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東京へ・・・そして横浜

 こうして、様々な老人達の姿を見て、いろんな感動を覚えたオッサンだったが、ようやく仕事にも慣れ、職員の皆と親しくなった頃、突然にまた東京へ出ようと思いこむようになる。
 というのも、どういうわけでかオッサンは小説家になるのだと決心を固めており、それには中央へ出て勝負をしなければならないと何の根拠もなしに決定していたのである。
今から思うと滑稽とも言える愚かで自分勝手な思いこみであり、まことに浅はかなことで、必ずしも東京などへ行く必要もなかったと思うが、このときは何故か当然のことのように考え行動に移していた。
 オッサンには、このように、ときとして発作的に行動を起こしてしまう悪いクセがある。
 おまけに頑固であるから質が悪い。施設の皆からも随分引きとめられ、考えなおすように説得をされたが、こうと決めたら融通のきかない大馬鹿者なのである。
 とうとう東京へと出てしまった。
 さて、出てきたのはいいのだけれど、たいした計画も立てず、それほどお金も持っていないオッサンは、カプセルホテルに宿泊しながら、職をさがした。
 とりあえずは、衣食住を満たすべく、働き口をみつける必要があったのだ。
 ハローワークにも行ってみたが、住む所が定まっていないから住民票は長崎のままで移せない。当然のことにハローワークから仕事にありつくことはできない。後は、新聞のチラシか就職雑誌から探すしか方法がないと考えた。
 実を言えば、まだ他に方法はいくらでもあったのだ。アルバイト募集の張り紙を利用する手もあるし、自分から会社訪問をして歩いてもよかった。
 だがオッサンは、アルバイトや営業職はなるべく避けるように動いた。なぜなら、アルバイトは収入面で不安があるし、営業職は時間に余裕がもてないと思ったからだ。
 けれども、半月の間、職は決まらなかった。お金も底をつき、あと五日もすれば野宿をするしかないと思いはじめたとき、職が決まった。営業職である。
 オッサンは、自分に課した禁を破ったのである。そうして、これは大失敗だった。
 この会社は、知る人ぞ知る、大手のふとんメーカーで、全国的に有名なのだが、それだけに給料が良かった。
 浅はかなオッサンは、それに釣られてしまったのである。
 一週間の研修を静岡にある、その会社の研修施設で受け、羽毛ふとんの徹底した商品知識を叩きこまれた。
 それがである・・・。研修がやっと終わって、受け取った会社の辞令を見ると、配属地はなんと新横浜支社となっていた。
 せっかく東京へ出てきたと思ったところが、最初から出端をくじかれた。
 ここから、どんどんと歯車は狂い続けることになって行くのだ。
 その会社の製作していた布団は、確かに高級品であり、上質のものである。
 だから、商品に惚れこむことは簡単なことだった。
 ただ、その売り方には、かなり問題があった。強引すぎるのである。それに価格も高い。
 何も考えず、飛び込み訪問を続けていたオッサンであったが、一週間たち半月が過ぎても結果は出せず、ベテラン社員の売り方を見せてもらうことになった。
 オッサンがまず違和感を感じたのは、ふとん屋ですとは言うものの、決して会社の名を口にすることなく、話をすすめているベテラン社員のやり方である。それに商品説明などもほとんどしない。とにかく、訪問先の家の布団を見せてもらい、使っている布団の問題点を、それとなく、あげつらうのである。(例えば、綿ぶとんなら、ハウスダストの原因だとか、日光にあてて干し、叩いたりすると綿の繊維が折れてバラバラになるのだとか)