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長崎帰郷・・・便利屋

 さて、この押し売り集団の会社をやめ、長崎へ舞い戻って来たオッサンが、次にはじめたのは便利屋である。
 正確に言えば、便利屋もどきと言ったほうが近いかもしれない。
 これは、中学二年生のときのオッサンの同級生であった友人が電気屋を一人で切り盛りしていたのであるが、この友人が何か新しい事業を起こそうと、発起人となり、オッサンに声をかけたのがキッカケである。
 便利屋とは何であろう?右も左もわからないオッサンであり、この電気屋の友人も詳しく知ってるわけではなかった。つまり、手探り状態である。
 けれども、しばらくは何もせず、プラプラと無職のまま遊んでいたオッサンは、面白そうだと思い、「一緒に頑張ろう!」とはりきった。
 生まれついての楽天家であるオッサンにとって、この手の話は、大好物といえる。
 失敗だとか、リスクだとかは全く考えることもなく、これは成功するぞと、何の根拠もなく決めつけ、思いこみだけで行動する。いわゆる単純な能天気である。であるから、まちがっても、経営者にはなってはいけないタイプの男なのだが・・・(現在のオッサンは、自営のマッサージ師である)
 とにもかくにも、友人同士三人が集まり便利屋稼業が始まった。
 一人は女性であり、受付 つまり電話番。一人は宣伝及び御用聞き つまり営業。一人は修理及び作業員 つまり実働係である。
 もちろんオッサンは、営業担当である。とは言っても、チラシを配って回るだけの話で、運よくお客さんに会えて話ができても、その場で直ぐに商談がまとまるわけではなく、オッサンは、便利屋の仕事内容を説明し、アピールして歩き続けるだけである。
 むろん、お客様からの仕事の依頼が入ればオッサンも作業員として実働の手伝いをすることもあった。引っ越し、掃除、草むしり、庭の手入れ等、種々雑多な仕事をこなしたものだ。
 いうまでもなく、便利屋での作業中においても、オッサンのドジな不器用さは、遺憾なく充分に発揮され、ずいぶんと友人を困らせた。
 今だに鮮明に覚えているのは、ある場所に生えていた一本の大木を、まるまる除去するという作業の最中に起きた。なんとも情けなく悔しい失敗である。
 しっかりと大地に根をはり、枝葉の生い茂っている大木であるから、そう簡単には歯がたたない。
 まずは、電動ノコギリを使って枝から処理していこうと友人が先に木に登り枝葉を切り落としていたのだが、なにしろ数が多い。そろそろ交替しようと、オッサンも電動ノコギリを手に、しばらくは何事もなく、順調に枝を切り落としていたのであるが、休みながら、このオッサンの様子を見ていた電気屋の友人が、何を思ったのか急に「木の枝と間違えてコードを切るなよ」と言った。
 これに答えてオッサンは、「何を馬鹿な、いくら俺がドジでもそんなヘマを・・・」と言い返しつつ、目の前で火花が散り、ものの見事にコードは切断され、電動ノコギリは動かぬ物体となった。
 オッサンは、自分自身にあきれた。信じられなかった。いや信じたくなかった。
 「すまん、やっちまった」と直ぐに謝ったのだが、友人はよほど可笑しかったらしく、ゲラゲラと笑い続けながら、修理をしていた。
 気のせいかもしれないが、その様子が、オッサンにはまるで喜んででもいるように思えた。
 むろん、わざとやったことでもなく、オッサンとしては大真面目に謝ったのだが、悔しいことに、友人が声をかけてから、電動ノコギリのコードが切断されるまでの、一連の行程は、友人が爆笑を起こすのには絶妙のタイミングではあった。