それから4・5件の家を訪問したあと、おっさんは所長からの説教を延々と二時間ほど聞かされ、また飛び込み営業をくり返した。
所長は、細かいところまで入念にチャックして、おっさんの問題点を指摘してくれたが、そのアドバイスの成果は全くでなかった。
「君のはピントがボケてるんだ。もっとお客さんの気持ちになって話を進めていかなければダメだ。お客様が何を知りたがっているのか、何を望んで相手をしてくれているのか、表情や仕草から正確に読めるようにならなければいけない。」
「はぁ、自分ではそうしているつもりなんですが・・・。」
「つもりではダメだ。最近の新人はいつもこれだ。つもり、つもりと、こればっかりだ。つもりでメシが食えるかっ!」
「はぁ、すいません。」
「昔は、こうやって時間使ってくれなかったんだぞ。俺の新人の頃なんて、同行させてもくれなかったんだ。君たちは恵まれすぎている。もっと必死でやらなけりゃいけない。料理人の世界なんて、もっと悲惨なんだぞ。先輩は自分の技術を後輩には見られまいとするんだ。まして教えてくれる者なんて一人もいないんだ。その中で、自分の受け持ちの仕事をしながら、分からないように盗み見て覚えるんだ。」
「・・・。」 おっさんは、何と答えてよいのか分からず、ただ所長の話を黙って聞いているよりほかに何もできなかった。
所長は昔、板前修業をしたのだそうで、その時の苦労話が始まると、なかなか終わらないのだ。
あの几帳面な性格は、おそらく、こういう経験からきているのだろう・・・。
そして、やっと集合時間となり、車へと戻った。
すると、車内に営業道具のいくつかが忘れられて置いてあるのに所長が気付いた。
「どこのバカだ。営業道具を忘れていったマヌケはっ!指導書と合格基準表を忘れて、どうやって契約が取れるんだ。一番大事な物を忘れていくとは話にならん。」と、所長のイライラには、だんだんと拍車がかかっていった。
待ち合わせ場所をまわり、社員の一人、一人を車へと乗せながら忘れた物が誰であるかを必死で調べていた。
ところが誰一人忘れておらず、最後に前沢係長が残った。
「あのバカタレが、何をボケてるんだ。今日という今日は許さんっ!」と、所長の頭からは湯気でも出ているような感じだった。
けれども、その肝腎要の前沢係長は、待ち合わせ時間を過ぎても帰ってこず、係員全員が車中で一時間近く待つことになった。
所長の憤りは、少しずつピークへと近づきつつあることが、誰の目から見てもはっきりと分かった。
そうして、やっとのこと帰ってきた前沢係長に所長が言った。
「どうだった、前沢君。」
「はい、三件とれました。」
「そっ、そうか、じゃあ帰ろうか。」
所長は口元まで出かかった怒りの言葉を直前で飲み込んだというように、何も言わずに黙り込んだ。
一言でいうなら、不機嫌を絵に書いたような顔をして押し黙り、運転をはじめた。
前沢係長も、この時ばかりは嬉しそうな顔一つせず、神妙に黙したままだった。
おそらく、中学課一係の係員は皆そうだったに違いないが、おっさんは、吹き出しそうな笑いをこらえるのに、顔を赤くしながら必死で耐えた。