オッサンはN男に、スゴク悪い事をしたような気がした。
N男は、N男なりに真剣にA子を思っていたのである。
その証拠に、彼女が嫌がっているのなら、すぐにやめると言ったし、必ず約束どおりにするだろう。
(はたして俺は正しいことをしたのだろうか?)と、疑問がわいた。
それに、ある種のうしろめたさもある。
自分には、付き合う相手が出来たばかりなのに、純粋な恋心に水をさしてしまったのかもしれないのである。
このときオッサンは、中沢係長の妙な正義感が少し理解できた気がした。
だが、自分の管理している係員が、恐がって相談にきたのだ、何かの手助けはしなければならない。
思ったとおりに、あくる日からピタッと車で待っているような事はなくなったと、A子から報告を受け、一安心するとともに、なんともやりきれない複雑な気持ちがオッサンに残った。
その後、たまに顔を合わせる機会があっても、N男は小さな声で挨拶をするものの、以前のように笑いかけたり、バカ話をしかけてくることはなくなった。
これまでのような、先輩と後輩という関係は完全に崩れ、責任者と平社員という状態で接するように変化していたのだ。
オッサンは避けられていると感じたが、それも仕方のないことだと、自分を納得させ月日は過ぎていった。
そして、二、三ヶ月も過ぎた頃、オッサンは信じられない噂を耳にした。
なんと、N男とA子が恋愛関係にあるというのである。
そんなはずがあるものか、あれだけ気嫌いしていたA子が、N男と付き合っているはずがない。噂話とは、えてしていい加減なものだと、オッサンはそれを馬鹿話程度に聞き流していたが、真実は奇なりである。
ある日、突然A子とN男はオッサンのところへやって来て、礼を言い、何の事か?と言うオッサンの問いに、実は二人は今、互いに好きあっており、半年後には結婚をするつもりだとのことである。
(なんじゃ、そりゃ、俺は一体何の為にN男に苦情を言い、それがために、しばらく自己嫌悪をひきずっていたのだ)と、オッサンの頭は混乱しはじめようとしたが、ここは冷静にと、順を追っていきさつを話してくれと頼むと、N男が、照れくさそうに、のろけ話をはじめた。
オッサンに注意を受けて、N男は反省し彼女へ謝りと、自分のいつわらざる気持ちを述べた手紙を送った。
このラブレターもどきの手紙が、絶大な効果を発揮したようだ。
彼女にしてみれば、あれほど嫌いだと思っていた男が、そうではなくなって、約束を守ってくれているのを逆に、さびしく思いだした。
そして、A子の方からも手紙を出し、二人は秘かに交際を始めていたとのことだった。
追えば逃げるが、やめれば気になるという、わけの分からぬ、ベタベタなのろけ話なのだが、オッサンは、いわゆる愛のキューピットだと言うわけで、二人はたいそう感謝していた。
「そうか、何にしても、幸福になれてよかった。おめでとう」と、そう言いながら、オッサンはつくづく男と女の恋愛の不思議さを思った。
つまり、理屈でどうのこうのと割り切れるような方程式ではなく、なるように、なっていくとしか言いようがない。
その後、言葉通りA子とN男はめでたく結婚をした。
まったく、社内恋愛だらけの会社である。