オッサンが名古屋駅に到着したのは午前四時頃である。
しかし、そこからタクシーを飛ばして名古屋空港へ向かったところで飛行機の始発は午前七時以降である。
もちろん空港も開いてはいない。
まして、名古屋から長崎までの直通の便となると午前九時半の便が最も早い。これに乗れたら、長崎着が午前十一時だ。午前九時発の福岡行きもあったが、これだと乗り換えなければならなくなる。福岡からだと、飛行機でだろうと列車だろうと、直通の長崎便よりはかなり遅くなってしまうのだ。
あわてて家を出てきたオッサンであったが、運よく名古屋駅の待合室に置かれていた時刻表でこれらのことを調べた。
一刻も早く長崎へと帰りたい気持ちは募るものの、しかたがない。数時間をこの待合室でつぶし、空港の開く時間を見はからってタクシーを飛ばし、長崎直行の便の予約をとる。それが最善の方法なのである。
イライラしながら駅の時計をにらみつけ、オッサンは時を過ごした。
まだ薄暗い空港のカウンターで、長崎行きの飛行機予約をした。幸いにも旅行シーズンをわずかにずれていたからか、空席にはまだ充分に余裕があった。
予定通り、午前十一時に長崎空港へ到着したオッサンは、直ぐに長崎市内へと向かうバス乗り場へと走り、バスに飛び乗り、なんとか間に合ってくれと、祈るような気持ちで大村から長崎市内への三十分間を過ごした。
このときオッサンは、まさか父親が、すでに亡くなっているなどとは思ってもいなかったので、浦上で下車すると、脇目もふらず一目散にオヤジが入院しているはずである原爆病院へと急ぎ走った。
そして、息急ぎ切って向かった病院の受付で知らされた事実に、オッサンはしばらく呆けたように頭の中が真っ白になった。
そして、病院で教えてもらった葬儀場で冷たくなったオヤジと、やっと対面したのである。
女々しいようだが、病院で死亡したと聞かされても、まだオッサンの頭の中のどこかに、おのオヤジが死ぬものかという思いがあった。
だが、目の前で横たわり、死装束をつけ目を閉じているのは、まぎれもなくオヤジだった。
親の死に目のもあえなかった・・・。
オッサンは、父親に対して何とも言えない申し訳なさでいっぱいだった。
そしてまだ棺へと入れられる前、肉親や親類達との最後の別れをしている最中にやって来たオッサンへと投げつけられた言葉は、「あんた何やってたのっ!ずいぶん遅かったわねっ!」という、そのときのオッサンにとって何より残酷なセリフであり、言い方であった。
この言葉を言ったのが、母親か妹だったとしたら、オッサンもそれほどの怒りを感じたとは思わないが、これを言ったのは、あの電話口でオヤジの危篤を知らせた男の姉である。
それまでは、あの男とはちがって、やさしい思いやりのある人だと思っていたが、この言葉を聞いた瞬間、その女性を、その場で殴り倒してやろうかと思ったほどの憤りを感じた。
もちろん、死者の霊前をけがすことにもなるし、大人の男が女に手を上げる醜態をさらすようなマネはできるはずもないが、金輪際、この人とは親戚づきあいはしないとオッサンは決心し実行した。
肉親の死を知らされたばかりの人間に決して言ってはならない文句をこの人は言ってしまったのである。
あれから、二十年近くたった今でさえ、あの時の悔しさ、情けなさは残っている。
だから、オッサンは母親の死に水だけはとってやろうと思っている。