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万札に火をつけた。

 前沢係長は、二件目まではしっかりと支払は済ませていたが、何故かあと三件の店では全て、つけにしてもらっていた。
 おごりだと言ってきかない前沢係長に、それでは俺達の気が済まないからと、支払おうとすると、ムキになって怒りだし、またギャーギャーと言いはじめたので、勝手にさせておいた。
 結局、五件もの店を飲み歩き、最後の店で係長はほとんど眠りこけていた。
 おっさん達もさすがに疲れ果て、なんとか前沢係長をタクシーへと乗せて、自宅まで送ることにした。
 すると、タクシーのなかで急に元気を取り戻した前沢係長は、「もう一件いくぞ」と おっさん達には、そら恐ろしいことを言いだし、やおら財布を取り出したかと思うと、「金ならあるぞ」と叫んで、ライターで五・六枚の万札に火をつけた。
 直ぐ隣に座っていたおっさんは、慌てて火を消し、タクシーの運転手に謝った。
 「すいません。ちょっと悪酔いしたみたいで・・・」と、苦しまぎれの言い訳だった。
 ところが、それを聞きとがめた前沢係長が、また おっさんにギャーギャーと、カラミはじめた。
 「なんだと、俺は酔ってなんかいないぞ、酔ってなんかいるもんか、金を燃やしたくらいでなんだ。俺の金をどうしようと俺の勝手だろうが、ちがうか?おまえは、そんなヤツかっ!」と、もう手がつけられない状態である。
 まったく、この男は酒に強いのか、弱いのか分からない。
 もうかなりの量を飲んでいるはずなのだが、急に元気になったり、おとなしくなったり、眠りはじめたり、叫びだしたりを、あきもせずにくり返すのである。
 これでは、一緒に飲みにいく者は、いなくなって当然である。
相手をしていたら、とてもじゃないが、のん気に酒に酔ってなどいられないのだから・・・。
 「とにかく、それを財布にしまって。はい、はい、すいません。係長は酔ってなんかいませんよね。」と(あんたが酔っていなかったら、この世に酔っ払いという言葉はいるもんかっ!)と内心では憤りながらも、おっさんは、とにかく家まで送り届けることに意識を集中させた。
 ありがたいことに、他の二人も、心配してタクシーに同乗してくれていて、なかなか上手に係長の機嫌をとってくれていた。
 そうして、やっと夜中の二時近くに前沢係長宅へと到着した。
 ドアはもちろん閉まっていたので、玄関脇の呼び鈴を鳴らすと、中から奥さんらしい人が、パジャマ姿に白いカーディガンをはおって出てきた。
 「遅くなってしまって、すいません」と謝り、酔っ払いを引き渡した。
 このとき、前沢係長は歩けもせず、おっさんが背中におぶっていたのである。
 前沢係長は、玄関のかまちに上がったと思うと、また気を失ったカエルのように、うつぶせになったまま、イビキをかき始めた。
 文句か嫌みの一つも言われるのかと、覚悟をしていたおっさん達だったが、小柄で色白のおとなしそうな奥さんは「いえ、いえ。いつもこうなんですよ。あなた方こそ大変でしたでしょう。ありがとうございました。」とこう言ってくれたのだ。
 おっさん達三人は、ホッと胸をなでおろした。
 そうして、帰りのタクシーの中で、誘われても、もう二度と係長となぞ絶対に飲みに行くものかと、決意を固めた三人であった。