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心は長崎・・・

 慰安旅行へいかなかったオッサンとしては、まったく気の毒な話なのだが、旅館へと帰って来てからが、さらに大変だったらしい。
 なにしろ、長野支社の所長に知られてはまずいのだ。
 さすがに慰安旅行で、前沢係長に酒を飲ませた者は、厳しい罰を与えるとは言わなかったらしいが、長野支社内では徹底していた。
 それなりの注意はしたはずである。
 まして、小林係長は、そこらへんの事情もオッサンから聞いて知っているのである。
 くれぐれも気づかれないようにとの注意をはらいながら、自分達の部屋へと連れて行き、五人で交代しながら朝まで見張っていたという。
 前沢係長は、前にも言ったように、急に静かになったかと思うと、また急に騒いだり暴れだしたりするのである。
 完全に寝入ってしまうまで、決して安心はできない。いや、完全に寝入ったと思ってもとうてい安心などできないのである。
 なんとかごまかしおおせたと小林係長は言っていたが、おそらく所長は感づいていたと思う。
 なぜかと言うと、酒乱となった前沢係長はかなり大量の酒を飲んだはずだから、いくら一夜が明けたといっても、酒を飲んだかどうかくらいは、その匂いだけでもわかるはずである。
 それに朝食もとらずに、二日目のバスに乗った前沢係長は、名所見物のときもバスから降りることもなく、ただ、ただ静かに眠っていたそうだから、所長でなくともわからぬはずはない。
 けれども、初めての長野と松本の合同慰安旅行でもあるということで、長野の所長は知らない顔をしていたのであろうとオッサンは推理した。
 「特に叱られもしなかったから、気付いてなかったのじゃないか?」と小林係長は言ったが、長野の所長は、あれで、なかなかのタヌキおやじなのだ。
 もしもオッサンが慰安旅行へと行っていたら、どれほど泣きつかれようとも前沢係長へは一滴の酒も飲ませなかっただろうし、松本支社の社員へも注意を促し、絶対に誘われても行ってはいけないとして、酒乱の前沢係長が出現することはなかったと思うが、どうだろうか?前回の慰安旅行で痛い目にあわされたオッサンへと前沢係長が、泣きついてくることもなかっただろうし、松本支社の社員を誘うときにも、所長とオッサンにだけは絶対に言ってくれるなとなっていたのかもしれない。
 小林係長には、災難以外の何ものでもなかった慰安旅行は、オッサンの欠席という、思いもよらぬ展開によって、前沢係長にとっては幸運であったと言える。
 むろん、オッサンはそれどころの話ではなかったのである。
 もちろん、すぐには無理な話だが、いずれ長崎へと帰らねばならない。
 それも、それほど遠からぬうちにである。
 場合によっては、この会社を辞めてでも地元へと戻らなければならぬかもしれないのである。
 オッサンは自分なりに悩んだ末、松本支社の所長へと相談をした。
 所長は、真剣に話を聞いてくれた。そして、なんと畏れ多くも、名古屋本社の本部長(会社の総責任者。つまり社長である)へと、一社員の個人的事情を報告し、なんとか希望を叶えてあげて欲しいと頼み込んでくれたのである。
 そして、そのとき、この会社の長崎支社はなかった。
 つまり、閉鎖された状態になっていたのである。