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古いミシン屋

 さて問題は、オッサンの再就職先である。
 こののち数えきれぬほどの転職をすることになるオッサンが、最初に選んだのはミシン店だった。
 むろん、ちゃんとハローワークでの求人を見て、面接に行ったのである。
 今現在では残っていないが、長崎の銅座町にミシンの販売と修理をやっている古いミシン屋があったのだ。
 はじめて、その店の入口に立ったオッサンは、なんだが場違いな所へ来てしまったような気持ちがした。
 というのは、その店は、ミシン店といっても、ほとんどミシンを展示などしておらず、ミシンを入れた箱や古い修理済みのミシンが場を占領していて、店の奥にある事務所へ行くのに、人間がやっと一人通れるほどの通路らしきものが、左側につくられた、倉庫のようなところだった。
 (こりゃあ、ダメだ。すぐに断って帰ろう)と思い、事務所をたずねると、年齢にして七十歳は超えてそうな、じいさんと六十歳になったかどうかくらいのオバサンが、炬燵に座って蜜柑を食べていた。
 オッサンの顔を見ると、このジイサンは何を思ったか、「そこは寒いから、中へ入って蜜柑でも食べなさい」と言った。
 まだオッサンが何も言う間もないうちにである。
 「いいから、いいから、まあ、お上がりなさい」とガラス戸を開けてうながすので、断りもできず、言われるままに、中へ入り、炬燵のまえに座った。
 オバサンの方も、ニコニコと笑いながら、座布団を出してくれて、食べろと言わんばかりに、オッサンの目の前に蜜柑を二、三個置いた。
 「遠慮はいらんから、食べなさい。話はゆっくり聞こう」とジイサンが言うので、せっかくだからと一個もらって食べながら、用件を伝えると、「そうか、ハローワークから。ダメもとで求人を頼んでたんだが、あんたが来てくれるんか」とジイサンは、喜んで、もう話は決まったものと、勝手に仕事内容を話し、自分の希望は、これこれだと、オッサンの要望など関係ないかのように話は進められた。
 それを横でしばらく聞いていたオバサンがやっとジイサンに注意をした。
 「社長さん、ちょっといいですか。こちらの希望ばっかり話しても良くないです。この人の気持ちも聞いてあげないと」と言ってくれたので、ジイサンもようやく気付いたというように、オッサンの気持ちをたずねはじめた。
 「あんたはどういうわけで、この店に興味をもったのかね」
 オッサンは、以前営業をやっていたことを話し、今度は手に職をつけたいと考えていて、ミシンの販売だけではなく修理をやっているというのに興味を抱いたのだと話した。
 「そりゃあ、あんた、いいところに目をつけたね。これからの時代、何が起こるかわからんからね。手に職をつけておけば、腕一本で食っていけるさね」と、あいかわらずジイサンは嬉しそうに笑っていたが、オバサンは炬燵のまん中にひろげてあるオッサンの履歴書を見ながら、心配そうに「でも、大学まで卒業してるのに、またなんで、こんな店に?」と不安顔でたずねた。
 さっきまで嬉々として嬉しがっていたジイサンが、落胆したように、小さくなった。
 こうなると、オッサンも引っ込みがつかなくなり、不器用な自分でも出来る可能性があるのなら、二、三ヶ月はアルバイト待遇ででもいいから、使ってみてくれと言い放ってしまった。