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第 章

久しぶりとなってしまいましたが、そもそも、この日記は、オッサンの身の回りで起きたちょっとしたエピソードを、オッサンの独断と偏見によって、面白いと感じた事柄だけを選んで書いております。
 ですから、このように、しばらくの間、何も書くほどのこともないというような状況も多々あると思いますので、そこいらへんはなにとぞ御勘弁を願いたい。
 さて、そう言いつつも、年明け前からの数日間になかなか興味深い出来事(むろん、オッサンにとってはという但し書きが付きます)があったので、ここにご報告しておこうと思います。
 まず最初は、警察のパトカーであります。
 これがなんと、こともあろうに、オッサン達の消防小屋の、それもガレージ前に止まっているのをオッサンは発見してしまったのであります。
 さて、オッサンはどうしたでしょう?
 なにしろ、ただでさえ警察の大嫌いなオッサンのことでありあす。そのまま通り過ごせるわけがありません。言うまでもなく自転車を止め、歩いてパトカーへと近づいて行きました。
 そうです、こんなチャンスはめったにないのであります。
 この寒い中、もったいなくも暖房をきかせたパトカーの中で、何やら話しに熱中している様子の二人のバカ警官は、オッサンに全く気づきもしません。すかさずオッサンはパトカーの前部の窓をコンコンとノックして、 「消防団の者ですが、ここに止められたら消防自動車が出動できませんので、すぐに動かして下さい」と言い放ってやったのであります。
 すると、すぐに一人の警官が車を降りてきて、「すいません。車には常に動かせるように運転できる人間が乗っておりますので、ご心配には及びません」とわけの分からない言い訳をして、またパトカーに乗り込んでしまったのである。 
 オッサンは、あきれるやら、腹が立つやらで、よっぽど大声で怒鳴りつけてやろうかとも思ったが、消防団員と名乗った以上は大人の対応を心がけようと考え、それからしばらくパトカーのバックミラーを睨めつけたまま突っ立っていた。
 そして、やっと三十秒ほどしてから、仕方がないとでもいうようにパトカーは動き出し、どこかへ消えた。
 (ざまあみろっ!この税金泥棒めがっ!)と叫んでやりたい気持ちを必死で飲み込んだオッサンであった。もしも付近の住民に聞かれたらカッコ悪いからである・・・。
 そして、もう一つ というか、もう一人面白く愉快といおうか、ある意味すごいヤツに遭遇した。この男はオッサンの友人である電気屋さんの幼なじみで、たまたま十数年前から付き合いのある喫茶店で行なわれた忘年会で顔を合わせた、この男(仮にY君としておこう)は、器用でギターも弾けるし、ベースもできる。オッサンの友人の電気屋もギターが上手い。楽器の苦手なオッサンは歌だけ唄って、その喫茶店で大いに盛り上がったというわけである。
 けれども、三時間もするとこのY君が、「これから○○へ行こう」と、とあるパブの名を口にした。
 その店はオッサンも電気屋の友人も良く知っている長崎のミュージシャン達の溜まり場で、いろんなイベントやコンサートに出演する人たちもよくやって来る場所である。
 だから、ドラムセットはもちろんのこと、パーカッションもアンプもミキサーも揃っているし、ベースやギター等は何十本も並べて置いてある。つまり音楽好き御用達の店である。
 「おお、そうか。行こう」と軽い気持ちでオッサンと電気屋の友人は承諾をしたが、これが大きな間違いであった。
 なんと、ここでオッサン達は演奏をするはめになったのである。

第 章

 オッサンのせいなのかどうか分からないけれども、自分でも考えもつかない珍事が、オッサンの身辺にはよく起こる。
 ついこの間も、友人に笑い飛ばされた出来事がある。
 というのは、オッサン達は月に一回か、あるいは二ヶ月に一回ほどの間隔で、音楽好きな仲間を集めてミニコンサートみたいなものを催しているのだが、それを終了して帰るときに、ちょっとしたハプニングがあった。 
 いつも、スピーカーやらミキサーといった機材等を友達の車で運び、終わったらまた、その車に積み込んで帰ってくる。
 なんの問題もなく、これまでそうやってきたのだが、なにせ、その場所は道幅がせまいのだ。簡単な機材といっても、それほど軽いわけではないから、なるべく手で持っていく距離をなくそうとギリギリの位置まで車をもっていく。行きは何も起きなかったが、帰りにはウソのような出来事が、オッサン達の目の前ではじまった。その狭い道路を、オッサンの友達は車をバックさせながらやって来ていた。
 オッサン達は荷物の側で待機しており、所定の位置まで車が来たら、荷物を積み込んで帰る心づもりである。
 まだまだ遠くへいる車に「オーライ、オーライ」と声をかけながら誘導していたオッサンの後から一台の自家用車がやってきた。(チェッ、間の悪いときに来やがって、早く行ってしまえ)と少しイラッとしながら通り過ぎるのを待っていると、これがまた、オッサンの近くに来るにしたがって、嫌味ったらしく速度をおとし、オッサン達から二、三メートルほどのところで止まったのである。(この野郎、邪魔だろうがっ!)と思いながら見ていると、その車の運転手は、通行人をつかまえて何か話をしている。それも運転席に座ってハンドルを握ったままだ。
 これを見てオッサンは、道をたずねているのだろうと考え、それならすぐに何処かへ走り去るだろうと安心していた。
 ところが、その運転手と通行人は急に火のついたかのように、怒鳴りあいのケンカを始めたのである。
 とにかく双方とも、ワァワァ、ギャーギャーと言い合っているばかりで、何がケンカの原因であるのかもまったく分からない。
 そんなことより、やっとこさ車が擦れ違えるほどの細い道路である。バックで近づいてきていた友人の車は先刻から止まって待っている。あともう少し近づけなければ荷物が積み込めないのだ。
 けれども、ケンカは終わりそうにない。オッサンは思わず、そのバカ車へと近づいて言い放った。「何でもいいから、車を移動しろ!ジャマだろうがっ!」
 もし、これで四の五のと文句を言ってきたら、今度は俺が相手になってやるぞと、これくらいの心づもりでいた。
 車はすぐに移動した。おかげでオッサン達は荷物を友人の車へと積み始めることができたが、帰る途中に友人達が言うには、あれはオッサンの顔が恐かったから、ヤバイと思ってすぐに車を移動させたのにちがいないと極めつけて笑うのだった。
 オッサンは、そのとき内心ではそんなことはないと認めてはいなかった。(俺も最近では、ずいぶん丸くなったのだ)
 ところが数日後、その考えは甘いとの認識を新にせざるをえない出来事があった。
 ある日、オッサンは自転車を宝町のローソンの前に止めて、タバコを吸っていた。
 別にめずらしくもない、ありきたりの風景なのだが、オッサンの自転車の横に止めてあったバイクを動かして、行こうとしていた五十代の見知らぬ男が、いきなり何を思ったのか、
 「どうも、すいませんでした。」と深々と頭を下げ、その後まるで逃げるようにバイクで走り去ったのである。
 そんなに、俺の人相は恐いのか?オッサンは悲しくなった。

第 章

 この前、オッサンが地域ボランティアの消防団であり、選手となって地区別に開催される小型ポンプ操法大会にむけて練習をしていると書いたが、何をまちがったのか優勝をしてしまった。(実はこれには裏があった)
 誤解してはいけない。これは決して自慢しようなどと思っているのではない。
 そもそも、オッサン達の区域の小型ポンプ操法のチームは二つしかないのだ。
 つまり、このどちらかが勝てば、嫌でもその勝った方が優勝することになる。
 だから優勝と言っても、全くたいしたことではないのだ。
 しかるに、わざわざ何のために、ここに書き記すかというに、これは憤りのためである。
 何となれば、地区大会後に発覚したことなのだが、オッサン達の相手のチームはワザと負けるように画策していたというのだ。
 そういえば、思い当たる点がいくつもあった。
 このたった二チームのうち、一番目に競技を行ったのはオッサン達のチームであった。
 つまり、自分たちの競技が終わった後なので、余裕をもって後続チームの競技をみていられたのである。
 まず、一番員の走り方に疑問が生じた。何とはなしに力を抜いている感がある。それに二本目のホースのつなぎ方、これはもう決定的におかしかった。
 なぜなら、一番員が二本目のホースをつなぐ場合には、必ず膝下で行うように指示される。それも耳にタコができて落ちるくらいに何度も言われるから、一番員にとっての常識なのであるが、これを相手チームの一番員野郎は胸の高さでつなぎやがったのである。
 そして、三番員の機械操作。どう見てもモタモタとして、時間を稼いでいるように思えた。
 誰が見ても不自然だったのである。
 おそらくは、大会後に追求されて白状したものと思われる。
 まったくもってふざけた話ではないかっ!
 それなら最初から出場などするなと言いたい。
 そして、その事実を知らされた後に、オッサン達は次に予定されている市の大会へ向けての新たな消防訓練を行ったのである。
 この情けない図を想像していただきたい。
 テンションは上がろうはずもなく、下がりっぱなしで、やる気が出るわけもない。
 けれども、仕方がないのである。ウソでも優勝しているのだから、市の大会へは出場しなければならない。
 だが、今さらガタガタ言っても何にもならない。無駄に疲れるだけだ。ようはやるしかないのだ。
 半ばヤケクソ気分で練習日を決め、オッサン達は訓練をこなしていった。
 すると、不思議なもので、それなりの成果はでてくる。タイムが縮まってきたのだ。
 地区大会では必死に走っても四十六秒だったものが、練習では軽めに走って四十二秒、ポンプ操法とは、主にこのタイムを争う競技なのだ。
 「練習は、夜にしかできないが、大会当日は昼まで明るいから、もっとタイムが良くなるはずだ。こりゃあ、ひょっとすると、ひょっとするぞ」と、分団長は、冗談まじりに笑っていたものだ。
 しかるにである。大会前日、つまり十月三十一日の土曜の夜から、オッサンの歯はにわかに痛みはじめた。
 もとより歯医者などはあいていない。経験者ならわかると思うが、歯痛というのは、痛みだしたら眠ることすらできない。
 結局、一睡もできないまま、当日の朝を迎え、右頬を腫らしたまま、オッサンは市の小型ポンプ操法大会に出場した。
 結果は、後から二番目の成績となった。
 ブービー賞じゃ、文句あるかっ!

俺を落としやがって

 この友だちの観察力はたいしたもので、気付きにくいことをよく見ている。
 だから、オッサンとしては、ずいぶん勉強になることも多いし、かなり助かってもいるのだが、審査員の一人が「眠ってたぞ!」とあきれた顔をして言ったのにはがっかりした。
 (なんだって!ふざけんじゃねえぞ)とたいして努力もしていないオッサンでさえも腹が立った。
 まして、楽譜も見ずに演奏のできるほど練習をして(オッサン以外の者は皆そうだった)出場した者達が知ったとしたらどんな気持ちがしただろう。
 それから、この友人はオッサンの演奏に対しての感想も語った。
 「リハーサルの時は良かったんだけどな・・・」と気を使って遠慮がちに友だちが言うのを要約すると、つまり、サビの部分は声も言葉も聞こえていたが、他のところはムニャムニャという感じで、あまりはっきりとは聞き取れなかったとのことだった。
 考えてみるに、オッサンは楽譜台を前に置いて立ち、ギターをかき鳴らしながら、身体を揺らして唄っていたため、マイクに近づいたり離れたりしていたものと思われ、その為にそんな風に聞こえたと推測できる。
 サビのところなどは、嫌でも声を張り上げるはら、多少マイクから離れても聞こえたのだろう。
 そして、極めつけはギターの三弦の緩みである。
 なんだか予選落ちした言い訳をしているようになっているので、ここでハッキリと断っておこう。
 むろん、こんな事があってもなくても結末は同じであったと、オッサンはしっかり自覚している。
 これは単なる事実起こったこととして書いているだけである。
 そもそも、楽譜を見なければ演奏ができない程度の練習しかしていないし、普段から他人に演奏を聞いてもらおうなどと考えてもいないものが、こんな音楽祭で演奏すること自体が間違っているとも言えるのである。
 それは、それとして、オッサン達が不可解だったのは二次予選であった。
 せっかくだからと、オッサンと友人は、しばらく残って誰が最終選考まで駒を進めるだろうかと、二次予選のメンバーの演奏を聞きながら予想を立てた。
 思った通り、オッサンと友人の予想はバラバラだったが、互いに自分の予想が当たっているものと確信していたはずである。
 ところが、この予想は二人とも完全にハズレていた。
 というのも、二人ともコイツは間違いなく通過すると思っていた演奏者をはじめとして、プロ並みの上手な人たちが次々と落とされたのである。
 これはどうしたことだろう?
 結局、最後の三組(一位、二位、三位)に残ったのは、ストリートミュージシャンの若手ばかりで、全てメインボーカルは女性だった。
 確かに彼女らは、それなりに素敵な演奏を聞かせてはくれたが、あきらかにそれ以上の実力をもった演奏者たちがいたのである。
 「わからないもんだなぁー」と首をひねりながら、オッサン達は帰路についたのだが、その途中に、ああだのこうだのと話すうちに、つまるところ、若手ミュージシャンを応援しようという審査方針みたいなものがあったのだろうということに落ち着いた。
 そして、実力もなく他人に唄を聞かせようとも思わない中年のオッサンは、居眠りをしていたという審査員に、もうれつな怒りを燃やし、来年のリベンジを誓うのであった。
 (俺を落としやがって、コノヤローっ!)

リハーサル

 さて、旧香港上海銀行での音楽祭当日のこと、オッサンは自分の所有するオンボロギターでは心もとなく、友だちの上等なギターを借りることにした。
 というのも、オッサンの安物フォークギターでは、会場で使用されるようなギターアンプにつなぎスピーカーから音を出せないのだ。
 それはたしかに細かく言えば、普通のフォークギターであっても、ピックアップという器具を取り付ければ、なんとか音は出せる。だが、音色が悪くなる。
 それで友人のエレアコ(エレキギターのアコーステック使用)を貸してもらうことにしていたのである。
 これを使えば、ピックアップ機能は内蔵されているから、何の問題もなく、ギターとアンプをつなげられ、しかも良い音が響くのである。
 むろん、オッサンの演奏であるから、ギターなど関係ないと言えば、全然関係ないのだが、なにせ、一次審査くらいは簡単に通過できるだろうとの非常に甘い下心があったのだ。
 もちろん、現実はそんなにあまくはない。
 受付を済ませて、はてギターや荷物を置く場所はと見回すと、そんな場所などありはしない。会場のあちらこちらに放り出したような形で荷物が置かれたあるではないか。どうしたものかと考えていると、係りの人が、「この部屋もよかったら使っていいですから」と言うので、それは助かると思い、少し奥まった場所にあるその部屋を使うことにした。
 この部屋はガランとしていて机以外にはほとんど何もなく、他の誰をも荷物を置いてはいなかった。
 このときに気づきそうなものだが、オッサンは反対に、ラッキーだと思って、そこにギターと荷物を置いて軽い朝食を買うべくコンビニへと向かった。
 二十分後に会場へと帰ってくると、すぐにリハーサルを始めますとアナウンスが流れた。
 それではと、ギターケースからギターを取り出して練習しようとしたときに、楽譜立てがないことに思い至った。
 だがそれくらいは会場で用意していてくれるだろうとステージ付近を見てみたが見当たらない。念のため係りの人に尋ねてみると、どうやら用意していないようだ。
 これは困ったぞ。どうしようかと、焦り始めたオッサンの様子を見ていた友人が、「それなら、これから家に戻って持ってこよう」と言ってくれ、すぐに行動を起こした。
 オッサンは、係りの人にリハーサルの自分の順番を最後にまわしてくれと頼み込み、承諾してもらった。
 もし、間に合わなかったら、リハーサルは無しでもいいと覚悟はしていたが、友人は急いでくれたようで、オッサンのリハーサル前に充分間に合うように戻って来てくれた。
 そして、オッサンのリハーサルは二分ほどで難なく終わり、すぐに本番が始まった。
 ところがである。
 リハーサルとは違って、本番は一組だけで十分近く時間を使うので、オッサンの出番までには、かなり時間に余裕ができたものだから、オッサンは少し退屈になり、少し練習でもしておこうとギターを置いてあるあの小部屋で軽くおさらいをしていたのである。
 その最中に、急にさっきとは別の係員が来て、「ここの部屋は展示室なので、荷物を置いたり、音出しの練習は困ります」と言ったのだ。
 全然話が違うじゃないか。第一 何も展示物など無いではないかと、内心でオッサンは憤りながらも、係員の指示通りに荷物等を移動した。
 このときギターが倒れたのだ。すぐにギターをひろい、不安を抱きつつも傷はないか、壊れた所はないかと確認して、別に異常もなく安心した。
 けれどもこの時、弦を巻いてあるペグが緩んでいたのだ。オッサンは全く気付かなかったが、オッサンが本番を終わって「ちょっとギターを」と手に取った友人はこう言った。「やっぱり弦がかなり緩んでる。これでよく最後まで演奏したね」