記事一覧

北野 主任三級へと昇格

 オッサンの北野に対する不安は、取り越し苦労に終わった。
 彼は、着実にオーダーを重ねてゆき、田川所長から責任者候補に認められ、三ヶ月の安定した営業成績を上げて、主任三級へと昇格した。
 北野によれば、オッサンの逆同行によってコツをつかんだそうである。
 何が良かったのかと聞くと、説明はそれほど上手だとは思えなかったが、自分とは決定的に違ったものがありました。と言うので、だから、それは何だと問い返すと、しばらく困ったような顔をして考えこんでいたが、なんと言ったらいいかわからないが、熱意というか気合いというか、そんなものを感じたのだと言う。そして、何がそんなに熱意を生むか考えた時に思いついたのが、お客とのやり取りから感じた必要性の実感なのだそうだ。
 はじめ、オッサンは何を言っているのかわからなかったのだが、つまりオッサンは、お客の子供の状況をよく聞きだしたあとで、その子供に、この商品がどうして、どのように役に立つのかを強調して話していたそうである。
 北野は話を聞きながら、おそらくオッサン自身も中学生の時には勉強がわからず苦労したのだろう。だから、これだけ熱くなって話ができるのだと解釈し、自分も学校の勉強がわからずに困っている子供の気持ちを思いながら説明をしてみようと考え実践してみると、それほど苦労することもなく契約してもらえるようになったと言うのである。
 オッサンは北野の観察力に感心した。
 ほとんど当たっている。
 事実、中学生当時、勉強嫌いで出来の悪かったオッサンは、自分の中学時代に、こんな教材があったら、どれだけ助かっただろうと想いながら営業をしていたのである。
 それに、お客様は、単に営業マンの話す言葉だけを聞いて判断を下すのではない。言葉以外の全ての情報を意識的にとらえている。
 だから、言葉での説明がどれほど上手く出来たとしても、信じてもらえなければ、契約の印は押してくれない。
 北野は数回の逆同行で、それを理解していた。それに、彼は、自己管理が上手くできていたのだろうと思う。
 訪問販売の営業というのは、現地へと車から降ろされてから、四、五時間はまったく自分一人きりの自由時間である。
 何をしていても、見つからなければわからない。
 極端なことを言えば、一件の家にも入らず、パチンコ屋や喫茶店で時間を潰したとしても、決められた時間に集合場所へもどってきて、適当に話を作り、嘘をついていれば、誰も何もわからないから何も文句を言われることはない。
 たとえば、手痛いアプローチアウト(お客の強い拒否)を受け、その日一日仕事にならないほど落ちこんでしまうこともある。
 そんな時に、気持ちを上手く切り換えて、次の家へと、何事もなかったかのように飛び込めるか否か、これは、本人の精神力にかかっている。
 こういった事を自分で管理できなければ、安定した営業成績など上げられるはずもなく、もちろん、責任者などにはなれない。
 とくに、セールスマンにだまされた経験のあるお客様などは、実際に電話をかけて警察を呼び、泥棒や押売りでもしたかのように営業マンを罵倒することも、なんらめずらしいことではない。
 たとえ、警官が来て、お客様にあることないこと言われたとしても、あたりまえの営業をやっていれば、事情説明に少し時間をとられるだけの話なのだが、こんなことぐらいでもショックを受けてしまい仕事が嫌になって退社する者もいる。
 訪問営業は、肉体以上に精神的な重労働なのである。