迷惑そうな女の顔と言葉を予想していたオッサンは、まったくの肩すかしをくらった。
彼女は、わかっていたと言うように、普通に出迎え、すんなりと部屋の中へ入れてくれた。
夜の十時近くである。
(なんだ・・・話がついているというのは本当なのか?)
「どっ、どうも、こんな時間にすいません。」
「いえ、こちらこそ、こんな格好でごめんなさい。」
なるほど、彼女はパジャマの上に綿入れをひっかけただけの姿である。
コーヒーを入れるから座って待っていてくれとコタツの方へと促され、座布団の上に正座してしばらく待っていると、茶菓子とコーヒーをのせた盆を抱えて来た彼女は笑ってそんなに畏まらずに、ひざを崩せと言った。
いや、自分は胡座を組むと後へひっくり返ってしまうから、この方が良いのだと言ってオッサンはずっと正座をしていた。
言うまでもなく、オッサンは、こんな状況が最も苦手な質の男である。
仕事では、見も知らなかった人々と話をするが、プライベートで女性と、しかも二人っきりで会話を交わすとなると、何をしゃべっていいものやら、皆目分からなくなる。
困ったあげくに、オッサンは思わず仕事の話を始めていた。あろうことか日頃、自分が売り歩いている中学生用教材の説明をしていたのである。
それこそ彼女にとって何の興味も持ち得ようのない内容であったはずだが、しばらくの間。あいづちまで打ちながら黙って聞いていてくれた。
しかし、ついに話題を変えるぞと言わんばかり、いきなりオッサンへと、こう切り出したのである。
「ところで今、好きな女性っています?」
この突然の、何の脈絡もない質問に、オッサンはうろたえた。
「はっ、いや、あの・・・。実は今夜来たのは、宮川君の事なんですが・・・。」
「ええ、わかっていますよ。私が来て頂けるように頼んだのですから。」
「えっ!あっ、そうだったんですか。それでですね、ボッ、ボクとしては・・・。」
当然というべきか、このときオッサンの頭の回路はショートしてしまった。
一、二分の間、完全なる思考不能。つまりフリーズ状態である。
そこからは、もう彼女の独壇場である。
堰を切ったようにとは、まさにこのことで、次から次へと止めどなく延々と続いた。
あまり長いので内容だけの要約にとどめるが、宮川のことは決して嫌いではなく、むしろ可愛い弟といった存在であり、恋愛の対象にはならない。だが、自分はどちらかと言えば、お兄さんと呼べるような頼れる人との恋愛を望んでいる。それには、オッサンが誠実そうで理想に近いと言うわけである。
固まったまま、彼女の話を聞きつづけていたオッサンが、フリーズ状態から脱出できたのは、正座していた脚のシビレのおかげである。
「すいません。」と謝り、長座(足を投げ出した座り方)してもいいかと聞くと、かまわないと言うので、ほとんど感覚のなくなった脚を手で軽く叩きながら柔らげていると、オッサンは不思議とリラックスしてきた。
急に話を切られた形になった彼女は、反対に少しとまどった様子だった。
そして、オッサンはキッパリと断った。
まず、社内恋愛はしたくないこと。それに、今は仕事に集中していたいこと。それから、宮川の事も、決めつけずに長い目で見てやってほしいということ。しっかりと言いたいことを伝え、もう遅いから、そろそろ失礼すると言って部屋を出た。