であるから、オッサンが係員へと、口を酸っぱくして耳にタコができて落ちるくらいにしつこく言ったことは、「商品を細かく詳しく知って、好きになれ!」ということだった。
前にどこかで聞いた気がするかもしれない・・・ そう、これはあの前沢係長からオッサンへの最初のアドバイスなのである。
「商品を良く知り、商品に惚れこめ。決して売ろうとするな、その商品を説明することに徹しそれに喜びを感じろ!」
けだし、これは名言である。
セールスマンとして、さすがに一流と言われる人間の経験と実感がこめられている。
もしも、商品説明を終えてから、そのお客には必要ないものだと解ったら、説明する時間をいただいたことに感謝し、次の家へと回る。オッサンの営業はこのくり返しだった。
訪問セールスにとって、三種の神器にも匹敵する重要な要素とは、脚と誠意と負けん気なのだ。
はたして、半年後にはオッサンの中学課三係からは、責任者が生まれ、中学課は四係となった。
そして、オッサン自身も、主任一級から係長三級へと昇格。松本支社は、ゆるぎのない土台をかためた。
海外イベントもすんなりと達成させ、六名もの人間がヨーロッパ七泊八日の旅を満喫した。
話が、少しまた横道へとそれるが、一つ変わったエピソードがあったのでご紹介しておこう。
小林係長とオッサンは、海外旅行を終えて、しばらくしてから、全国の優良責任者として、京都の宝ヶ池プリンスホテルでの豪華なパーティーへと招待されたことがあった。
本部、代表取締役社長じきじきの挨拶の後、数人の芸能タレントのショーを見て、なるほど豪華なバイキングが始まった。
簡単に言うと、パーティー会場のぐるりに、すし屋やら、ステーキ屋やら、フランス料理、イタリア料理、ケーキ屋・・・etc
の専門職人が揃い、注文されたものをその場で料理してくれるのである。
オッサンは、食いしん坊なので、すし、ステーキ、ケーキ、スパゲッティ・・・と、それこを節操もなく注文し、テーブルに並べられるだけの皿を並べ、食べれるだけ食べていた。
すると、「どうも、お久しぶりです」と言ってビールを持って挨拶をしに来た人がいた。
バリッと三つ揃えのスーツを着こなした三十代半ばの紳士である。
オッサンには見覚えがなかった。
(お久しぶりって?こんなヤツ知らねえぞ。誰かとまちがえてるんじゃないの?)
「いやぁ、まさか、あの新人社員がこんなトップセールスマンになるとは思ってませんでした。覚えてませんか?あのとき名古屋研修から長野支社へ引率した小山です。」
(あっ、あのときの・・・ えらそうなヤツだ。思い出したぞっ!)
天然ボケなオッサンの頭にも、いやに威張った感じのした昔の小山主任の記憶が蘇った。あれからもう三年が過ぎていた。
「あなたは、声がやたらに大きかったし、要領も悪い方だったから、インパクトがありましたが、営業には向いてないと思っていました。私のとんでもない誤りです。いや、おなつかしい、実は同姓同名の別人だと思っていたんです。こうして会ってみると、まちがえはない」
年令は、オッサンよりも一回り上だが、この人は希望して内勤に入ったため役職は主任のままなのである。
オッサンは、若輩とはいえ、係長であり、役職が上となるから、嫌でも敬語を使って話しているわけだ。
この会社では、営業以外で昇格はないのである。話し方こそ丁寧だが、その内容は少々、馬鹿にしているようにも思えた。