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なんで、さだまさし・・・

 ついこのあいだ始めたかのように語ってきた、おっさんのストリートライブも、実を言えばもうかれこれ一年半になる。
 そのあいだには、いろんなことがあった。
 たで食う虫も好きずきと言うが、信じられないことに、下手なおっさんの唄を聞いて、感動したと喜んで帰っていった人もいる。
 時には、歌い疲れて一服しようかとギターを置いたときに、どこで聞いていたのか知らないが、突然現れて今の曲(クラプトンのティアズ・イン・ヘブン)が大好きなんです。”ありがとう”とお礼を言って去っていった外国人女性もいた。
 そうかと思えば、おっさんにしっかりとリクエストしておきながら、座り込んで眠ってしまい、なかなか起きてくれない人や、静かなバラードを唄っているはずなのに、目の前で、やたら陽気に踊り狂っているおばさんもいた。
 ほとんどが、泥酔に近い悪気のない酔っ払いたちなのだが、なかには、酒こそ飲んでいないものの、この上なくやっかいなのもでてくる。
 そのときは、何曲かをけっこう大声で歌ったから次は静かな感じのをやろうと思って、かなり昔にクラフトというグループが歌っていた”僕にまかせて下さい”という題名の歌を、何気なく声ならしのつもりでやっていたのである。
 すると、一度おっさんの前を通りすぎたアベックが、きびすを返して戻ってきた。
 そして、開口一番 それも二人同時に「なんで、さだまさしを歌っているの?」と言ったのだ。
 (この歌は、たしかにクラフトも歌っていたけれども、作詞・作曲はさだまさしだったのだ)
 しかしながら、なんでと言われても理由などあるわけがないので、おっさんは困った。
 「なっ、なんでと言われても・・・」
 「他にはどんなのがある?」 
 (なんだ、もしかしたらこの二人、著作権協会の調査員じゃあないだろうか)と、おっさんは身構えた。
 だが、よく考えると、別にそうであったとしても、営業をしているわけではないので何の問題もないのだった。
 だが、できのよくない頭の上に少々おっちょこちょいなおっさんは、そんなことに気づくはずもなく、やっぱり、ゆでダコ状態で言葉につまっていた。
 「だから、他にさだまさしの曲はないのっ!」と女の人がひときわ大きな声で言ったので、おっさんは必死に捜した・・・すると、一曲だけ”かかし”というのがあったので、それを唄ってやると二人とも喜んで、また他にはないかと言うから、今日はこれしかないと、おっさんは答えた。
 すると、今度は不満そうな顔をして、この次ぎ来るときには、もっとたくさんのさだまさしの曲を用意しておくようにと言い残して帰っていった。
 ようするに、このアベックは、さだ氏の大ファンだと言うだけのことだったが、おっさんにしてみれば、今日知り合ったばかりの人に、どうしてそこまで言われなければならぬのか納得がいかなかった。
 そもそも、おっさんの声は低いので、さだ氏の歌には向いてない。
 器用な人は、カポを使ったり、コードを変えたりして自分に合わせて歌うのだろうが、むろん、おっさんにはそんな芸当はできない。
 おっさんのギター演奏は、いや演奏といってはいけない代物なのだ。
 左手で一応コードを押さえるが、大切な右手はピックをもってジャカジャカと鳴らすだけで、リズムもいい加減だし、音もあたりまえに出ているのかどうかもわからないのだ。 
 それでも、かなしいかな、根がまじめなおっさんは、次の週、ちゃんと用意をしていったのだった。

バカは死んでも治らない

 誤解をしてもらいたくないので、これだけは話しておきたいのですが、おっさんの顔は恐いといっても、べつにバケモノのような顔をしているわけではない。
 いや、そうだと言い切る者も、もしかしたらいるかもしれないが、本人はそうは思ってはいない。
 百歩譲って、冷静に自分の顔を分析してみると、ブサイクな顔の猿が、そのまま大きくなった姿とでも言ったら、最も近いと思う。
 吉本興業のホンコンだとか、チャウチャウ犬だとか、ゴリラだとか、クマだとか、他人は実にいろんなことを言ってくれるが、おっさんが思うには、ようするに、顔がヤクザっぽいと言うことだと思う。つまりゴツイ顔なのである。
 ここで、断っておくが、おっさんは、ヤクザ屋さんたちとは一切縁もゆかりもない。 
 もちろん両親にしても一般人であるし、そのばあさんも、じいさんもそうである。そのまた、ひいばあさんも、ひいじいさんも・・・きりがない。
 つまるところ恐ろしい顔と言ったところで、まったくの見かけだおしなのである。
 一度でも会話をしてみるならば、それは明らかとなる。
 いたって穏やかな、どこにでもいる普通の・・・いや、少し変わった人なのだ。
 一言でいうと、変なおじさんだ。
 けれども、決して狂暴ではないし、変態でもなく、そんなに恐い男でもない。
 友人などは、おっさんのことを、石橋を叩いて壊すなどと、よく言うのだが、これは小心者だという意味であり、暴力的な人だということではない。
 かといって、おとなしくもない。
 臆病のようでいて、大胆でもあり、恥ずかしがりのようで、恥知らずな部分もある。
 つまり、わけのわからない性格の男なのである。
 であるからして、いきなりストリートミュージシャンにもなるし、良いと思ったことはなんであれ、やって見なければ気が済まないのである。
 いうまでもなく、おっさんは歌が好きなので、今でも、いろんな人たちとカラオケ屋に行くのだが、ストリートで歌うことと、カラオケで歌うことには、何か質的に楽しさがちがう。
 ちょうど、テレビでサッカーの試合を見るのと、実際にスタジアムで応援する興奮のちがいとでも言うのか、アナログとデジタルのちがいとでも言ったらいいのか・・・ とにかく、やってみたらはっきりとわかる。
 そりゃあ たしかに、あらかじめセッティングされた演奏にのって、マイクで歌うほうが楽だし、気分もいいし、楽しいが、しかし
たとえ下手であっても、自分の演奏で、自分の生声で歌うことは、それだけ苦労する分、楽しさも数倍となる。
 だいいちに開放感がちがう。
 屋外で行うからか、歌うごとに自分をさらけだせる感じがする。
 いってみれば、歌に集中しているときは、何もかも忘れ、心を裸にできるのである。
 まさに、感情的なストリートキングだ。
 変な言い方になってしまい、まことに申し訳ないけれども、これは真実なのであります。 
 そして今、この自由な開放感に、おっさんは酔っているのであります。
 あーあ、バカは死んでも治らない。

職務質問・・・顔?

 次の週、おっさんは、ライブの後はじめて、あの青年ミュージシャンと顔をあわせた。
 「いやぁ、盛り上がりましたねぇ、ライブ。」と、おっさんの気苦労も知らず青年は嬉んでいた。
 「あれから何度か遊びにいって、演奏させてもらってます。あのマスターも口は悪いけど、いい人ですよね。」
 「そうですか、それはよかった。」と、おっさんは、(二度と俺はライブなんぞには出ないぞっ!)と思いながら、話を合わせていたが、気になっていたことを思わず口に出した。
 先週の警官に注意されたことを話してみたのである。
 「そうでしたか、それは驚かれたでしょう。いえね、前にも似たようなことがあったんですよ。幸い僕は何も言われずに済んだんですけど、僕の前で演奏していた、知り合いのストリートミュージシャンが、警察官に強引に帰らされたことがありましたよ。」
 「えっ、そんなことがあるんですか?」
 おっさんは青くなった。
 「ええ、知り合いだったから、僕もかわいそうに思ったんですが、どうすることもできませんからねえ。そりゃもう後味悪かったですよ、ほんと。たぶん誰かに通報されたんだろうと思うんですがね。」
 「どうして?」
 「まぁ、その人の主観的な感覚なんでしょうけど、あんまりヒドイと思われたら、そういうこともあるってことです。」
 「そっ、そうなんですか?」
 おっさんの顔色は、すでに青から紫へと変わっていた。
 「でもよかったじゃないですか、帰れって言われたわけじゃないんだから。普通に歌ってるぶんには問題ないってことですよ。」
 (そうだ、帰れとは言われなかった。おまり大声は出さないようにと言われたのだ)と、おっさんも少しは安心したが、あの二人組の女の子達は帰って行ったのだ。彼女らが警官に何を言われたのかわからないが、決して下手なミュージシャンではなかった。
 そう思うと、なんだか背中に冷たいものを感じるおっさんでありました。
 ところで、話が少し横道にそれますが、おっさんは、昔からどういうわけだか、よく警官に職務質問をされるのであります。
 大学生だった頃にも、多勢の人がごったがえす東京、上野駅の構内で警官に呼びとめられたことがありますが、よくもこんな人ごみの中で自分だけに声をかけてくるものだと頭をひねったものです。
 そして、その警官が職業は何かと尋ねたようだったので、大学生だと答えると、このバカ警官は急に顔色を変えて怒りだし、「貴様が学生なはずがあるかっ!」と怒鳴ったのであります。そのときは、さすがにおっさんも頭にきて「学生だと言ったら、学生だっ!」と、学生証を見せてやったら、貼付してある写真と、おっさんの顔をじっくり見比べ、ついにはペコペコと謝っておりました。
 まったくもって信じられない話でありますが、他人からすると、おっさんの顔は恐いそうなのである。以前、おっさんの顔に顔面暴力というアダ名をつけた者もいたし、新宿の居酒屋でアルバイトをしていたときには、地回りのヤクザにスカウトされそうになって必死で断ったこともある。とくに一番いやだったのは、仲よくなったばかりの女の子が、ジーッとおっさんをみて、「黙ってると、ほんとうに恐いよ。」と真顔で言ったときだ・・・ 頭上にともっていた電球が、急にパッと切れた。そんな感じだった。
 自覚もなく、認めたくもないものの、これでは認めざるをえない。文句は親に言ってくれっ!
 とはいうものの、この顔の恐さのおかげで警官に帰れなどと言われずに済んだのだとすると、あながち悪いことばかりとも言えない。

警官が来た!

 つまり、常識にしばられることのつまらなさ、自分を自分らしく表現し生きる、熱中できるものを精一杯やってみるということを、おっさんは、たしかに、このとき学んだはずなのであります。
 それが、どこにどう活かされているのかは、はなはだ疑問の残るところではありますが、あんまり考えすぎると、おっさんの場合、バチッ、バチッ、と音が聞こえて、頭がショートしそうになるので、このあたりでやめておきます。
 でありますから、おっさんは当然のごとく、またもや街へとくりだすのであります。
 しかも今度は、誰が聞いていようと気にしません。それこそ、大いに聞いてもらおうじゃないかと、そのくらいの気持ちになっております。
 これは、べつに酒が入っているからではなく、昔の記憶に勇気づけられたわけでありますので、おまちがえなきようお願いしておきます。
 さて、そういうわけで、またまた、浜の町アーケードのど真中にやって来たおっさんは、落ちこんでいたのがウソのように、歌っておりました。
 するとしばらくして、二十歳くらいの女の子の二人組が、ちょうどおっさんのナナメ前に場所を決めて歌いはじめました。
 一人がギターを弾いて、サブボーカル。もう一人が歌うだけのメインボーカルでありましたが、その声の大きさは、おっさんをはるかにしのいでおります。そしてこれが呼吸もあっていて、なかなか上手い。
 たいしたもんだと、つい おっさんは歌うのを忘れて聞いておりましたが、ふと我にかえって(いかん、いかん、あんな小娘たちに負けてなるものかっ!)おっさんもあらんかぎりの大声を出して歌いはじめました。すると、むこうの二人も、さらに声のボリュームをあげました。こうやって二、三曲くらいでしょうか、互いに張り合うような形で歌っていると、急に後から肩をポンとたたかれました。ずいぶんとなれなれしい奴がいるもんだと思いながら、振り向くと、なんと警察官が立っております。
 (ぐえっ、ヤバイ)と、パニクッて、何がヤバイのかもわからずに固まっておりますと、警官は、おだやかな口調でこう言いました。
 「この先の方には住んでいる人もいるので、あまり大きな声では歌わないようにお願いします。」と、これは、しごくもっともな事であります。おっさんは恥ずかしくなって、「はい。そうですかわかりました。すいません」と、顔はまっ赤なゆでダコとなり、薄くなった頭には大粒の汗をかきながら、とにかく必死にあやまりました。
 それで安心したというように、その警官はそのまま去って行きました。
 あまり大きな声で歌っていたので、おっさんも少々のどが痛くなっていたところでした。
 そういえば、二人組の大声もきこえないぞと、そちらの方向へ目をむけると、やはり、警官に何か注意を受けている様子です。
 いきがかり上、おっさんも心配して見ておりましたが、警官がいなくなるのと同時に二人組もどこかえ帰ってゆきました。
 もちろん、二人が何を注意されてのか、聞こえはしませんが、だいたいの見当はつきます。女の子には、ちょっとショックだったのか、歌う気がしなくなったのかはわかりませんが、おっさんは少々気の毒に思いました。
 しかしながら、おっさんは、大声で歌うなとは言われましたが、歌うなとは言われておりません。
 むろん、他人に迷惑をかけてよいわけではありませんので、「歌っちゃいかん」とこう言われたら、歌うわけにはいきません。
 だからそういうことではなかった。できの悪いくせに、やたら都合のよい、おっさんの頭による解釈ではそうなるのであります。
 その後、二時間しっかり歌って帰りました。

ワァー、でいいじゃないかっ!

 ライブが終わってから一ヶ月間、おっさんはストリートにでませんでした。
 あれほど自分の未熟さをしらされたら、いくらおっさんといえども落ち込まずにはおられなかったのであります。
 それと、ライブの日にも自分の出番が終わってからのおっさんは、ただの酔っぱらいオヤジと化し、自分ではできなかったくせに、他のミュージシャンへは、アンコールを連呼し、少々うるさがられていた気もしていたからです。それに、おっさんは、どういうわけか酒が入ると言わなくてもいい、ドジ話とか、あとで後悔してしまうようなバカ話をしゃべってしまうクセがあるのです。
 そんなこんなで、いろいろな事情から、しばらくは、あの演奏メンバーと顔をあわせたくなかったのであります。
 ですが、それもわずかな間のことでありました。なにしろ、懲りるということを知らない男でありますから、またぞろ、変な虫が騒ぎだしてまいります。
 そもそも、他人と自分を比べてどうするのか、プロでもあるまいしと、ひらき直り、酒の席のバカ話など覚えておらんで通してしまえと腹を決めたのでありました。
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 おっさんがストリートで演奏しはじめたのは、他人にどうこう言われたからではなく、自分がやりたいと思ったからなのです。
 こんなことで、やめてなるものか、他人に迷惑をかけるのではよくないが、そうならない範囲で自分の好きなことをやるのが何が悪いかっ!と、おっさんには、何に対してだかわかりませんが、怒りにも似た闘志が湧いてきました。
 というのも、おっさんにはひとつのこだわりがあったのです。
 もう二十年近く前のことですが、まだ、おっさんが青年サラリーマンだった頃、社員研修の一つとして、あるビデオテープを見せられました。
 それに映っていたのは、なんでも、京都の名物和尚ということで、二十分くらいの短いものでしたが、それで充分おっさんの、それまでの人生観は、真反対と言ってもいいほどに変えられてしまったのであります。
 なにしろ、その坊さんは、画面へと映るなり、「ワァー、でいいじゃないかっ!」と大声で叫んだのです。おっさんは驚きました。
(なんだ、この坊主、気でも狂っているのか?)と、固唾をのんで見ていると、坊さんはこう続けます。
 「手も足も動かない人はどうするんですか、なんにもできないで終われるんですか、ワァーでも、ギャーでも、なんでもいいやないですか、わしら、せっかくこの世界に生まれてきたんや、どんな状況にいたかて、せいいっぱい、自分ちゅうもんを主張していかんならんのとちゃいまっかっ!」と、まるで岡本太郎が坊さんになったか。と思うくらいの迫力でテレビ画面のこちら側にいる、おっさん達に怒鳴りまくっているのです。
 おっさんの目は、画面へ釘ずけとなり、これはただ者ではないぞと、耳はダンボの耳となり、鼻は・・・・鼻は、ふつうでした。
 とにかく一言も聞き逃すまいと集中して、よくよく聞いていると、つまり、その人は、自分の能力にタガをはめず、伸びのびと生かせと説いているのです。
 そして場面はかわり、川辺に立った坊さんは、今度は静かな口調でこう語りました。
 「何か特別なことをしろと言うのじゃないんです。何かのために物事をしようとするよりも、どんなことでもいいからやってみたいと思うことを見つけなさい。たとえば、こういった川原の小石をいくつ積み上げられるか、それでもいいんですよ。我を忘れるくらい熱中できれば、その瞬間 その人の生命は光り輝いてるんです。」
 おっさんは感動しました。そして困ったことに、それがそのままおっさんの美学となってしまったのでございます。