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所長が主任候補と認定!

 それから、営業という仕事を少しずつ理解してきたおっさんは、いっぱしの売り上げを上げるようになっていった。
 もちろん、口下手なおっさんの武器は足である。とにかく、歩きに歩き回り興味を持ってくれるお客様を捜す。
 この一点が功を奏してきたのだ。
 所長も首をかしげながら、「よく、君のその説明でお客は契約をしてくれるものだな。」と不思議がっていた。
 だが、説明の上手い下手は、それほど重要なことではないと、もうこの頃のおっさんは分かってきていた。
 どれほど訥弁であっても、一生懸命さと、素直さが伝われば、お客様は信用してくれる。そういう確信をもって現地を回っていた。
 確かに、立て板に水の流れるように、スムーズにクロージングまで能弁に話せる営業社員には、売り上げを伸ばしている好成績者が何人かいたが、そういう者の多くは安定した成績が上げられ無かった。売り上げの良かった次の月か、翌々月にはガタッと成績が落ちるのである。
 しかるに、不器用ながら、ただバカの一つ覚えのように足で稼ぐおっさんの営業成績は下がることはなく、少しずつではあったが安定して上昇していった。
 そして、驚いたことに、半年後には、責任者候補に目されはじめたのである。
 ここで少し、この会社の社員階級を説明しておこう。
 この会社では、まず平社員、主任職三級、二級、一級と昇格していく。次に係長三級、二級、一級。その上が課長代理、課長、次長、部長、本部長、取締役社長という具合に構成されていた。
 平社員から主任三級へと昇格すれば、四人の部下を従えて一班の長となるわけだが、それには所長が主任候補と認めてから後、少なくとも三ヶ月間の売り上げが平均して十セット以上でなければならない。
 それは簡単なようで、なかなか難しいことだった。
 着実におっさんの成績は伸びてはいたが、十セットにはほど遠く、やっと七・八セット売れるようになったという程度だったのだ。
 けれども、これが一年前には一セットも売れなかった男なのだから、我ながら成長したものだと思っていた。
 だが、責任者になるなど、とんでもない話であり、その時のおっさんには冗談話くらいにしか思えなかった。
 ところが、所長は勝手におっさんを主任候補と認定し、本社へと報告を入れ、三ヶ月間の挑戦へとレールを敷いてしまったのである。
 おっさんは、嬉しい反面、不安でいっぱいだった。世間でよく言うプレッシャーというやつである。
 これまで、あと一歩というところで失敗した社員は数多くいた。
 しかしながら、逃げ出すわけにもいかず、おっさんは覚悟を決め挑戦しはじめたのであった・・・。
 そして、一ヶ月目 十セット。二ヶ月目 十二セットと順調に売り上げ成績を伸ばしていったおっさんは、三ヶ月目に入ってスランプを迎えた。
 ピタッと契約が取れなくなったのだ。一週間が過ぎ、二週間目に入っても取れない。全く一件も取れず半月が過ぎ、二十日間が経ったがやっぱり売れない。
 周囲の誰もがこの時、おっさんをやっぱり無理かという目で見ていたはずである。
 けれども何故かおっさんの心はフッ切れていた。ようするに、開き直っていたのである。責任者になることよりも、自分の惚れ込んだこの商品の良さをお客様に、いかに分かり易く伝えられるかだけを考えていた。
 さすがの所長も、この頃には諦め顔をしてタメ息ばかりついていた。