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最後の決めては信頼だ

 正直に言って、おっさんはとまどいを覚えた。自分があれほど苦労してとれない契約を目の前で、立て続けに二件もとって踊っているこの前沢という男は一体何者なんだろう。
 むろん、いつもこんなに上手く契約がとれることはないのだろう。この喜び方を見てもそれは予想がつく。だが、凄いっ!
 会社にとって、こんな営業マンこそ、なくてはならない貴重な存在だろう。
 悔しいものだが、おっさんは、この前沢係長とは、根本的な何かが決定的に、自分とは異なっていると思わずにはいられなかった。
 
 はたして、その後、前沢係長はさっきは手もつけなかった缶コーヒーをゴクゴクと一気に飲みほし、「よしっ!今日はこれで終わりだ。時間が来るまで車で休もう。」と言って、さっさと歩きだした。
 車へもどってくると、前沢係長は、「どうだった。後に付いていて何か感じたか?気付いたことはあるか?」と質問をしはじめた。
 おっさんは、少し緊張しながら、「はい、僕にはとても、あんなことはできないと思いました。」
 「どうして?」
 「いやぁ、あんなふうにお客さんとの壁とりができるくらいなら、初オーダーがとっくにとれてます。」
 「そうか、まだ初オーダーとれてないのか。こりゃあ大変なのがやって来たな。」
 「すいません。」
 「まあ、あれは俺のやり方だから、そっくりマネをすることはない。けれど、仕事を楽しむコツを覚えろ。」と係長は急に真剣な顔で語りはじめた。
 「この仕事は、自分の信用をお客に売りこむことだ。どんなに口がうまく、説明が面白くても、どんなにお客が、嬉しそうに笑っていても、その営業マンへの信頼がなかったら契約書に印はくれない。結局、最後の決めては信頼だ。」
 「そいうもんですか?」
 「そうだ。あんな話し方や、やり方でなくても、お前のやり方で、その信頼を勝ち取ることだ。」
 「信頼ですか・・・それどうすれば・・・」
 「まず、一番大切なことは、商品に惚れこむことだ。自分の説明しているこの教材は、ただの教材じゃない。もし、自分が中学生のときに、これがあったら勉強嫌いにはならなかったはずだ。これは今、勉強する気があっても、できないと悩む子供への最高の味方になってくれる商品だ。とそれぐらいの気持ちをもって説明してみろ。いいか、売ろうと思うな。ただ説明するんだ。」
 「はいっ!わかりました。」
 おっさんは、前沢係長の裏の顔を見せられた思いがした。
 それから前沢係長は、「一時間したら起こしてくれ。」と言うと運転席のシートを倒し、「グァオー・グァオー」と、わざとしているとしか思えないほどの大きな高鼾をかきながら眠ってしまった。
 おっさんは、係長に言われたことを、反芻しながら考えた。自分の商品に惚れこめ。これはなんとなくわかった。
 しかし、売ろうとするな。説明をするんだ。というのが、どうにもわからない。
 俺たちの仕事は、商品を売りこむことではないのか?
 これは、そのときの、おっさんのぼんくら頭では、何度考えてもほどけない智恵の輪だった。
 それから、どれくらい時間がすぎたのか、たしか一時間はたっていなかったと思うが、おっさんが起こすより早く、前沢係長は目を覚まし、一番目の待ち合わせ場所へと向かった。