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夜の情報雑誌

 たしかに、バイト料は言われた通にもらって、オッサンとしては何の文句をいうこともなく、良かったと言えるのだが、何せ、ど素人の上に、不器用なオッサンが、壁や天井、床と店内改装のほとんど全部を、手伝うというよりも、逆に少し手伝ってもらったというかたちで、終了したのである。
 本当にこれでいいのだろうか?仕上がりはとても、きれいだとは言い難い。
 はたして、このままでこの店をオープンさせられるのだろうか?オッサンの中には当然のこと、不安と疑念が残った。
 しかし、店はオープンした。長崎の夜景を稲佐山から映した写真を引き伸ばし、それを大きなアクリルパネルの照明ケースに入れてカウンターの奥の飾りにつけた以外には、何も手を入れることもなく、営業はあたりまえのように開始されたのである。
 たとえ、金を返せと文句を言われても仕方がないとさえ思っていたオッサンだったが、それどころか、オーナーであるこの恐るべき老人は、指示通りにやってもらって良かったと喜んでさえいた。
 もちろん、マスターや店員、ボトルやグラスだとかの手配は充分になされていたから、オッサン達に後々文句を言うこともなく、順調に店は流行しだした。
 けれども、これが一つの縁となって、オッサンと電気屋の友人は、あの老人の構想していた、夜の情報雑誌を手伝うことになった。
 それからも、いろんな問題は起こってきたのだが、ここらで少し方向を変えようと思う。
 というも、もうそろそろストリートミュージシャン日記のほうへと、話を戻そうと思うのである。
 考えてみると、そもそもがオッサンのストリートミュージシャン日記として書き出した話が、いつのまにか、それもここ何年かは、オッサンの職業遍歴日記とでも言うしかないものに変化してしまっていたことに気づき、最近やっと反省しはじめたのである。
 ネタづまりというような、言い訳にもならない理由で、勝手に自分の新人社会人時代の話題へともっていってから早くも二年、大変申し訳なく思っております。
 
 さて、そういうことで、また例によって勝手に気を取り直し、オッサンは現在進行形であるストリートでの話へ移ることにする。
 石の上にも三年とは言うが、オッサンのストリートミュージシャン歴も、今年で三年が過ぎ、四年目に入ったところである。
 街角に立って歌っていた他のミュージシャン達の顔もすっかり入れ替わっている。
 やんごとなき理由でストリートには出れなくなった者もいれば、ライブ会場でしか歌わなくなった者もいる。
 今では、オッサンが一番の古かぶだと言っても決して言いすぎではない。
 今現在、長崎アーケード内で歌っている街角ミュージシャンで、二年以上やっているのは、片手にあまるほどしかいない。
 実に寂しい事だが、半年か一年もすると見かけなくなる。
 オッサンも、必ず毎週やっているわけではないので偉そうなことは言えないが、屋外へ出て、人通りの中で、大声を出し自分の好きな歌を好きなだけ唄う楽しさを忘れないでいてほしいと思う。
 これは余談になるが、若いストリートミュージシャンの中にはプロを目指して頑張っている者も多いと聞く。そう簡単にプロになれるほど世の中甘くもないだろうし、頑張ることが決して悪いとは言わないが、百歩譲って彼らがプロになれたとして、それが何だとオッサンは思う。
 というのも、言うまでもなくプロとは、歌を唄うことを職業にしている人のことである。 純粋に楽しいから歌を唄うと、そんなのん気なことを言ってなどいられないプロフェッショナル達なのだ。
 決して歌など唄いたくない気分の時でさえも唄わなくてはならない。それこそ、今倒れそうに苦しい時にも笑顔を浮かべて唄うのだ。単純な心で、気軽に歌うことなど決してできなくなる。
 オッサンに言わせればアホだ。