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出版社と名のつく会社へ・・・

 おっさんのビジネスライフは、出版社がふりだしである。
 大学を出たばかりで、右も左もわからない世間知らずのおっさんは、なぜか出版社に魅力を感じた。本の製作やら企画やらをしてみたいとの夢を描いて、とある出版社と名のつく会社へと就職したのである。
 もちろん、新卒の社員がそのまますぐに本づくりのスタッフになれるわけもない。
 その会社では、どういう希望職種があろうとも、必ず最初に営業経験をさせるという決まりがあり、最短でも一年半から二年間くらいは営業をさせられることになる。
 その期間の営業成績が良好であり、しかも本人の希望に変化がなければ、営業から希望する職種への移動となるわけだ。
 そして、その会社は教材会社だった。
 ようするに、なんのことはない。教材の訪問販売員としてこきつかわれるのである。
 その上、営業社員は売れなければ、毎日ボロクソにけなされる。
 おっさんも、疫病神だとか、犬以下だとか、ただめし喰らいだとか、ありとあらゆる罵詈雑言を、これでもかと憎しみを込めた表現でさんざん言われたものである。
 実際、どんな不器用な社員であっても、三ヶ月もすれば、初オーダーがでるものなのだが、おっさんだけは例外であった。
 三ヶ月はおろか半年たっても、初オーダーはとれなかった。
 であるから、上司は毎日、鬼のような顔をして、おっさんを睨みつけ責め立てた。おそらく、何でこいつヤメないのかと不思議がっていたにちがいない。
 そのことは、仲間うちでもよく話題になっていたようだ、おっさんは、わざと気づかぬフリをして済ましていた。
 けれども、おっさんは、同期入社の者たちとは仲がよく、受けもよかった。
 というより、彼らからすれば、おっさんは最後のトリデなのである。
 たとえば、売れずにどれほど上司に叱られ落ちこんだときでも、初オーダー、つまり一件も契約のとれていない男がいるのである。
 それほど、営業とは、精神的にも肉体的にもけっこうつらい仕事であるのだ。
 仲間たちは、おっさんの心臓には針金が生えているとあきれて、「おまえはすごいよ。あんだけ言われて、顔色ひとつ変えないんだから。」と、ホメているというより、ほとんどケナしていた。
 あるとき、仲間同士で飲みに出たとき(おっさんの同期入社組、男五人と女四人の計九人は、不思議と気が合って一緒に集まってはよく飲んだ)皆から、まじまじと問いかけられたことがある。「どうして、あそこまで言われ、コケにされても怒りもせず、会社をヤメもしないのか?」と。それまでにも何度か個人的に聞かれたことがあったが、いつもおっさんはとぼけてごまかしていた。
 しかし、このときは、皆いつになく真剣でいやにひつこかった。
 言うつもりもなかったのだが、例によって酒が入ると、つい口が軽くなるおっさんである。このときは、かなり上機嫌に酔っていて、それなら聞かせてやろうと、ついに本音をぶちまけてしまったのである。
 「そりゃあ、毎日怒りで腹わたねじれそうなくらいだが、アイツらのやっていることは、しかたないことなんだ。売れない営業社員ばかりいたら、会社は成り立たない。なんといっても営業は会社の要だ。そうかといって、新卒を簡単にヤメさせられもしない。本人が自ら退職を希望するようにもっていくのさ。だが会社には悪いが、俺はせめて一件とるまでは、じぶんからは絶対にヤメるとは言わない。いわば会社との勝負だ、会社にヤメさせられるのが先か、ひとつでも契約がとれるのが先か。」こう言い放つと、なぜか、皆は手をたたき「がんばれよ」と言ってくれた。