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長野へ転勤

 それから、仲間たちは、なにかにつけ、おっさんをはげましてくれるようになったが、まもなくして、おっさんは転勤の辞令をもらうことになる。
 つまり、会社としては、転勤に応じるか会社をヤメるのかの決断を迫っているわけである。
 おっさんは、長男なので、大学を卒業したら長崎で勤めると両親と約束していたのだが、もうこうなると意地である。どうしても、このままではヤメたくなかったおっさんは、両親には、土下座をして謝り、なんとか許しをもらった。
 翌日、転勤に応じるということで上司から所長へ報告をしてもらい、所長から本部へと連絡をとってもらったところ、転勤先は研修の終了後に決定するということだった。
 なんだその研修というのはと、おっさんは内心とまどいながら、所長にたずねると、この会社の本部である名古屋で、まず特別研修をして、その上で、その社員に最も適性な支社へと転勤させるということだった。
 所長は、脅かすつもりでか、地獄の特訓だから、逃げ帰ってくるなよと、嬉しそうに言っていたが、その五日間は、おっさんには ただ有難いことであり、またたくまに過ぎていった。なにしろ会社が売れない新卒のために、これだけ無理をしてくれるのだ。
 たしかに、五日間はホテルに缶ヅメとなり朝から晩まで研修を受けるわけだから楽ではない。最初に三十名はいた売れない新卒は、終了日には二十名たらずとなっていた。
 そして、その中からおっさんを含めた三名の者が、全国での売り上げトップを誇る長野支社へ行くことになった。
 その第一日目、なにはなくとも意合負けはしまいと、おっさんは長野支社のドアを開けるなり”おはようございます”と大声を出して中へ入った。
 さすがに全国でトップの支社というだけあって、中の広さは長崎支社の五倍ほどあり、人数も百名近くいた。
 皆が、それぞれにロールプレイ(自己紹介から契約をとるまでのシュミレーションによる口頭練習)に熱中しており、その騒音のためか、おっさんの声など、蚊の泣いたほどの効果もないようだったが、すぐに別室からやけに偉そうな男がでてきて、「君はどこの支社から来たのか?」と聞いたので「長崎支社から来ました。よろしくお願いします。」と、頭を下げた。
 すると、その男は「ああ、話はきいているよ。」と笑いながら、今日は、なにもせんでいいから、先輩の仕事ぶりをしっかり見ておけと言って、中学課の方へ行けと言ったあと、急に大声を張り上げた。
 「朝礼、前沢係長っ!」と言ったその声には、驚くほどの迫力と威圧感があった。
 皆、ロールプレイをピタリとやめ直立不動の姿勢となった。このとき間の悪いことに、名古屋研修組の残り二人が支社に入ってきたのだが、彼らは完全に黙殺された。
 前沢係長と呼ばれたその男は、大きなホワイトボード(このボードには、前日の仕事の結果が赤、青、黄色のマグネットチップや書き込みで、はっきりと示されている。)の前に立つやいなや、いきなりボードを叩きつけ「なんだ、この成績はっ!」と怒鳴った。無数のマグネットチップは全て飛び散り、その間、五秒ほどだろうか、その場の空気はピーンと凍りついていた。だが、次の瞬間、この男は急に豹変し、こう言いはじめたのだ「と、怒ってみたところで何も良くはなりません。昨日までのことは昨日までです。今日はとれますよ。今日はみなさん、ニッコリ笑って一日頑張りましょう。」 よく見ると、この前沢係長は、笑福亭鶴瓶にそっくりで、あの糸ミミズのはったようなタレ目の笑い顔は、誰もが笑わずにはおれないのであります。いうまでもなく、その場にいた全員が爆笑しておりました。

出版社と名のつく会社へ・・・

 おっさんのビジネスライフは、出版社がふりだしである。
 大学を出たばかりで、右も左もわからない世間知らずのおっさんは、なぜか出版社に魅力を感じた。本の製作やら企画やらをしてみたいとの夢を描いて、とある出版社と名のつく会社へと就職したのである。
 もちろん、新卒の社員がそのまますぐに本づくりのスタッフになれるわけもない。
 その会社では、どういう希望職種があろうとも、必ず最初に営業経験をさせるという決まりがあり、最短でも一年半から二年間くらいは営業をさせられることになる。
 その期間の営業成績が良好であり、しかも本人の希望に変化がなければ、営業から希望する職種への移動となるわけだ。
 そして、その会社は教材会社だった。
 ようするに、なんのことはない。教材の訪問販売員としてこきつかわれるのである。
 その上、営業社員は売れなければ、毎日ボロクソにけなされる。
 おっさんも、疫病神だとか、犬以下だとか、ただめし喰らいだとか、ありとあらゆる罵詈雑言を、これでもかと憎しみを込めた表現でさんざん言われたものである。
 実際、どんな不器用な社員であっても、三ヶ月もすれば、初オーダーがでるものなのだが、おっさんだけは例外であった。
 三ヶ月はおろか半年たっても、初オーダーはとれなかった。
 であるから、上司は毎日、鬼のような顔をして、おっさんを睨みつけ責め立てた。おそらく、何でこいつヤメないのかと不思議がっていたにちがいない。
 そのことは、仲間うちでもよく話題になっていたようだ、おっさんは、わざと気づかぬフリをして済ましていた。
 けれども、おっさんは、同期入社の者たちとは仲がよく、受けもよかった。
 というより、彼らからすれば、おっさんは最後のトリデなのである。
 たとえば、売れずにどれほど上司に叱られ落ちこんだときでも、初オーダー、つまり一件も契約のとれていない男がいるのである。
 それほど、営業とは、精神的にも肉体的にもけっこうつらい仕事であるのだ。
 仲間たちは、おっさんの心臓には針金が生えているとあきれて、「おまえはすごいよ。あんだけ言われて、顔色ひとつ変えないんだから。」と、ホメているというより、ほとんどケナしていた。
 あるとき、仲間同士で飲みに出たとき(おっさんの同期入社組、男五人と女四人の計九人は、不思議と気が合って一緒に集まってはよく飲んだ)皆から、まじまじと問いかけられたことがある。「どうして、あそこまで言われ、コケにされても怒りもせず、会社をヤメもしないのか?」と。それまでにも何度か個人的に聞かれたことがあったが、いつもおっさんはとぼけてごまかしていた。
 しかし、このときは、皆いつになく真剣でいやにひつこかった。
 言うつもりもなかったのだが、例によって酒が入ると、つい口が軽くなるおっさんである。このときは、かなり上機嫌に酔っていて、それなら聞かせてやろうと、ついに本音をぶちまけてしまったのである。
 「そりゃあ、毎日怒りで腹わたねじれそうなくらいだが、アイツらのやっていることは、しかたないことなんだ。売れない営業社員ばかりいたら、会社は成り立たない。なんといっても営業は会社の要だ。そうかといって、新卒を簡単にヤメさせられもしない。本人が自ら退職を希望するようにもっていくのさ。だが会社には悪いが、俺はせめて一件とるまでは、じぶんからは絶対にヤメるとは言わない。いわば会社との勝負だ、会社にヤメさせられるのが先か、ひとつでも契約がとれるのが先か。」こう言い放つと、なぜか、皆は手をたたき「がんばれよ」と言ってくれた。

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