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九割方、前沢係長の受け売り

 あの短大卒の女子社員が毎日遅れて出社することは前にも話したが、その為に、おっさん達の係は、いつも会社を出るのが一番最後だった。
 それを、いちいち叱っても、気にしていても仕方がないので、皆いつの頃からか諦めていて、その時間を有効に使おうとロールプレイ(自己紹介から、商品説明を経て、契約するまでの話の流れ)をチェックすることに当てていた。
 だから、係員は皆だんだんと話が上手くなっていった。
 男性社員二人は、なかなか結果を出せずに苦労したが、それでも、そこそこは頑張った。
 二人の女子社員も、一人は秀でた営業成績を上げたし、遅れてくるもう一人も、新人にしては、まずまずの成績を出した。
 「やっぱり相手がお母さんだから、女性の方が受けがいいってことかな。」と威勢のいいガラッパチタイプが言うと「それを言うなら、うちで一番営業成績を上げてるのは主任だよ。主任は男なんだから、それは理屈に合わない。ただの言い訳にしかならないと思うよ。」と、おとなしい方が、お世辞まがいの、最もらしい道理を説く。
 まったく対称的なものだと思いながら、二人の問答を何度となく聞いたものである。
 そういう時は、おっさんもつい調子に乗って「いいか、一番大切なことは、この商品に惚れ込むことだ。そして売ろうとばかり考えず、この商品の良さを説明することに集中しろ。お客様は俺達の話す言葉だけを聞いているんじゃない。俺達の話し方、態度、熱意、誠意等の全てを見ているんだ。つまり鏡だ。その上であくまでも判断を下すのはお客様だ。お客様が何故、一時間足らずの説明で、こんな高価な教材を買って下さるのか考えたことがあるか?どんなに話が上手かろうと、それだけじゃあ買ってはくれない。最後の決め手は信用だ。自分の説明を押しつけず、誠意をもって、ひねくれずに回っていれば、分かって下さるお客様が必ず出てくる。そういう人を足で捜すんだ。」と、ここら辺で記憶力の良い人なら、すでに笑っておられるかもしれないが、おっさんは、このセリフを言いながら、もし前沢係長や所長に聞かれでもしたら、恥ずかしさで顔から火がでそうになり、どこかの穴でも捜して入りたくなることだろうと思いつつ、現地へと向かう車の中で四人の係員たちへと偉そうに、よく話して聞かせた。九割方、前沢係長と所長からの受け売りである。
 けれども、その他の時は、明るく楽しく元気よくと言った感じで、やはり歌好きなおっさんなのである。
 新入社員にリクエストをさせ、運転しながらよく歌を唄った。
 むろん、おっさん一人だけが唄うわけではない。
 さすがに初めのうちこそ猫をかぶって恥ずかしがっていた四人の新人係員は、皆 歌好きのカラオケ好きで、この一点で共通していた。
 だから、市場へと向かって行き、唄いながら帰って来るのである。
 だから、時々、信号待ちで止まったりすると、隣に並んだ車の運転手などから、いぶかるような変な顔をされたものである。
 おそらく他の係にはない、一つの特徴だったと思うが、気分が暗いときでも、歌を唄い大声を出すというのは人間を明るい気分にさせる作用があるようで、先刻まで落ちこんで慰めようがないと思うくらいに泣いていた女子社員が、その涙の乾く前から唄いだし笑いはじめるのを、おっさんは何度も目にしたものである。
 帰社する頃には皆、楽しそうに車を降り、会社へ入るが、結果報告をするときだけは、皆むずかしく、鹿爪らしい顔になる。
 目の前に所長がいるからである。