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第 章

 鬱陶しい梅雨が明けて、今度は茹だるような猛暑が続いている毎日ですが、みなさんは夏バテなどしてはいないでしょうか? 
 実は、あの梅雨の直中、オッサンは大変厄介なことにかがずらわっていたのであります。
 その経過をこれから順を追って話していこうと思います。
 とある、七月の土曜日の午前八時頃、まるで火の付いたように激しく、オッサンの家のドアを叩く馬鹿者がいたのであります。
 (誰だ、こんな朝早くから。他人ん家のドアを騒々しく叩きやがって、セールスマンなら怒鳴りまくって帰してしまおう)と、心地好い眠りを邪魔されたオッサンは、寝惚け眼で、すこぶる機嫌の悪い状態のまま玄関の扉を開けた。
 ところが、そこに顔を出したのは、下に住んでいるオバサンでありました。
 ここで少し説明をしておこうと思います。
 と言うのは、オッサンの家はかなり変わったところにあるのです。
 なるべく分かりやすく話そうとは思いますが、ちょっと複雑になることを、あらかじめ予言しておきます。
 一口に言うと、段々畑のような、五段の石垣の組まれた、三段目に建てられている安アパートに、今現在、オッサンは住んでおります。
 このアパートは平屋の二件続きになっており、隣に母親が暮らしているわけであります。
 石垣組の一番上は、他人の所有地で、一番下も他人の所有地であります。
 つまり、中の三段がオッサンの家の所有地ということになります。
 このオバサンは、一番下の家の持ち主であるわけです。
 問題は、このオバサンのすぐ上の段の土地、つまり、我が家のすぐ下の土地であります。ここに、ずいぶん昔に建てられた、崩れかけの日本家屋が存在していたのであります。
 以前から、このオバサンに、「危ないから、何とかして下さいな」と言われてはおったのですが、素人が解体できるはずもなく、専門の業者を頼むには費用がないので、困り果てていたところなのであります。
 ところが、ついにこれが倒れてしまったのであります。
 この朝、オバサンがやって来たのは、この用件のためなのでありました。
 「昨日も来たんですが、お留守のようだったので・・・」と、オバサンは、思いがけず、すまなそうに口ごもった。
 驚いたのはオッサンである。
 確かに、昨日は一日中忙しくて、帰宅したのが夜おそくなり、疲れてもいたので、気付きもしなかったが、倒れたとなると下の家は大変である。
 「なっ、なんですとっ!」と言うが早いかオッサンは、サンダル履きのまま、アパート脇の石段を二十段ばかり、一気に駆けおりてその現場を目撃したのだった。
 その日は、ちょうど梅雨の晴れ間となった日で、憎らしいほど鮮明に、その悲惨な情景を見せ付けてくれておりました。
 古い日本家屋は、見事に下の家の屋根に覆いかぶさってしまっていたのである。
 それを見たオッサンは、口をポカンと開けたまま、二、三秒固まった。
 「どうします?これ」と、ゆっくりと石段を降りてきてオバサンが言った。
 「明日中に、せめてこの屋根に乗っかってる材木だけでも、取り除きます。申し訳ありませんが明日まで、待っててもらえませんか?」オッサンは、先刻とは、打って変わって拝むようにして、オバサンに頼みこんだ。
 「わかりました。それじゃ、宜しくお願いします」と、オバサンの返事は腰が抜けるほどアッサリとしたものだった。