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できちゃった婚

 彼女にしてみれば、オッサンに対して”いったい何をしに、わざわざ出向いて来たのか”と、文句の一つも言いたかったことだろう。
 断るにしても、もっと言い方もあったかもしれないが、仕方がない。オッサンとはそういう男なのである。
 それに、こういう場合、下手な同情は禁物であり、かえってブッキラボウな物言いの方が、白黒がはっきりするというものである。
 融通のきかぬ頑固なカタブツとはよく言ったものだ。
 自分のアパートへと帰りながら、所長の観察力の鋭さに、つくづく感心していた。
 
 さて、問題はアパートで待ちかまえているであろう三人である。
 もちろん、宮川にとっては決して他人事ではなく、彼女とオッサンとのやり取りを知りたがるのも無理はない。
 しかし、他の二人には何の関係もないのだ。
 ところが、思ったとおりで、二人とも執拗に会話の内容を聞きたがった。
 もっともらしい理屈をこじつけて、ああだこうだと話を引き出そうとしていたが、問答無用とばかり、オッサンは宮川だけを部屋に入れ、他の二人を閉め出した。
 いやらしいもので、しばらく二人は戸口で聞き耳をたてていた。
 宮川に少し待てと、手で合図をし、物音をたてぬようドアに近づくと、オッサンは急にドアを開け放ち怒鳴った。
 「貴様等には関係ないっ!あっちへ行けっ!話を聞いたらただじゃおかんぞっ!」
 実際、自分でも驚いたが、この時は異常なほどの怒りを覚えた。
 その見幕に圧倒されたのだろう、二人は先を争うにようにして二階の自室へと駆け上がった。
 おかしなことに、宮川までもが少し青くなり、シャッチョコ張って正座していた。
 たしか、ついさっきまで胡座をかいていたはずなのだ。
 オッサンは、興味本位で他人のプライベートを知りたがる輩が、虫酸の走るくらい嫌いなので、思わず大声をだしてしまったが、他意はないので、脚でも崩してリラックスしてくれと言ったのだが、宮川は決して脚を崩すこともなく、正座した姿勢のままオッサンの話を聞いていた。
 それから三十分位だろうか、彼女との会話のやり取りを、細かく話した上で、オッサンはつけ加えた。
 「後は、おまえ次第だ。彼女はお前に好意をもっている。これからの誠意の示し方によって、どうにでもなると俺は思う。」
 宮川は、一言も言葉を挟まず、思いつめたように真剣な表情で話を聞いていた。
 「はっきり言っておくが、俺は社内恋愛は嫌いだ。おそらく彼女だろうと、他の者だろうと同じで恋愛感情を抱くことはない。仕事上での同僚であり、ライバルでしかない。社内での禁止事項でもあるはずだ。だから応援もしないし、邪魔もしない。今夜この場で忘れることにするから、そのつもりでいてくれ。」と、話し終えた。
 すると、何を思ったのか宮川は「有難うございます。」と言って、土下座をしたのである。
 大げさなことをするなと言って頭を上げさせると、目を真っ赤に充血させ、どうやら泣いていたようである。
 そうして、今夜は一人で頭を冷やし考え事をしたいので帰ると言って、夜中の十一時過ぎに帰って行った。
 
 それから約一年後に宮川と彼女はめでたく結婚式を挙げた。
 それも、念のいったことに、できちゃった婚である。式の後、産休扱いだった彼女は、そのまま専業主婦となった。
 なげいたのは所長である。

女性の部屋へ・・・

 迷惑そうな女の顔と言葉を予想していたオッサンは、まったくの肩すかしをくらった。
 彼女は、わかっていたと言うように、普通に出迎え、すんなりと部屋の中へ入れてくれた。
 夜の十時近くである。
 (なんだ・・・話がついているというのは本当なのか?)
 「どっ、どうも、こんな時間にすいません。」
 「いえ、こちらこそ、こんな格好でごめんなさい。」
 なるほど、彼女はパジャマの上に綿入れをひっかけただけの姿である。
 コーヒーを入れるから座って待っていてくれとコタツの方へと促され、座布団の上に正座してしばらく待っていると、茶菓子とコーヒーをのせた盆を抱えて来た彼女は笑ってそんなに畏まらずに、ひざを崩せと言った。
 いや、自分は胡座を組むと後へひっくり返ってしまうから、この方が良いのだと言ってオッサンはずっと正座をしていた。
 言うまでもなく、オッサンは、こんな状況が最も苦手な質の男である。
 仕事では、見も知らなかった人々と話をするが、プライベートで女性と、しかも二人っきりで会話を交わすとなると、何をしゃべっていいものやら、皆目分からなくなる。
 困ったあげくに、オッサンは思わず仕事の話を始めていた。あろうことか日頃、自分が売り歩いている中学生用教材の説明をしていたのである。
 それこそ彼女にとって何の興味も持ち得ようのない内容であったはずだが、しばらくの間。あいづちまで打ちながら黙って聞いていてくれた。
 しかし、ついに話題を変えるぞと言わんばかり、いきなりオッサンへと、こう切り出したのである。
 「ところで今、好きな女性っています?」
 この突然の、何の脈絡もない質問に、オッサンはうろたえた。
 「はっ、いや、あの・・・。実は今夜来たのは、宮川君の事なんですが・・・。」
 「ええ、わかっていますよ。私が来て頂けるように頼んだのですから。」
 「えっ!あっ、そうだったんですか。それでですね、ボッ、ボクとしては・・・。」
 当然というべきか、このときオッサンの頭の回路はショートしてしまった。
 一、二分の間、完全なる思考不能。つまりフリーズ状態である。
 そこからは、もう彼女の独壇場である。
 堰を切ったようにとは、まさにこのことで、次から次へと止めどなく延々と続いた。
 あまり長いので内容だけの要約にとどめるが、宮川のことは決して嫌いではなく、むしろ可愛い弟といった存在であり、恋愛の対象にはならない。だが、自分はどちらかと言えば、お兄さんと呼べるような頼れる人との恋愛を望んでいる。それには、オッサンが誠実そうで理想に近いと言うわけである。
 固まったまま、彼女の話を聞きつづけていたオッサンが、フリーズ状態から脱出できたのは、正座していた脚のシビレのおかげである。
 「すいません。」と謝り、長座(足を投げ出した座り方)してもいいかと聞くと、かまわないと言うので、ほとんど感覚のなくなった脚を手で軽く叩きながら柔らげていると、オッサンは不思議とリラックスしてきた。
 急に話を切られた形になった彼女は、反対に少しとまどった様子だった。
 そして、オッサンはキッパリと断った。
 まず、社内恋愛はしたくないこと。それに、今は仕事に集中していたいこと。それから、宮川の事も、決めつけずに長い目で見てやってほしいということ。しっかりと言いたいことを伝え、もう遅いから、そろそろ失礼すると言って部屋を出た。

恋した・・・

 この宮川が恋をしたのである。
 お相手は、夏のイベントで話題になった、あの女性大型新人である。
 その時彼女は、もうすでに責任者になっていて、宮川にとっては幼児課の先輩であり上司でもあったのだ。
 どうやら、現地で逆同行をしてもらったり、仕事を教えてもらったりしているうちに、好きになったものらしい。
 恋愛事情に疎いオッサンが気付いたのは、宮川が四六時中、彼女の悪口を言うようになつたからである。というのも、宮川は、宮川は彼女を好きになったと言うどころか、いつも悪口を言っていたのである。
 それも、しつこくあのアマがどうしたとか、あれは守銭奴だとか、と言うように聞くに耐えられぬ汚い言葉で罵詈雑言をくり返すのである。 
 他人の悪口など聞きたくもないものを、オッサン達三人を見つけては、ウダウダと悪口が始まるのだ。いい加減迷惑なのだが、ここまでは、聞き流していれば何ということもなかった。
 ところがあるとき、オッサン達の寮へと、泣き出しそうな顔をしてやって来ると、いきなりオッサンに向かって、これから直ぐに彼女のアパートへ行ってくれと言いだしたのである。
 いったい何を考えているのかと、訳を話させると、はじめて宮川は彼女に対しての恋心をオッサン達へと打ち明け、彼女へも告白したのだという。
 「そうか、それはよくやった。」と、三人して喜び称賛してやろうとすると、宮川はさらに暗い顔になり彼女に断られたのだと言う。
 彼女が言うには、まだ片思いだが、自分には好きな人がいて、他の男との恋愛は考えられないとのことで、その好きな相手がオッサンだと宮川はいうのである。
 目が点になったオッサンは、即座に否定した。
 彼女とオッサンは、ほとんど会話らしい会話もしたことがないし、決してオッサンの顔は女性に好かれるようなものではない。前にも言ったように、一口で言うと、恐い顔なのだ。
 見た目で女に惚れられるはずはない。
 それは何かの間違いだ。おそらく体の良い断り文句だと、オッサンは言い切った。
 けれども宮川は承知せず、とにかくこれから、彼女のアパートを尋ねて、話をしてきて欲しい、彼女とも話はついていると頼むのである。
 その時の時刻は、夜の九時半頃で、こんな時間に一人暮らしの女の家を訪問できるわけがないと断ると、これまで散々、悪口を言ってきた宮川が急に、彼女の気持ちがどうのこうのと、ゴタクを並べだし、せっかく彼女が待っているのに、人情がないだの、優しさが足りないなどと、目の前にいるオッサンを貶すのである。
 (明日の朝まででも勝手にほざいていろ)と、オッサンはまったく行く気もなかったのだが、やっかいなことに、他の二人(久保田と佐藤)までが、宮川の加勢をし、オッサンのことを、まるで人でなしのように言いはじめたのだ。
 だんだん腹が立ってきたオッサンは、ついに「やかましい。行けばいいんだろうがっ行けばっ!」と怒鳴り返してしまったのである。
 気分はもうヤケクソである。
 (話がついているとか言いながら、俺が門前払いをくらって帰るのを笑いたいだけだろうがっ!)と思いつつ、ブツブツ文句を言いながら、歩いて十分。彼女のアパートへと到着し、ドアチャイムを鳴らした。

弟分

 後でわかったことだが、久保田君と佐藤君の軽はずみで馬鹿げた行動には裏があった。
 二人をそそのかし、たきつけた大バカ野郎がいたのである。
 それは、宮川という中途採用で入ってきた社員だった。
 ちょうど夏のイベントの最中に、ヤクザ映画のチンピラ役にでもなれそうな、コワモテのヤンキー兄ちゃんが入社してきた。それが宮川である。
 ほんとかどうか疑問だが、彼は昔、暴走族の頭をしていたとかで、悪い遊びを知っていたのである。
 確かに、はったりは得意そうだと思ったオッサンだが、ケンカが強いとは思えなかった。
 そして、どういうわけか、この男は話し上手で説明にも説得力があり、入ってきた当初から新人とは思えぬ営業成績を上げた。
 オッサンは大学時代に、五・六人の暴走族にからまれて、やむを得ずケンカをしたことがあるが、二・三人を蹴散らして一番強そうな奴を投げ倒し、馬乗りになって殴っていると、いつの間にか他の者はいなくなり、代わりに血相を変えて飛んできた五人の警官に取り押さえられたという経験がある。
 だから、族の頭と言えども恐るるに足らずとは思っていた。彼らは弱いと思った相手には強いが、強いと思った相手には嘘みたいに弱いのだ。
 但し、営業とは実力本位の世界であるから、昔がどうだろうが、中卒だろうが高卒だろうが関係なく、売上げさえ出せば、昇格できる。
 事実、所長は高卒のたたき上げである。
 宮川も、それを目指し意欲的に頑張っていたし、コイツはすぐにでも責任者になるだろうと、回りの皆も有望視していた。
 けれども彼にはムラッ気が有り、良い時と悪い時の差が極端だった。
 一、二ヶ月周期でスランプに陥るのである。
 責任者へと昇格するには、所長の推薦を受けてからの三ヶ月間、十セット以上を続けなければいけないのである。
 であるから、彼は推薦を受けては何度も失敗し、やっと責任者へと昇格したのは、これから二年後のことである。
 この当時は、まだペーペーの平社員であったし、中途採用のいわゆるお試し期間だったから、あまり大きな顔もできない立場なのだが、何かにつけ言うことはデカく、大げさだった。
 意地の悪い見方をするなら、大ボラ吹きである。
 本人に悪気はないらしいのだが、彼自身も多少、そういう傾向があると自覚していた。
 オッサンにとって、コイツがまたやっかいな男で、勝手にオッサンのことを「兄貴、兄貴」と、なれなれしく呼び、弟分気取りで三人の寮へもよく遊びに来たり、泊まって行くようにもなっていた。
 だが、この時ばかりは温厚なオッサンも宮川を叱り飛ばした。
 「二人に、いい加減なことを吹き込むな。」と。自分でも驚くほどの大声で怒鳴り、実際に、かかって来るならこいという心積もりでもいた。
 ところが、信じられないことに、宮川は土下座をして謝ったのである。
 オッサンはキツネにつままれたような感じがして、目が点になった。
 この時、宮川は真剣にヤバイと思ったらしい。慰安旅行での、前沢係長とオッサンの立ち回りを彼は見ていたのである。
 そんな事など、とっくの昔に忘れてしまっていた単純なオッサンは、根は悪いヤツでもないようだからと、その後も兄貴分と弟分の関係は、不運にもずっと長く続いてゆくこととなって行った・・。

朝まで馬鹿話

 怒りの感情をでき得るかぎり抑えて話した。
オッサンの説教が効を奏したのか、久保田君もようやく事の重大さに気付いたらしく、心なしか顔色が青ざめてきたので、入れ代わりに佐藤君を呼ぶように言いつけて部屋にもどした。
 しばらくしてやって来た佐藤君は、何で呼び出されてのか理解できないといった感じで、せっかく盛り上がって楽しい会話を邪魔されたというように、少し不満そうだった。
 オッサンも、少々うんざりしていたが、久保田君と同じように怒鳴りつけたいのを、必死にこらえて話した。
 「いいかい、下手をすると、会社全体を巻き込んだ大事になるかもしれないんだよ。責任とれるのか。一口で言えば未成年の女の子を会社の寮に連れ込んだことになるんだ。分かるよね。」
 「それは違いますよ。彼女たちが勝手について来ちゃったんだから・・・。」
 「それは君の考えだろ。世間一般に言えば、それは通らない。つまりは、立派な社会人である大人が子供をだましたように言われるんだ。それが世の中の常識的な味方だよ。それに、自分一人で住んでいるアパートならまだしも、ここは一応、会社の寮なんだ。成人の女性であっても連れて来てもらっちゃ困る。」
 佐藤君は、そんなに大げさな事じゃないものを、何故それほどムキになっているのか納得できないという様子だった。
 だが、親が心配するから、家に連絡を入れさせることは必要だと思ったようで、ぶつぶつと独り言を言いながらもどっていった。
 彼自身が、まだ大人になりきれていない子供なのだ。

 オッサンは、彼ら二人を信じようとしばらくは待ってみた・・・
 けれども、三十分程しても降りて来ないので、やれやれ仕方がないと、オッサンはまた二階へと上がっていき、今度は女の子二人を説得しようと、再び久保田君の部屋へ入った。
 思った通り、状況は何も変わっておらず、やはり車座になって、四人は楽しそうに馬鹿話に花を咲かせていた。
 彼ら二人から話はしていないのだろうと思い、オッサンが口を開こうとした矢先に、女の子の一人が、オッサンへ話しかけた。
 「あのね、どうせ今、家には誰もいないの。うちら二人ともカギッ子なんだ。金曜の夜はいつも一人ぼっちでさ。つまんないから、二人でゲーセン行ったり、カラオケ行ったりして時間潰してるの。」
 「それでも、お母さんがいるだろ?」とオッサンが聞くと、「父さんが朝にしか帰ってこないから、うちのお母さんなんて遊びに出かけてるよ。この娘のお母さんは夜のお勤めの人だから、二人とも似た者同士ってわけなんだ。」
 本当の話かウソなのか、分からなかったが、少なからず根が単純なオッサンは同情してしまった。
 それでもやはり家へ帰ったほうがいい。三人で送って行くからと言うと「今からじゃ無理だよ。汽車もないし、黒姫山って知ってる?あの少し手前が家なんだ。」
 それは長野県を過ぎて、新潟県へと入った県境近くの山だった。
 「寒いしさ、もう外に出たくないから、朝までここにいてもいいでしょ。」
 結局、オッサンもこの馬鹿娘どもに言いくるめられ、朝まで馬鹿話に付き合ったあげく、始発の汽車の時刻を待って、三人して駅まで行き、しっかり見送りまでさせられる事となったのである。
 その後、一時間近くオッサンは二人に説教をして、出社したのだが、一週間くらいは不安で、どうにも落ち着かなかったものだ。もし親が心配して警察にでも届けていたらどうしようもないのである。
 けれども、それは、とりこし苦労に終わった。