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酒乱!

 前沢係長は、急に立ちあがった。
 そして、テーブルいっぱいに出されていたオードブルの皿から、レタスやきゅうり、白菜等の野菜を、いきなり両手でつかめるだけかき集めた。何をするかと思いきや、スナックのホールの真中あたりまで、サッと移動したかと思うと、両手に集めた野菜を、キリモミしながら、まるでホールの床が畑ででもあるかのように、パラパラと無雑作に蒔き始めた。
(なっ、なんだこのオヤジ)あまりの光景ににおっさん達、新入社員一同は、目が点になり、体は金縛り状態となって固まっていた。
 そこには、先刻までの偉大な営業マンである大先輩はおらず、ただの酔っ払いのバカな男がいた。
 それまで考えてもみなかったが、前沢係長は典型的な、まぎれもない酒乱だったのである。
 おっさんには、やっと分かった。新人以外の者が皆、口を揃えて前沢係長の誘いを断った理由が・・・。だが、おそかった。
 どうしたものかと、おっさん達もまた、立ち上がって前沢係長を取り押さえようと動き出したが、もうすでに、しっかりと野菜を蒔き終えた前沢係長は、両脇を黒服の店員二人にかかえられ、席にもどされてきた。
 さすがに、スナックのママさんは慣れたもので、「あら、あら、前ちゃん。また始まったわね。はい、お勘定。」と明細書を差し出した。
 野菜を蒔き終わったせいでか、係長はしばらくおとなしくなり、素直に勘定を払い、おっさん達と共に店を出た。
 だが、五、六歩も歩かないうちに、また狂いはじめた。
 「バカにしやがって、酔っ払ってなんかいねえぞっ!」と叫ぶと、いきなりウサギ跳びをやりだした。そうして、これも五、六回やったあとに、ぺたんとカエルがのびたように地面にはいつくばった姿勢で、しばらく動かなかった。
 これが、長野駅前商店街の大きなアーケードの中央あたりなのである。
 おっさん達は、あわてて抱えおこし、両脇から肩を支えて立たせ、なんとか歩かせた。二人がかりだったが、前沢係長は重かった。というのも、足だけはどうにか動かしてくれていたが、ほとんど全体重をおっさんともう一人の新人の肩にのせているのである。
(少しくらい、自分で歩いてくれよ。)と思いながら、10メートルほど行ったとき、「よしっ、次ぎ行くぞっ!」と大声を出し、今度はスタスタと自分で歩きだした。
(なんだよ、しっかり歩けるんじゃないか。)と少々憤りながら、前沢係長を見ていると、「ここだ、入れ。」と言って、とある小さなスナックの扉をあけ、おっさん達にアゴをしゃくってみせた。
 「あれっ、これだけだったか?」と係長が言うので、おっさんが振り返って見ると、後もう二人だけしか居なかった。
 つまり、要領のいい者は早くも見切りをつけて帰ってしまい、要領の悪い新人三人が残されたわけである。
 しかたなく三人は、そのスナックへ入り、それを見届けてから、前沢係長は、頭をかしげながらドアを閉めた。
 「たしか、あと二、三人居たよなぁ?」と、未だに納得のいかない様子で、おっさん達に尋ねていたが、帰った二人の気持ちが嫌というほどに解るおっさん達は、なんのかんのとごまかして、係長には、また歌を唄わせることにした。
 酒乱でありながらも、歌には酔いを感じさせず、さすがに上手かった。
 そして、この店では、一気飲みのペースこを変わらなかったものの、しごくまともに会話をしていた。
 もちろん、このあと何件も付き合わされたことは、言うまでもない・・・。