その翌日、中学課一係は前沢係長不在のまま朝礼を済ませ、出発の準備に取りかかっていた。
出社は八時と決まっていて、それまでには社員は会社にいなければならない。
ところが、その日は唯一の例外となった。
だが、朝早く前沢係長宅から連絡があり昼ごろには出社してくるとのことで、中学課一係はそれまで待機ということになった。
その原因を熟知している、おっさん達中学課一係の新人は、いつ所長から問いつめられ、カミナリを落とされるかとビクビクしながら待つという、実に情けない心境だった。
だが、所長の態度はいつもと変わらず、始終ポーカーフェイスを崩さずに、にこやかに対応していた。
しかし、昼すぎに前沢係長が出社してきたとき、その笑顔はひきつり、怒りのオーラが社内を満たした。
それがまた、所長は几帳面が背広を着て歩いているような人であり、決められた事を守らない者を、決して許せる性分ではないのだ。
「おお、前沢君、社長出勤だね。えらいもんだ。」
このときは、さすがに前沢係長も青い顔をして「どうも、すいませんでした。」と素直に謝っていた。
だが、所長の嫌味はそんなことでは、とうてい収まりがつくはずもなかった。
「今日は休んでもよかったのに。」
「いえ、そういうわけには参りませんので・・・。」
「そうか、そうだよな。中学課の最高責任者だからな。」
所長のこの言葉に黙って下を向いたまま、前沢係長はかしこまっていた。
この様子から、昨日の夜の酒乱男と同一人物だとは、とうてい考えられぬ別人であった。
「ちょうどいい機会だから、今日は、俺も現地へ同行するよ。中学課一係の働きぶりも見ておきたいしな。いいね前沢君。」と有無を言わさぬとばかりに係長を睨みつけた。
前沢係長は一言、「お願いします。」と言って頭をさげた。
それから、まもなくして中学課一係は現地へと出発した。
いつもは、自分が運転しているワゴン車の助手席で、前沢係長は借りてきた猫みたいにおとなしく座っていた。
もちろん運転席に座り、ふんぞり返ってハンドルを握っているのは所長である。
そして、ときおり思い出したように、前沢係長へと嫌味のこもったセリフを吐いていた。
「いつも食事はどの辺でとるの?三十分もあれば充分だよな。それでなくても遅れてるんだから。」
「はい、すいません。いつもは、戸倉上山田温泉あたりで昼食をとっています。」
「そうか、じゃあ今日は気分を変えて、現地の近くで昼食にしよう。」
その言葉通りに、所長は現地の中で食堂を決め、そこで昼食をとった。
けれども、おっさんは少しも食事をした気分にはなれなかった。いつもとは異なる重苦しい雰囲気が小さな食堂全体にこもり、むせかえるようで、皆がかきこむように食べ終わり車へと戻った。
だから、前沢係長の昼出社にもかかわらず仕事のはじまりは、いつもより二時間も早くなった。中学課一係の営業マンたちは皆、戸惑いと不安からか、逃げるように現地へと姿を消した。
一人一人を見送り、最後に前沢係長を現地へ降ろした所長は、なぜか、おっさんの逆同行をすると言いだした。つまり、おっさんの後でおっさんの、お客との対応を観察しようというわけである。おっさんは、生きた心地もせず、一件目の家へと入っていった。
「こんにちは。」の一言は、ひきつった高い悲鳴となっていた。