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感覚が羅針盤

 面白いもので、その新人も次の家では、アプローチアウトにもならず、ひととおりの話ができた。声も自然と大きくなっており、説明にも熱が入ってきたように思えた。
 そして、いよいよクロージングまで進み、もう一度じっくり考えたいから明日また来てくれと言われてた。それは決して断り文句とは思えぬ言い方であり、確かに迷っている様子が見てとれた。
 「明日必ずお伺いします」と約束をして、その家を出てきた新人は、先刻とは打って変わり、「なんだが、仕事ができた実感がしました」と明るい表情で言った。
 こんな調子でオッサンは、自分の係に限らず、小学課や幼児課の新人をも可能な範囲で逆同行をしていった。
 ただ、中学課とちがって、小学課と幼児課は、責任者以外は、すべて女性である。
 これには、教材の営業独特の理由がある。
 この仕事は、ほとんどが、母親を相手に話しをすることになり、ことに幼児をもつ母親となると、新人の女子社員と年令的にも近くなり、お客様との壁がとりやすい。極端な言い方をすれば、友だち感覚で話せるのである。
 だから、男子社員と比べると女子社員の方が有利であり、格段に強い。
 小学課においても、一年生や二年生といった低学年の子供の母親は、まだ若い。そして、こういう家でなければ、フルセット、つまり一年生から六年生までの教材を買ってはくれないのだ。
 これが中学課となると話はちがって、あるていどの畏まった態度や物の言い方が必要になる。そのへんの勝手が、まったくちがうのだ。
 それに女性は、物事に対する考え方や感じ方が、男とはちがう。とくにオッサンのような昔気質的な男からすると、まさに正反対だと思えるところも多かった。
 たとえば、お客様と話をしていて、急に話を打ち切り家を出てきたり、世間話に終始して、ほとんど商品説明もせずに帰ってきてしまうことがよくある。
 後で理由を聞いてみると、あのお客は、自分との性が合わなかった。だとか、教材には関心のない母親だったので情報集めしか考えていなかった。商品説明をする時間がおしくなって出てきただとか、理由とも言えぬ、まったく感覚的な思い込みで決めつけ、判断を下すのである。
 たしかに、その感覚的な見方が当たっていることもあるのだが、(おまえら仕事をナメとんのかっ!と思うことがオッサンにはたびたびあった。
 けれども、彼女達は、そこそこの営業成績をあげるのだ。
 営業という仕事において、その評価は結果がすべてである。
 お客様をだましたり、ウソを言って説明をしていないのなら、たとえママゴト遊びのような仕事内容であったとしても、結果を残せれば、それはそれで正しいということになる。
 であるから、オッサンとしては、とにかくやりにくい理屈詰めで説明しても、半分も聞いてはいないのだ。
 彼女等にとっては、自らの感覚が羅針盤であり、判断のよりどころなのだ。
 だから、オッサンはできるだけ口を出さず、自由にのびのびと仕事をやらせることにした。
 ただし、あまりに目にあまる態度や行動については、指摘した。
 母親と友だち感覚で話せるとはいっても、お客様に変わりはないのだから、最低限の礼儀は弁えてもらわねば困るのだ。
 少しずつ、彼女等に接するコツをつかんできたオッサンではあったが、一番苦労をしたのは、仕事を辞めたいという彼女達を宥めるときだった。
 オッサンは、会社近くの喫茶店に何度呼び出されたかわからない。