もうこうなるといけません。
それから延々とマスターのクラプトン談議を聞かされたあげく、今歌った曲を今度のライブでぜひともやってくれと言いだす始末です。
「冗談じゃない。そんなもん、やれっこないでしょう。」と、すっかり酔いの醒めたおっさんは断りました。
「いやいや、クラプトンができるとなると話はべつだ、やってもらわないわけにはいかない」と、マスターも簡単には引きさがりません。
「いんなゃ、できません。」と、おっさんもこればかりは、なにがなんでも譲れないのです。
なんとなれば、何のために青年ミュージシャンを紹介したのかわからないではありませんか・・・・・・。
良心の呵責をもかえりみず、自分から矛先をかわすために、無責任にも、たまたま目についた青年を、苦しまぎれに指さした自分を、つい先頃まで、どれほど恥じていたことかと思うと・・・
たいしたこともないけれども、やはり負けるわけにはいかないのであります。
しかしながら、思わぬところに伏兵はひそんでおりました。
そうなのです。あの青年ミュージシャンこそ、最強の敵だったのであります。
おそらく彼は、マスターの機嫌を損ねたくないという気持ちと自分をこの店に紹介してくれたおっさんを少しでも喜ばそうと、おだてることで、内心はライブに出たいはずのおっさんに恩返しをしようと考える、大きなカンちがいをした、悲しい常識人だったのです。
「一緒にやりましょう。一曲だけと言わすに三曲くらいやって下さいよ」と、とぼけたことを、サラリと言ってのけるのです。
「君は、そう簡単に言ってくれるけれども、僕にとっては、これはどんでもないことなのだよ。」と、さすがのおっさんも青年ミュージシャンには、後めたい気持ちからかそれほど強くは言い切ることができません。
結局、これもマスターと青年との二対一、クラプトンを歌ってしまった、おっさんの負けであります。
しばらくして、ニコニコと笑いながら見送るマスターと青年ミュージシャンへ背を向け、しょんぼりと肩を落としたおっさんは、ブツブツとグチをこぼしながら帰路へつくのでありました。
そして一ヶ月後にライブとなりました。
おっさんは気の進まないままノルマとして五枚のチケットを渡されました。(でたくもないのに、なにがノルマかっ!)と、憤りを感じながら、おっさんにも考えがありました。
チケットを自分で買って知人に配ればよいと思ったのです。
正直に言って、おっさんとしては、自分の歌を他人に聞いてもらうのにお金をもらうなどということなど考えたくもないことなのであります。
それどころか、無料だと言って配ったところで、はたして何人の人が受けとってくれるのか?これは大きな疑問であります。
幸い、誰一人として断られもせず、受けとってもらい、ホッと胸を撫でおろしたことでしたが、できればもう二度と、あんなバツの悪い思いはしたくはありません。
何度も言うようですが、おっさんは、あくまでも、好きな歌を、ただ腹いっぱい、気のすむまで歌いたいだけなのであります。
極論を言うと、他人が聞いていようがいまいが関係ないのであります。いや、どちらかと言うと聞いてないほうが有難い。
そういうわけで、冷や汗をかきながら練習をし、妙な不安を抱きながらチケットを配ったおっさんの体重は、この一ヶ月間で五キロ近くも減ったのでありました。