に映るわけである。
 案の定、横で話を聞いていた小林係長は、腹を立てたようで、
「そうだよ、今度君が会うときには、間違いなく所長になっているだろうから、今のうちに、せいぜいゴマをすっておいたほうがいいよ。」と言って、無理に口をはさんで来たかと思うと、それからは延々と松本支社の建て直しが、どれほど大変だったかを力説し、それに対してのオッサンの貢献を、大げさにまくしたてた。
 かわいそうなことに、小山主任も、話を途中で切り上げられず、まるで小林係長から説教されている感じとなり、タジタジのていで引き上げていった。
 仲間意識というのが多分にあったと思うが、それにしても誉めすぎであり、オッサンはなんだか、ケツの穴がむずがゆくなった。
 そして、これも余計な話なのではあるが、忘れてはいけない前沢係長である。
 当然のごとく、全国の優良責任者の集まるこの会場には、あの前沢係長も来ていたのである。
 ただし、所長も一緒に来ていた。
 その他にも、中沢係長、丸山主任と来ていたが、所長は前沢係長の横にピッタリとはりつき、酒は一滴も飲ませないと完全にマークしている様子が見てとれた。
 というのは、小林係長とオッサンが長野支社のテーブルへと挨拶に行き、前沢係長へとビールをつごうとしたとき、「こいつは、今日は禁酒だから、なっ前沢係長」と言って止めたのである。
 何も知らない小林係長は、「まさか、そりゃあないでしょう」と、さらにビールを注ごうとしたが、所長は頑として撥ね付けた。
 「後で事情は聞いてくれ、とにかく今日はダメだ」と言った。
 そのとき小林係長は、怪訝な顔で所長を見ていたが、その後、オッサンから前沢係長の酒乱ぶりを聞いて納得した。
 「ほんとうかい、そりゃあ、かわいそうだが、しかたがないね」
 「そうなんです。所長もこんな席で恥をかきたくないでしょうから、こちらへ来る前から、絶対に酒は飲むなと約束させたはずです」 
 「そうか、爆弾抱えてるようなもんだな。長野支社もたいへんだ。そりゃあ」
 小林係長は納得しながらも、信じられないというように首をかしげていたが、この三ヶ月後に行われた、長野支社と松本支社との合同慰安旅行で、その実態を知ることになる。
 このときの様子は、また、これからじっくりと話していくことにしよう。 

優良責任者

 であるから、オッサンが係員へと、口を酸っぱくして耳にタコができて落ちるくらいにしつこく言ったことは、「商品を細かく詳しく知って、好きになれ!」ということだった。
 前にどこかで聞いた気がするかもしれない・・・ そう、これはあの前沢係長からオッサンへの最初のアドバイスなのである。
 「商品を良く知り、商品に惚れこめ。決して売ろうとするな、その商品を説明することに徹しそれに喜びを感じろ!」
 けだし、これは名言である。
 セールスマンとして、さすがに一流と言われる人間の経験と実感がこめられている。
 もしも、商品説明を終えてから、そのお客には必要ないものだと解ったら、説明する時間をいただいたことに感謝し、次の家へと回る。オッサンの営業はこのくり返しだった。
 訪問セールスにとって、三種の神器にも匹敵する重要な要素とは、脚と誠意と負けん気なのだ。
 はたして、半年後にはオッサンの中学課三係からは、責任者が生まれ、中学課は四係となった。
 そして、オッサン自身も、主任一級から係長三級へと昇格。松本支社は、ゆるぎのない土台をかためた。
 海外イベントもすんなりと達成させ、六名もの人間がヨーロッパ七泊八日の旅を満喫した。
 話が、少しまた横道へとそれるが、一つ変わったエピソードがあったのでご紹介しておこう。
 小林係長とオッサンは、海外旅行を終えて、しばらくしてから、全国の優良責任者として、京都の宝ヶ池プリンスホテルでの豪華なパーティーへと招待されたことがあった。
 本部、代表取締役社長じきじきの挨拶の後、数人の芸能タレントのショーを見て、なるほど豪華なバイキングが始まった。 
 簡単に言うと、パーティー会場のぐるりに、すし屋やら、ステーキ屋やら、フランス料理、イタリア料理、ケーキ屋・・・etc
の専門職人が揃い、注文されたものをその場で料理してくれるのである。
 オッサンは、食いしん坊なので、すし、ステーキ、ケーキ、スパゲッティ・・・と、それこを節操もなく注文し、テーブルに並べられるだけの皿を並べ、食べれるだけ食べていた。
 すると、「どうも、お久しぶりです」と言ってビールを持って挨拶をしに来た人がいた。
 バリッと三つ揃えのスーツを着こなした三十代半ばの紳士である。
 オッサンには見覚えがなかった。
 (お久しぶりって?こんなヤツ知らねえぞ。誰かとまちがえてるんじゃないの?)
 「いやぁ、まさか、あの新人社員がこんなトップセールスマンになるとは思ってませんでした。覚えてませんか?あのとき名古屋研修から長野支社へ引率した小山です。」
 (あっ、あのときの・・・ えらそうなヤツだ。思い出したぞっ!)
 天然ボケなオッサンの頭にも、いやに威張った感じのした昔の小山主任の記憶が蘇った。あれからもう三年が過ぎていた。
 「あなたは、声がやたらに大きかったし、要領も悪い方だったから、インパクトがありましたが、営業には向いてないと思っていました。私のとんでもない誤りです。いや、おなつかしい、実は同姓同名の別人だと思っていたんです。こうして会ってみると、まちがえはない」
 年令は、オッサンよりも一回り上だが、この人は希望して内勤に入ったため役職は主任のままなのである。
 オッサンは、若輩とはいえ、係長であり、役職が上となるから、嫌でも敬語を使って話しているわけだ。
 この会社では、営業以外で昇格はないのである。話し方こそ丁寧だが、その内容は少々、馬鹿にしているようにも思えた。

三人でのトップ争い

 松本支社での営業第一日目からオッサンの進撃は始まった。
 むろん、係員を逆同行したり、させたりしながらである。
 責任者である以上は、決して自分の営業成績だけを追求することは許されない。係員を育てながら営業成績をつみ上げてゆくのだ。
 初日に、契約が二件とれた。そして二日目も二件、三件目は一件。なんと一週間で十一セットの契約がとれたのである。
 これは、前沢係長と互角のペースなのである。オッサンは自分でも驚いていたが、長野支社での自己最高記録をはるかに上回る営業成績を叩き出したのである。
 これを見て、松本支社の中学課一係の小林係長は目の色を変えた。この人は前沢係長と並ぶ、全国でのトップセールスマンなのだが、恐ろしく謙虚な人だった。
 「どんなやり方したら、そんなに契約がとれるんだ?」と言って、毎朝オッサンを見つけると、ロールプレイを聞かせろと、しつこいほどの研究心で何度もオッサンの下手な営業トークを聞いては、頭をかしげ、テープに録音しては考えていた。
 こうなると、もう一人の責任者である中学課二係の磯部主任も面白くはない。これまで小林係長と二人で松本を守って来たという気持ちもあったことだろうが、ハッキリとしたライバル意識を示した。
 一ヶ月目こそ、オッサンのダントツだった営業成績が、二ヶ月目、三ヶ月目とたつうちに、オッサンと磯部主任は、どちらがトップを取るかと、セリ合うまでになっていたのである。
 もちろん、小林係長が絶好調のときは、オッサンも追いつかないことがあったが、それほどの差がつくわけではなかった。これは磯部主任も同じである。つまり、毎月が三人でのトップ争いとなったのである。
 一番、喜んだのは言うまでもなく田川課長代理である。
 これまでなんとか続いていたという感じの松本支社の暗い雰囲気は消し飛んで、俄に活気づいてきたのである。
 これは係員達にも飛び火した。
 というのも、毎朝オッサンの元気だけが取り柄のロールプレイ(営業トーク)を聞いて、係員たちはこれで、あれだけの営業成績が上げられるのだから、自分たちにも出来ると確信をもったというのだ。
 これは半年後に達成した、海外旅行イベントの打ち上げの席で、はじめて耳にした、ある小学課一係の新人が打ち明けてくれた話しだが、実際オッサンの営業トークは上手いわけではない。
 逆同行や同行を何度も行ったオッサンの中学課三係の三人の係員も、その感想を聞くと同じ様な、失礼極まりないことを言っていた。だが彼らも流石に馬鹿ではない。
 大事なポイントはつかんでいたようである。
 彼らが言うには、話はとりたてて変わってもおらず、営業トーク自体は上手いとは思わないが、妙に熱がこもっていて説得力がある。
 と言う者や、後に付いて実感したのが、オッサンは商品を売ろうとしているんじゃなく、商品の説明を楽しんでいるように見えたとのことだった。
 オッサンは逆同行や同行をした甲斐があったと思った。
 彼らは、彼なりに真剣に観察をしていたのである。
 コイツらは使える。伸びるぞという手ごたえを感じた。
 そうなのである。オッサン流の営業はすべからく気持ちから入っていくのである。
 そこには、テクニックやら、要領の良さなどはなく、どれだけ自分の説明している商品に惚れこみ、その商品説明を聞いてもらえることに喜びを感じられるかが勝負なのだ。
 買うか、買わないかは、お客様が決めることなのである。