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テレビ局が来た・・・

 なんといっても、ライブ当日が一番悲惨でありました。というより、おっさんには厄日そのものでありました。
 ただでさえ、あがり症のおっさんでありますが、思った以上のお客さんの入りで、五十ほど用意された座席にすわりきれず、階段にすわったり、立っている人もいるようなありさまです。
 しかしながら、おっさんの緊張の度合いをさらに救いがたく高めてくれたのはテレビ局でありました。
 なんだかデッカイ集音マイクとビデオカメラを持った人たちがいるなと思っていると、どこかで見たことのあるような女性が、そこらをうろうろしております。
 はて? どこで見かけたものかと少々薄くなった頭をひねっておりますと、くたびれかけた脳みそが、やっと働きだしてくれました。
 そうだ、たしかテレビで見たことのある顔だ。アナウンサーだ。
 どうしてこんな場所にいるのかと、いぶかりながら見ておりますと、なんと、おっさんのすぐ目の前で、その女性アナウンサーは、あの青年ミュージシャンへとインタビューをやりはじめたのです。
 なんじゃこりゃ。おっさんは、すぐにマスターをつかまえて尋ねました。すると、今日のライブの宣伝とあの青年を取材してもらうために呼んだのだと言うのです。
 なんじゃそりゃ。そんなことなど聞いていないぞと、マスターに対しておっさんは、どういうわけでか条件反射的に怒りを覚えるクセがついております。
 よく考えてみれば、なにもおっさんにインタビューするわけでもなく、まったく関係ないといえば関係ないのです。
 つまり、それほど気にすることもないのですが、バカなおっさんは、テレビ局がきたと言うだけで、すっかり取り乱してしまい、それこそ頭の中は、菜の花が咲きほうだいとなり、おまけに蝶々まで飛んでおりました。
 これは、とてもじゃあないがシラフでいられるものではありません。さっそくカウンターへと走り、ビールをひっかけました。
 おっさんも、自分の演奏の下手なのは充分に自覚しておりましたので、出番を終えるまで、せめて飲まずにおこうと、ガラにもなく殊勝な考えをもっていたのでありますが、ことここにいたっては、そんなことをいってはおられません。
 酒でも飲んで勢いでもつけないことには、とても歌なぞうたえたものではありません。
 そして、まず一組目の演奏がはじまりました。これがまた、すばらしく上手い。二台のギターでアンサンブルをやっているのですが、まるでレコードでも聞いているような技量であります。
 そうして二組目、三組目と、皆かなり歌いこんでいるし場慣れもしているのでしょう、堂々としていて率がありません。
 おっさんとは比べたくても比べようがなく、まったくお話しにもならないほどのレベルの差なのであります。
 けれども、もうこの頃には、おっさんの方も完全にできあがっております。
 もちろん何杯飲んだのか覚えてもおりません。自分の出番が来るころには、足もともおぼつかないほどヘベレケとなっており、「次、出番だよ」と、マスターに言われて、カウンターから演奏場所まで真っすぐ歩くのに、けっこ苦労したのです。
 そういう具合ですから、演奏がどうなったのかは言うまでもありません。
 あまり言いたくもありませんが、事実、おっさん自身もよくは覚えていないのです。
 途中でかなりまちがえたことと、三曲はなんとか歌ったろうというくらいの記憶しかありません。強いて思い起こせば、たしか、アンコールという声に、”できません”とはっきり答えたことだけ覚えております。

ライブ決定!

 もうこうなるといけません。
 それから延々とマスターのクラプトン談議を聞かされたあげく、今歌った曲を今度のライブでぜひともやってくれと言いだす始末です。
 「冗談じゃない。そんなもん、やれっこないでしょう。」と、すっかり酔いの醒めたおっさんは断りました。
 「いやいや、クラプトンができるとなると話はべつだ、やってもらわないわけにはいかない」と、マスターも簡単には引きさがりません。
 「いんなゃ、できません。」と、おっさんもこればかりは、なにがなんでも譲れないのです。
 なんとなれば、何のために青年ミュージシャンを紹介したのかわからないではありませんか・・・・・・。
良心の呵責をもかえりみず、自分から矛先をかわすために、無責任にも、たまたま目についた青年を、苦しまぎれに指さした自分を、つい先頃まで、どれほど恥じていたことかと思うと・・・
たいしたこともないけれども、やはり負けるわけにはいかないのであります。
 しかしながら、思わぬところに伏兵はひそんでおりました。
 そうなのです。あの青年ミュージシャンこそ、最強の敵だったのであります。
 おそらく彼は、マスターの機嫌を損ねたくないという気持ちと自分をこの店に紹介してくれたおっさんを少しでも喜ばそうと、おだてることで、内心はライブに出たいはずのおっさんに恩返しをしようと考える、大きなカンちがいをした、悲しい常識人だったのです。
 「一緒にやりましょう。一曲だけと言わすに三曲くらいやって下さいよ」と、とぼけたことを、サラリと言ってのけるのです。
 「君は、そう簡単に言ってくれるけれども、僕にとっては、これはどんでもないことなのだよ。」と、さすがのおっさんも青年ミュージシャンには、後めたい気持ちからかそれほど強くは言い切ることができません。
 結局、これもマスターと青年との二対一、クラプトンを歌ってしまった、おっさんの負けであります。
 しばらくして、ニコニコと笑いながら見送るマスターと青年ミュージシャンへ背を向け、しょんぼりと肩を落としたおっさんは、ブツブツとグチをこぼしながら帰路へつくのでありました。

 そして一ヶ月後にライブとなりました。
 おっさんは気の進まないままノルマとして五枚のチケットを渡されました。(でたくもないのに、なにがノルマかっ!)と、憤りを感じながら、おっさんにも考えがありました。
 チケットを自分で買って知人に配ればよいと思ったのです。
 正直に言って、おっさんとしては、自分の歌を他人に聞いてもらうのにお金をもらうなどということなど考えたくもないことなのであります。
 それどころか、無料だと言って配ったところで、はたして何人の人が受けとってくれるのか?これは大きな疑問であります。
 幸い、誰一人として断られもせず、受けとってもらい、ホッと胸を撫でおろしたことでしたが、できればもう二度と、あんなバツの悪い思いはしたくはありません。
 何度も言うようですが、おっさんは、あくまでも、好きな歌を、ただ腹いっぱい、気のすむまで歌いたいだけなのであります。
 極論を言うと、他人が聞いていようがいまいが関係ないのであります。いや、どちらかと言うと聞いてないほうが有難い。
 そういうわけで、冷や汗をかきながら練習をし、妙な不安を抱きながらチケットを配ったおっさんの体重は、この一ヶ月間で五キロ近くも減ったのでありました。

エリック・クラプトン

 カウンターの向うから、大きなグラスへとビールを注ぎつつ二人のやりとりを聞いていたマスターは、そのマーチン(ギター)も三十万円くらいだと、おっさんの抱えていたギターを指さしました。
 「ほう、そうですか。これが・・・」と、おっさんは精一杯の冷静さを装っておりましたが、そのじつ内心では(そんな高価なものを、涼しい顔をして他人に使わすなっ!)と、小心なゆえのストレスを感じ、手のひらには、じっとりと汗をかきながら、おそるおそる持っていたギターをもとにもどそうとしました。すると、おっさんの苦労も知らずに、青年ミュージシャンは、そのマーチンを取り上げて鳴らし、「ふむ、ふむ。」と感心しております。
 「それ使って何かやってみなよ。」とマスターが言ったので青年は、マーチンを握ったまま、わざわざステージの方へ行ってオリジナル曲を弾き語り始めました。
 せっかくだからと、マスターがマイクの電源を入れ、ミキサーの調整をしますと、さすがに上手い。おっさんもマスターも手拍子をしながら、大喜びでしばらく聞きほれていましたが、四・五曲歌うと、青年はひと休みとばかりカウンターへともどってきて、今度は三人で酒盛りがはじまりました。
 「いやぁ、まったくいい感じです。」と青年はとても喜んでいるし、マスターも、しきりに青年ミュージシャンの歌を称賛しております。そうして二人して、よくぞ紹介してくれましたとしきりにおっさんに感謝するありさまです。
 単純なおっさんとしては、すっかりいい気持ちになって酔っぱらっておりました。
 ところが、好事魔多し。とはよく言ったもので、今度は、おっさんにも何かやれとマスターが言いだしました。
 「いや、いや、あんな名演奏のあとにやれと言われても困ります」と、おっさんは青年ミュージシャンにかこつけて断ろうとしましたが、律儀な青年ミュージシャンは、そう言わずにぜひ一曲とすすめます。
 普段なら、まちがってもやるはずのないおっさんでありますが、なにしろ酒が入って気が大きくなっております。そこへもってきて、マスターと青年ミュージシャンが、二人がかりでおっさんを褒めそやすものですから、おっさんお頭の中は春のお花畑状態となっておりました。
 そんなに言うならと、おっさんは、あろうことか、エリック・クラプトンのティアーズインヘブンという曲(これは、おっさんが昔、ギターの上手い友達に、指弾きのさまになる曲ということで、手とり足とり教えてもらった、一つ覚えの曲であります。)を、ひとくさり弾き語りました。
 どうだと、弾き終わったとき、おっさんには、どういうわけか嫌な予感がしました。
 「なに、クラプトンできるの?」と言ったマスターの弾んだ声と目の輝きが、どうも気になったのです。
 おっさんは、(できるの?と聞くな。今やったばかりではないかっ!)と強気に開き直り、(やれというからやったのだ。下手なのは、俺が一番わかっとるわい。文句があるなら、聞いてやるから、腹いっぱい言ってみろっ!)と、気負いすぎて、気絶しそうになっておりましたが、マスターは喜々として、後に二十枚ほど積んであったCDをカウンターへとのせました。
 驚いたことに、これが全部クラプトンなのであります。
 おっさんは、先刻の自分の不安が何であったのかを、このとき悟りました。

三十万円となっ!

 マスターの店まで歩いてゆく道すがら、得意気に、今度のライブ構想を話すマスターと、「へえーっ、そりゃあいいや」と身を乗りださんばかりにあいづちを打つ青年ミュージシャンの後ろから、トボトボとあとをついて行くおっさんでありましたが、その足どりは重く、まるで鉛の靴でもはいているような具合でした。
 それというのも、単なる思いつきで紹介したてまえ、おっさんとしては、あの青年がほんとうのところ、どう思っているのか心配でいたのであります。
(あんな風に、一見うれしそうに頷いているものの、本心では嫌がっているのでは?)と柄にもなく神経質になってしまうのでありました。
 ところが、二人の会話を聞く気もなしにきいていると、青年は、以前、あるライブハウスに出入りしていたのだが、ちょっと嫌なことがあって、他にいいところはないかと探していたところで、こんどのこの話は、自分には渡りに船だと話しているのです。
 これはまんざら嘘でもなさそうだと、おっさんは、がぜん元気になり、足どりは軽くなり、神経質も陰も形もなくなりました。
 そうです、おっさんという男は、単純を絵に描いたといおうか単純が着物をきて歩いているような男なのでありました。
 さて、三人がようやく店につきますと、幸か不幸か、お客は誰もおらず、まるで貸し切り状態であります。
 店内には、なにやら馬鹿でかいスピーカーや高価そうなミキシングの器材、ごていねいにマイクスタンドにはマイクがセットされていて、なるほどこれなら、すぐにでもライブができそうな装備がされております。
 マスターは、一番奥のカウンターの方に二人を連れていき「まあ、ゆっくりして。」と席をすすめました。
 カウンターの後ろには、ギターが並べられており、ギブソン、マーチン、タカミネ、ヤマハ、モーリスと、どれも値のはりそうなのが置いてあります。
 マスターがいうには、どれも十万円は下らない品物だそうです。
 おっさんのギターは、一、二万円するかしないかの安物なので「すごいものですね。」と感心していると、どれでもいいから弾いて音を出してみろと言うので、それではと、青年と二人でこれも良い、あれも良いと弾き比べてみておりましたが、むろんおっさんには、音色の微妙なちがいなどわかるはずもありません。
かろうじて、良さそうな音らしいという気がするくらいものです。
 けれども、青年ミュージシャンは、さすがにちがって、ギターの音質が硬いの、やわらかいのと、小むずかしいことを言っております。
 きいてみると、青年の今使っているギターも三十万円もしたそうで、おっさんは、いまさらながら驚いてしまいました。
 「さっ、三十万円となっ、よくまぁ、あんたそんなもん街中で使えるもんだ。」と、あきれるばかりのおっさんでありました。
 小市民のおっさんにとって、三十万円もするものは、家の神棚にでも祀って、拝むべきものであって、決して外へと持ち出すものではありません。
 「ええ、さすがに考えましたが、やっぱり、いいものは良い」と、青年はあたりまえすぎる答えを出すのでありました。
 こうなってくると、おっさんとしては、少々居心地が悪くなってまいりました。
 自分のギターなんぞは、まちがっても見せまいと心に誓うおっさんでありました。
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第二章

 さて、おっさんの挑戦は、まだ始まったばかりで、これからどうなることやら、分からない状態でありましたが、なにせ、長崎という狭い街のことです。
 それも、一番の繁華街である浜の町アーケードのど真ん中でやっておるのですから、知っている人にわかってしまうという危険性が大きいのであります。
 言うまでもなく、おっさんは何も考えておりませんでしたから、そんなことなど心配することなく、またいつものように調子に乗って歌っておりますと、「あれーっ」と、ひときわ大きく声をかけてきた人がおります。

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 おっさんはビクッとして、またそれが自分の歌う声より、はるかに大きな声でありましたから、少々ムカッとして、ひと睨みくれてやろうと顔を上げると、目の前で笑いかけているのは知り合いの人でした。
 おっさんの職業は、マッサージ業で、この人は、お客さんであり、レストランバーのマスターであります。
 「こんな所で何やってんの」と、マスターは、あきれたというような顔で、おっさんに尋ねました。
 おっさんは、(何をやっているか、見ればわかるだろうがっ!)と、内心憤りながら、それでも無理に笑顔をつくっておりますと、マスターは今度自分の店でライブをやろうと思い、そのメンバー探しに出かけてきたのだと自慢げに話しておりました。
 「ほう、ほう、そうですか。それはいいですね。」と怒りを隠したポーカーフェイスで、そこまでは聞き流し、適当に調子を合わせていたおっさんでありましたが、何を血迷ったのか、マスターは、おっさんにも出演しろなどと、こうのたまったのであります。
 おっさんのポーカーフェイスは、大魔人へと変化しかかり、
(一人でももてあましているのに、大勢の前で歌うなんて、いやなこったいっ!)と、
ノドまででかかったセリフを必死でこらえました。
 そこはそれ、大切なお客様であります。
 かといって、承諾はできません。
 どうやって断ろうかと頭を痛めておりましたら、ちょうど向い側で、あのストリートミュージシャンが歌っていたのであります。
 そうです、おっさんのストリートデビューのきっかけとなった、あの青年です。
 とっさに、毛細血管の二、三本切れそうになってたおっさんの頭に、なんとも姑息な名案が浮かびました。
 「いやぁ、ありがたいお話ですが、私などとてもそんな器じゃありません。それなら、いい人がいますよ。」と勝手に向い側のミュージシャンを紹介したのです。
 マスターは「そうですか」と言って、案外素直に、向う側へ行ってくれましたので、やれやれ、一安心とばかり、またしばらく歌っておりましたら、三十分ほどして、またマスターがもどってきました。
 今度は何を言いだすのかと、不安を覚えながら、おっさんは身がまえておりましたところ、意外にもマスターは、「いやぁ、いい人を紹介してくれた。ありがとう。」と喜んでおります。
 おっさんの不安は、大いなる満足と安心に変わりました。
 ところが、余計なことにマスターは、帰りに、あのミュージシャンと二人で店に来いといいだすのです。
 「何か飲み物でもおごるから。」と、いうので、「いや、いや、そう大げさにされては困ります・・・。」と、どうにかして断って早く帰ろうと口実を考えるおっさんでありましたが、いつのまにか帰り支度を終えた、あのミュージシャンが、こちらへやってくるではありませんか。おっさんは、よっぽどギターを抱えたまま逃げだしてやろうかと思いましたが、そうもいかず、バツの悪い顔のまま、シブシブ三人一緒に店へと向かいました。