記事一覧

転勤を承知

 であるから、彼女とオッサンとの関係は内気な中学生の恋愛ごっこに毛の生えたほどの付き合いから、何らの発展もしなかった。
 そして、この不自然極まりない関係にも、ついに終わりがやってきた。
 オッサンは、長野支社から松本支社への転勤を承知したのである。
 どういうことかと言うと、松本支社で所長をやってた某氏が、ヘッドハンティングされて、他社へ引き抜かれたため、長野支社で小学課一係を管理していた田川課長代理が、所長として赴任することになったのだが、それにともなって、オッサンに白羽の矢が立ったのである。
 オッサンは驚き、正直いってとまどった。
 田川課長代理とオッサンは、ほとんど話もしたことがなく、何ら親しくもなかったのだ。
 それどころか、ライバル関係にあったというほうが近い。もちろん会社内部でのことだが、田川課長代理は、前沢係長や中沢係長など、全国の支社でもベスト五十位内に入るトップセールスマンの一人であり、オッサンもこの頃は、三千人に近い全国の社員の中で百位前後に顔を出すくらいになっていたのである。
(何故、俺を選ぶのか?小学課にいくらでも有能な人材がいるのではないか?)
 これについては、長野支社の所長に尋ねてみた。
 「田川課長代理は、どういうわけか、お前の仕事ぶりを買ってるんだ。」
 「俺みたいなのでいいんですか?」
 「いや、是非、お前をという話だ」
 「むろん、断ったから、どうだというんじゃないが、俺からも頼む、力になってやってくれ」と、めずらしく所長がオッサンに頭を下げた。
 「それじゃあ、少し考えさせて下さい」と、オッサンは二週間の猶予をもらった。
 さて、そうなると、彼女との関係をどうするかである。
 長野と松本と少し離れても付き合いを続けるのか。それとも、断って、婿養子に入り長野で落ち着くか、あるいはキッパリ別れるかである。
 そこでさっそく、オッサンは彼女と会うべく連絡をとった。
 「少しでいいから会えないか?」
 「急に言われても、困ります」
 「三十分位でもいいから、いや五分でもいい、話しておきたいことがあるから」
 「今は忙しい時期だから無理だと思う」
 「ほんの少しでいいんだ・・・」
 「・・・・・・」
 「そうか、わかった。じゃあまた連絡するよ。無理言って悪かったね」と言ってオッサンは電話を切ろうとした。
 「あっと・・・・15分くらいなら、大丈夫かも・・・」
 「いいよ。無理しなくて」
 「でも、大事な話なんでしょ。いいわ、何とか時間作ります」
 これが、いわゆる女の可愛いらしさというやつらしい。直ぐに承知はしないけれども、完全に断ることはしない。もったいをつけた上でOKをする。ひとつの恋愛テクニックなのだろう。が、そんなものが、その時のオッサンに通じるはずがない。
 オッサンは、ただ、狐にばかされたように、わけが分からなくなり、目が点になっていただけである。
 
 待ち合わせ場所に行ってみると、女友だちと二人で飲んでいた。
 オッサンは、彼女と二人だけで、真剣に話したいと思っていたのだが、どうやら彼女は一番の親友に、オッサンという男の値踏みをしてもらおうと考えていたようである。
 結局、二時間ほど、三人で楽しく過ごし、何の話もできないままオッサンは帰った。