それから、一ヶ月たってやっと、おっさんは念願の初オーダーを取った。
その日は、10件ほど連続してアプローチアウトをくらい、(その中の一件では水をかけられた。)しばらく、何もする気がなくなって、近くにあった小さな神社で休んだ。
こういうとき、おっさんは前沢係長の言った『売ろうと思うな。説明をするのだ。』という言葉の意味を思い出し、考えるのだった。
売るということとは、どういうことだろう?
説明をするとは、どういうことだろう?
いうまでもなく、頭のにぶいおっさんは、ひとつひとつを考えていかなければ、その意味することをつかめないのだ。
売るということには、どこかにセールスマンのおごりが入っている。何か、お客様を買う気にさせるというニュアンスを含み、つまり相手を操ろうという行為が感じられる。これは、形を変えた押しつけになるのではないか? つまり、本質はなんら押し売りと変わらない。けれども説明となると、選ぶ主体は、お客様の意志となる。
ある品物があって、その内容がよくわからないものを、よくわかるように説明してあげて、買うか、買わないかは、お客様にまかせてしまうということになるのだ。
あれから、現地での仕事中、ことあるごとに考え続けてきて、おっさんの頭でも、おぼろげながら、その意味するところが理解できはじめていた。
『売ろうと思うな。説明をしろ。』と、頭の中でくり返し、くり返し、同じ言葉が再生されては消えていく・・・・・・。
ふと、おっさんは気づいた。
自分は、押しつけがましかったのではないのか。その気持ちが、お客様に嫌悪感を抱かせたのではあるまいか?
たとえば、説明するといっても、聞く気のないものにはいくら説明してみても仕方がないのではないか?
嫌いなものは、いくら腹がへっていても食べないし、腹がいっぱいになっていても、大好きなデザートは苦もなく口に入るのだ。
セールスマンだと思っただけで、拒絶反応をする人もいるし、関心を示す人もいる。
そうだ、関心のある人を足で捜せばいいんだ。アプローチアウトは、そういう人にめぐり会うための、必要な無駄なのだ。
だから、なんとか聞いてもらおうとねばる必要は、まったくない。時間の無駄だ。
次から次ぎにどんどんアプローチアウトをくらって、最後の一件を見つければいいだけの話だ。
そう思いはじめたら、おっさんには急に元気がわいてきた。
そうして、不思議に穏やかな気持ちで、次の家の玄関を入った。
ここちよい風さえ吹いているような、そんな感じだった。スーッと自然に、自己紹介と商品説明をして、ありがとうございました。と帰ろうとしたとき、逆にお客様があわてたようにこう言った。
「ちょっと、まだ契約してないでしょ。勝手にかえらないでよ。」
「えっ、あっ、はい。そうでしたね。」
おっさんの、それまでの平常心は、どこかに消えてなくなり、まるで、雲の上を歩いてるような、不安定な感覚が出現し、何をやっているのかわからなくなり、契約書一枚を出すのに、やたらに手間どった。
このようなお客様を、セールスマンは、属に印鑑みがきの客というのだ。 つまり言葉通りで、セールスマンが来る前から印鑑をみがきながら待っているお客様だという意味でそう呼ぶのだが、おっさんにとっては、これまで何百件と断られつづけて、やっと現れた唯一の、自分を信頼してくれたお客様なのだ。
まさに、神様・仏様・天使様なのだ。
気のせいか、後光さえ見えた気がした。