ミシン屋の次に勤めたのは、水道工事専門の配管業の会社である。
これは、その当時、オッサンがよく通っていたパブ兼ライブハウスのマスターの知り合いが社長をやっていた会社である。
このライブハウスには、音楽好きが集まって、いろんなアーチストの批評をしたり、ボサノバとかジャズとかのニュアンスの違いだとか、なかには、ラテン音楽のテンポのとり方まで細かく講義している人もいた。
もっともらしく、このように書いてみるとなんだか高尚な事でもやっていたみたいだが、なんのこともない、酒を飲んで、自分の好きなように、音楽についてのバカ話し等を、そのとき居合わせた仲間達としゃべくっているだけである。
ときには、実際に、ライブ演奏もやっていて、ギターやベース、ドラムセットにキーボードまでと、ひととおりの楽器がいつでも使えるように置いてあった。
だから、ここのマスターはかなりの音楽通で、バンドユニットを組んで、さまざまなイベントにも出演するほどの人だったのである。
オッサンと同じ高校の卒業生で、先輩だった。
この水道工事の社長は、このマスターとは幼なじみの同級生だということで、たまたまそのとき居合わせ、カウンターで飲んでは話し、話しては飲んでいたのだが、その会話の中で、人手が足りずに困っている。アルバイトでもいいから来てくれないかという話がでてきたのである。
その社長が言うには、「なに、誰にでもできる簡単な仕事だからボチボチ手伝ってくれたらいいんだから」と、さも気楽な仕事であるかのように話していたのだが、これが大間違いである。
ちょうど、ミシン屋をやめたばかりで、何のあてもなくプラプラしていたオッサンは、頼みこまれて、断れもせずアルバイト程度でよいならと、気楽に承諾してしまったのだ。
ところが、実際に働きだしてみると、水道工事の仕事というのは、かなりの重労働である。
材料の積み降ろしから、穴掘り、土壌(土等を袋につめたもの)運びと、くる日も、くる日もくり返される。
三ヶ月との約束で、オッサンは言われるままに、何でもこなし、またたくまにその期間は過ぎていった。
そろそろだなと、あとどれくらい勤めることになっているのかと、事務所の人に聞いてみると、来月から正社員であるとの話に驚いた。
これでは、少し話がちがうぞと、オッサンは社長へと直談判をしにいった。
そして、ああだの、こうだのと話し合ったあげくに、結局まるめこまれて、もうしばらく働くということになった。
さすがに会社の社長ともなると口が上手い。
相手の弱いところを鋭く突きながらも、決して上から目線ではものを言わず、頼みこむように話すのである。俗に言うアメとムチだ。
このときも、次の良い仕事が見つかれば、そのときに考えればいい。正社員として働いたほうが給与も上がるし、万が一、怪我をしたときにも保険が使えるから安心であると、たしかに、理にかなった理屈を、やわらかくかんで含めるように話していた。
むろん、良い仕事など、そう簡単に見つかるはずもなく、この後一年間ばかり勤めることになるのだが、なにしろこの会社は、何をするにも、全くシャベルカーを使わない。本管工事やら、役所からの請負仕事においても、ほとんど手堀りでやるのだ。
厚いコンクリート道路やアスファルトとの下に埋まっている本管を、つるはしやスコップ等を使用して掘らせるのである。
言うまでもなく、それを行うのは、新人であるオッサンなのだ。