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三十万円となっ!

 マスターの店まで歩いてゆく道すがら、得意気に、今度のライブ構想を話すマスターと、「へえーっ、そりゃあいいや」と身を乗りださんばかりにあいづちを打つ青年ミュージシャンの後ろから、トボトボとあとをついて行くおっさんでありましたが、その足どりは重く、まるで鉛の靴でもはいているような具合でした。
 それというのも、単なる思いつきで紹介したてまえ、おっさんとしては、あの青年がほんとうのところ、どう思っているのか心配でいたのであります。
(あんな風に、一見うれしそうに頷いているものの、本心では嫌がっているのでは?)と柄にもなく神経質になってしまうのでありました。
 ところが、二人の会話を聞く気もなしにきいていると、青年は、以前、あるライブハウスに出入りしていたのだが、ちょっと嫌なことがあって、他にいいところはないかと探していたところで、こんどのこの話は、自分には渡りに船だと話しているのです。
 これはまんざら嘘でもなさそうだと、おっさんは、がぜん元気になり、足どりは軽くなり、神経質も陰も形もなくなりました。
 そうです、おっさんという男は、単純を絵に描いたといおうか単純が着物をきて歩いているような男なのでありました。
 さて、三人がようやく店につきますと、幸か不幸か、お客は誰もおらず、まるで貸し切り状態であります。
 店内には、なにやら馬鹿でかいスピーカーや高価そうなミキシングの器材、ごていねいにマイクスタンドにはマイクがセットされていて、なるほどこれなら、すぐにでもライブができそうな装備がされております。
 マスターは、一番奥のカウンターの方に二人を連れていき「まあ、ゆっくりして。」と席をすすめました。
 カウンターの後ろには、ギターが並べられており、ギブソン、マーチン、タカミネ、ヤマハ、モーリスと、どれも値のはりそうなのが置いてあります。
 マスターがいうには、どれも十万円は下らない品物だそうです。
 おっさんのギターは、一、二万円するかしないかの安物なので「すごいものですね。」と感心していると、どれでもいいから弾いて音を出してみろと言うので、それではと、青年と二人でこれも良い、あれも良いと弾き比べてみておりましたが、むろんおっさんには、音色の微妙なちがいなどわかるはずもありません。
かろうじて、良さそうな音らしいという気がするくらいものです。
 けれども、青年ミュージシャンは、さすがにちがって、ギターの音質が硬いの、やわらかいのと、小むずかしいことを言っております。
 きいてみると、青年の今使っているギターも三十万円もしたそうで、おっさんは、いまさらながら驚いてしまいました。
 「さっ、三十万円となっ、よくまぁ、あんたそんなもん街中で使えるもんだ。」と、あきれるばかりのおっさんでありました。
 小市民のおっさんにとって、三十万円もするものは、家の神棚にでも祀って、拝むべきものであって、決して外へと持ち出すものではありません。
 「ええ、さすがに考えましたが、やっぱり、いいものは良い」と、青年はあたりまえすぎる答えを出すのでありました。
 こうなってくると、おっさんとしては、少々居心地が悪くなってまいりました。
 自分のギターなんぞは、まちがっても見せまいと心に誓うおっさんでありました。
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