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長崎支社閉鎖の通達

 オッサンが、馬鹿女などと、つい悪口を言ったのは、それまで信頼していたからである。
 彼女は、三年もの営業を経験し、希望して事務職についたベテランであり、50代の所長役の事務がやめたあと、よくやってくれていたものである。
 営業をする人間の負担を減らすべく、気転を利かして便宜を計ってくれる心強い仲間であると思っていたのである。
 だが、単なる会社の手先でしかないのだ。
 おそらく、オッサン達の行動予定を、内緒で伝えていたのだろう。
 会社からも知らせずにという指示が出ていたはずである。
 だから、「知っていようが、いまいが関係ないでしょう?」などと、苦しまぎれに惚けているのである。
 これは裏をかえすと、オッサン達が会社に信用されていないということを意味する。
 もし、他の支社が回って成績を上げられたとしたら、そして長崎支社は結果を出せていないとなれば、長崎のヤツらは、しっかり仕事をしていないと見なされるわけだ。
 ちなみに、市場を荒らしまわってくれたのは佐賀支社の者たちだったが、一ヶ月近くで、やはり惨敗して帰っていった。
 もちろん、オッサン達には、なんの挨拶もなくである。
 彼らも会社からの指示によって動いただけなのだろうが、オッサン達にとっては、気分の悪いことこの上ない出来事であった。
 長崎市場は厳しいのである。他の支社の優れた営業マン達といっても、そう簡単に結果の上がるようなところではないのだ。
 この点に関してはオッサンには確信があった。
 なぜなら、毎日、一生懸命に市場をまわっていたからわかるのである。
 この頃から、オッサンの頭の中には、会社に対する不信感が生まれていった。
 たとえ、必要があったとしても、こういうやり方は、オッサンは嫌いなのだ。
 こうして、一年間が過ぎた。
 
 会社から、長崎支社閉鎖の通達が来たのは、一年と三ヶ月程してからだった。
 一人辞め、二人辞めとやめて行ったあと、残ったのは、幼児課一名、小学課二名、中学課二名である。
 オッサンを含めた、この五名が最後の最後まで残っていた。
 一台のワゴン車に乗って、五名で同じ市場を分け、行動した。
 後で聞いた話だが、幼児課の女子社員と小学課二名の女子社員は、長崎外語短大の同期生で、ある時期に会社を辞めようかと相談し合ったことがあったそうである。
 この時、小学課の一人が、オッサンは信用できる男だからと他の二名を引きとめ最後まで残ろうと決めたのだそうだ。
 これは、オッサンにはどうにも信じられない。その引きとめたという女子社員は、何度もオッサンを喫茶店に呼び出し、仕事の不満や愚痴を聞かせ、オッサンのことを責任者とも思っていないような女だったのだ。
 責任者としての最低ラインぎりぎりの営業成績を必死で維持していたオッサンに、負けずおとらずの数字こそ上げていたが、車を運転しているオッサンの髪の毛を後の席からヘアバンドで束ね、「ダイゴロウ」などとアダ名をつけて、笑っているようなヤツなのである。
 出発前に、「今日も一日元気で楽しくお客様との会話のキャッチボールをっ!」と気合いを入れて出ようとすると、目の前の机のビニールマット下に、まるまる画用紙一枚の大きさで「カギ」と書いてあったので、「何だこれはっ!」と聞くと、係長はよくカギを忘れるから用心のために書いたと、当たり前のような涼しい顔をして、すましているような、そんな女子社員なのだ。
 まったくの友だち感覚だった。

青天の霹靂

 だが、わざわざ喫茶店へとオッサンを呼び出す場合、彼女たちに会社を辞めようという気持ちはない。ああでもない、こうでもないと仕事の愚痴や弱音を吐いたあげく、「元気が出ました。明日から、また頑張ります」と自分で勝手に結論を出すのである。
 オッサンは、ただ「そうか、大変だよな」とか「がんばってるな」とか、適当なあいづちを打ちながら、彼女達の気が済むまで話を聞いているだけである。
 もちろん、一対一ではない。オッサンは一人だが、向こうは必ず二人か三人か、ときには五人という場合もあった。
 ちなみに、オッサン達の長崎支店の事務所は、坂本町の片足鳥居から、歩いて二、三分のところにあったから、その付近に喫茶店と言えば、一、二件くらいしかない。知っている人にはすぐにわかるだろう。
 一人の男が数人の女に、何か文句を延々と言われ続けているような絵が浮かぶだろうと思うが、店の人は、この光景をどう見ていたのかと考えると、あぶら汗が出てきそうである。
 ようするに、彼女達は、今現在の自分たちがどんな心境で、どんな大変さを感じているのか、それをオッサンに知ってもらいたいのである。
 つまり、そうやって、ストレスを発散し、心のバランスを保っているのだ。
 だから、辞めようと思ったら、相談することなく、即座に意志を表明し直ぐに辞めていった。
 このあたりは、キッパリとしたものである。
 男だと、なかなかこうはいかない。彼らが辞める場合は、何ヶ月か悩んだ末の結論というのが多い。そのかわり、仕事の愚痴や弱音を上司に話すこともない。
 自分の中で、悶々と悩んでいるものである。
 責任感というのが頭をもたげてくるのだ。
 しかし、中には無責任を通りこした甘ったれもいるもので、数日間無断欠勤をした後に、母親に電話をかけさせ、辞意を伝えさせたヤツも居た。
 もちろん、何度も本人を電話に出すように、母親へ交渉したのだが、無駄だった。
 母親も母親なら、息子も息子で、どうしようもないマザコン男である。
 あいた口が塞がらないとは、こういうときのことを言うのだろうが、多少なりとも関わりあったものとして、せめて、自分で辞意くらいは表明するという、そういうあたりまえの社会常識くらいは教えてやりたかったが、いくら言っても本人はでてこないので、仕方がない。母親に了解した旨を伝え、辞めさせた。
 かわいそうなもので、こんな男は、他に何をやっても、このままでは使いものにはならないだろう。
 バタバタと忙しい毎日の中で、いろんな事があったが、こうして八ヶ月間ほどがたったころ、まさに、青天の霹靂とも言える事が起こった。
 オッサン達が回っている現場を、他の支社の者がすでに回っているというのである。
 これが、どうしてわかったかと言うと、はじめて入った家で、「まったく同じ説明をついこの前、聞いた」というお客様が、何件もでてきたからである。
 中学課の係員達も、首をかしげながら、自分達も同じことを言われたと報告した。
 会社へ帰って、事務の者に聞いてみると、知っていたという。
 (何だそりゃ)
 会社から俺たちに内緒でという指示でもあったのかと、あらためて聞き返すと、そうではないと言う。
 では、どうして俺たちに知らせなかったのかと、少々怒気を含め問い正すと、「そんなの知っていようが、いまいが関係ないでしょう?」と、その馬鹿な女事務員は答えた。(このとき、すでに、男の事務員はやめており、一人しか事務員はいなかった。)

感覚が羅針盤

 面白いもので、その新人も次の家では、アプローチアウトにもならず、ひととおりの話ができた。声も自然と大きくなっており、説明にも熱が入ってきたように思えた。
 そして、いよいよクロージングまで進み、もう一度じっくり考えたいから明日また来てくれと言われてた。それは決して断り文句とは思えぬ言い方であり、確かに迷っている様子が見てとれた。
 「明日必ずお伺いします」と約束をして、その家を出てきた新人は、先刻とは打って変わり、「なんだが、仕事ができた実感がしました」と明るい表情で言った。
 こんな調子でオッサンは、自分の係に限らず、小学課や幼児課の新人をも可能な範囲で逆同行をしていった。
 ただ、中学課とちがって、小学課と幼児課は、責任者以外は、すべて女性である。
 これには、教材の営業独特の理由がある。
 この仕事は、ほとんどが、母親を相手に話しをすることになり、ことに幼児をもつ母親となると、新人の女子社員と年令的にも近くなり、お客様との壁がとりやすい。極端な言い方をすれば、友だち感覚で話せるのである。
 だから、男子社員と比べると女子社員の方が有利であり、格段に強い。
 小学課においても、一年生や二年生といった低学年の子供の母親は、まだ若い。そして、こういう家でなければ、フルセット、つまり一年生から六年生までの教材を買ってはくれないのだ。
 これが中学課となると話はちがって、あるていどの畏まった態度や物の言い方が必要になる。そのへんの勝手が、まったくちがうのだ。
 それに女性は、物事に対する考え方や感じ方が、男とはちがう。とくにオッサンのような昔気質的な男からすると、まさに正反対だと思えるところも多かった。
 たとえば、お客様と話をしていて、急に話を打ち切り家を出てきたり、世間話に終始して、ほとんど商品説明もせずに帰ってきてしまうことがよくある。
 後で理由を聞いてみると、あのお客は、自分との性が合わなかった。だとか、教材には関心のない母親だったので情報集めしか考えていなかった。商品説明をする時間がおしくなって出てきただとか、理由とも言えぬ、まったく感覚的な思い込みで決めつけ、判断を下すのである。
 たしかに、その感覚的な見方が当たっていることもあるのだが、(おまえら仕事をナメとんのかっ!と思うことがオッサンにはたびたびあった。
 けれども、彼女達は、そこそこの営業成績をあげるのだ。
 営業という仕事において、その評価は結果がすべてである。
 お客様をだましたり、ウソを言って説明をしていないのなら、たとえママゴト遊びのような仕事内容であったとしても、結果を残せれば、それはそれで正しいということになる。
 であるから、オッサンとしては、とにかくやりにくい理屈詰めで説明しても、半分も聞いてはいないのだ。
 彼女等にとっては、自らの感覚が羅針盤であり、判断のよりどころなのだ。
 だから、オッサンはできるだけ口を出さず、自由にのびのびと仕事をやらせることにした。
 ただし、あまりに目にあまる態度や行動については、指摘した。
 母親と友だち感覚で話せるとはいっても、お客様に変わりはないのだから、最低限の礼儀は弁えてもらわねば困るのだ。
 少しずつ、彼女等に接するコツをつかんできたオッサンではあったが、一番苦労をしたのは、仕事を辞めたいという彼女達を宥めるときだった。
 オッサンは、会社近くの喫茶店に何度呼び出されたかわからない。

売ろうとするな!

 「それじゃ、大きなちがいって何ですか?」
 「それを自分の目で見て、わかってほしかったんだ。時間もないから簡単にポイントだけ言うぞ。あとは自分で考えろ、俺と君の決定的なちがいは、売ろうとして話をしているか、そうじゃないかだ」
 「でも、僕は僕なりに、売ろうとして話してましたよ」
 「だからダメなんだ。先刻、俺が半年間近く売れなかったダメ社員だったと言っただろ。あれは売ろうとして話をしていたからなんだ。」
 「どういうことですか?」
 「つまり、売ろうとするなってことだ」
 「そんな無茶苦茶なこと言わないで下さいよ。いくら新人だからって・・・」
 「いいや、俺は大まじめで言ってるんだ。考えて見ろよ、君がお客様の立場でちゃんと考えるんだぞ。いいか、突然に見も知らない人間がやってきて、自分の会社ですばらしい教材をつくっているからと、一時間近くも、勝手な話をして、その価格は二十五万円します。買って下さい。と言われて、はいそうですかと、すんなりと買う気がするか?」
 「そう言われてみると、少し無理がありますよね。」
 「そうだろ、俺たちは魔法使いじゃなんだ。お客に買わせようとしたって、無理なのは無理」
 「ちょっと待って下さいよ。それじゃ僕たちの仕事はどうなるんですか?」
 「だから、売ろうとせずに説明に集中するんだ。心を込めて、正直に、その商品の優れている点を話す。それが俺たちの仕事だ。買うか買わないかは、あくまでお客様が決める」
 「でも、もし一時間じっくり話をして、買ってもらえなかったら、その時間は無駄になるじゃないですか。もったいない」
 「そんなことはない。それだけの時間説明を聞いてくれるお客さんは天使なんだ。必ず次につながる」
 「そんなもんですかねえ」
 「まあ、そのうちわかるだろうさ。ただし、これだけは言っておくけど、どれだけ内容の優れた良い商品だったとしても、それを説明する人物が、心からそう思っていなければ、その良さは伝わらない。」
 「はぁ、そりゃまぁ、そうでしょうが・・・」
 「つまり、それはウソになるからだ。いくら話が上手な者でも、それじゃダメだ」
 「でも、契約してもらえたら、それは伝わったということでしょう」
 「たとえ、その場で契約をしてくれたとしても、何日かたってキャンセルされたら同じだろ」
 「・・・・・・」
 「よく覚えておけよ。お客様はお前の話す言葉だけを聞いてるんじゃない。話し方や態度、表情、全てを見ているんだ。お客様にも、いろんな事情がある。たとえば、全く勉強をしてくれない子供の将来を心配している母親だとか、やる気があっても、すでに学校の授業についてゆけず、勉強のやり方もわからなくなった子供をもつ家だとか、それこそ様々だ。だから、一応はひととおりの説明も聞いてくれるし、真剣に考える。けれども、そんなに安い買い物じゃない。結局、最後は人間対人間の問題となる。説明をしてくれたセールスマンを信用できるかどうかなんだ。どれだけ上手く良さそうな商品だという説明を聞いても、こいつは信用できないと思ったら絶対に買ってはくれない。営業マンが自分を売るというのは、そういうことだ。話の上手下手じゃない。決して、お客をだまそうとするな。自分の思っていること、信じていることを誠心誠意、少しの偽りもなく話すこと。これが一番大切なことだ。しつこいようだが、しっかり覚えといてくれ」と、だいたいこんな内容の話をして、「よしっ、次の家だ」と新人の肩をポンとたたいた。

長崎支社 初日

 そして、いよいよ現地をまわる日がやって来た。
 しかるに、オッサンは初日から現地での自分だけの仕事はできない。なぜなら、新人を育てるべく、逆同行をしながら、アドバイスを与え問題点を指摘してやらねばならないからである。
 それも一人一人を公平に数回の逆同行をするのだ。その中で営業成績も一定のレベルを落とすわけにはいかない。
 ただし、今回は松本支社とは異なり、全く営業経験のないど新人である。今度のクリアすべきハードルは、さらに高いものになる。
 予想していた通りに、一人目の新人は一件目の家の玄関を入るのにとまどった様子を見せた。
 緊張のために固まって動けないのである。
 オッサンも新人で初日のときはこうだった。
 まったく見ず知らずの他人の家に呼び鈴を押して入ることは、その経験のない者にとって、かなり抵抗を感じる厚い壁なのである。
 だが、オッサンの初日のときは、後には誰もいなかった。
 逆同行という手間のかかることを最初からやってもらえることはラッキーなことなのだ。
 しかし、当の新人にしてみれば、これほど迷惑に思えることもないだろう。ただでさえ緊張しているのに、さらに上司が後に付いて目を光らせているのである。
 まったくやりにくくて仕方がないという様子が手に取るように感じられる。
 それでも、ようやく決心をしたのか、玄関の呼び鈴を鳴らし、出てきたお客様と話を始めた・・・。
 蚊の鳴くような小さな声で、自信なさそうにオドオドしている。驚いたことに、ときどき後のオッサンの方を、助けを求めるかのように見たりもしていた。
 思ったとおり、直ぐにアプローチアウトとなり、次の家へと回った。
 それから、たて続けに5件のアプローチアウトを喰らって、さすがに気が滅入ったのか、オッサンの顔を見て、「僕には、この仕事向いてないんですかねえ?」とボソボソと元気なくつぶやいた。
 悪いとは思ったが、オッサンは思わず笑って、「たったの五件くらいで、何がわかるもんかい」と答えた。
 そうして、半年間以上も全くオーダーの取れなかった自分の経験を話した上で、「よしっ、次の家は俺がやってみるから、自分との違いをしっかりとつかめよ」とエラそうに胸を叩いて、次の家へと入っていった。

 アプローチから商品説明を終わって、クロージングへと入ったところで、お客は、もう一度子供に同じ説明をしてやって欲しいと言った。
 まだ時間が早くて子供は学校から帰ってきていなかったのである。
 子供が説明を聞いて、やりたいというのなら購入したいと言うのである。
 もちろん、オッサンは快諾して、夕方また来訪する約束をし、家を出た。
 オッサンの後で一部始終を聞いていた新人は、しきりに首をかしげて、何が違っていたのかを考えているようだった。
 思っていた以上に良い所を見せられてオッサンもホッと一安心と言ったところだ。
 近くの公園で少し休もうと、二度目の休憩をとることにした。
 「どうだ、何か違いがわかったか?」
 「はぁ、違うと言えば、全てが違いますが、話している内容は、ほとんど変わりませんでしたよね。何が悪かったんだろう・・・」
 「そうだな、俺は何も特別なことを言ったのでもないし、上手く話していたわけでもないよな。それなら何故、最後まで断りもせず話を聞いてくれたのか。それは何だとおもう?」
 「やっぱり、声の大きさと笑顔ですか?」
 「たしかにそれもある。しかし、そんなのささいなことだ。」