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災いは忘れた頃にやってくる

 ところが、次の週その二人は来なかった。
 そのまた次の週にも来ず、その次ぎも同じだった。
 あれほど覚えておけ。用意しておけと偉そうに命令をしておいて、来ないとは何事だっ!と、この二人のいいかげんさと自分のクソまじめな性分をけなしつつ一ヶ月間がすぎていた。
 そうして、おっさんも、その二人の事などすっかり忘れ、いつものようにまた自分の好きな歌いやすい曲を歌っていた。
 だが、災いは忘れた頃にやってくる。
 そうなのだ、突然また、あのアベックは現れたのです。
 アベックといっても、確実に四十代の中年二人なのだが、当然のように、さだまさしの曲をやれと言わぬばかりの顔をしている。
 だからといって必ず、さだ氏の曲を唄う義理もないのですが、人の良いおっさんは、それほどつれない男ではありません。練習などはほとんどしていなかったけれども、楽譜は一応用意しておいたのです。
 正直にいうと、あまり、さだまさしをやろうという気分ではなかったのですが、その日はちょうど、おっさんの合氣道の先輩が遊びに来てくれていた。
 (余談だが、二年程前からおっさんは合氣道を習いにいっている。)
 この先輩は以前、ライブハウスでも演奏していたというだけあって、歌もギターも上手なのだ。特に高音域の声がきれいにだせるので、さだまさし氏の歌にはピッタリなのである。
 これはひょっとすると盛り上がるかもしれないと思いながら、一緒に歌いはじめると、これが思った以上で、中年カップルは喜んだ。
 二人とも声をそろえて、その先輩の歌声を褒めたたえ、感心していた。
 おっさんは内心で、ざまぁみろと、虎の衣を着たひつじ状態で、高音のところは適当にごまかしながら歌っておりました。
 そもそも低音ぎみのおっさんの声で、さだ氏の曲をあたりまえに唄ったひには、のどちんこが、いくらあっても足りません。
 ところが、そんな事など気づきもしない中年カップルは、わざわざ携帯電話で友人を呼び出しておりました。
 こうして、カップルの知人も加わり、六、七人のおっさん、おばさんが、浜の町アーケードのど真ん中で、さだまさしの曲ばかりを延々と熱唱していたのであります。
 それはもう、一枚の狂乱の絵でありました。
 誰が演奏者なのかもわからない、というかその場の全員が演奏者なのでありました。
 そして気がついてみると、おっさんの真横でサックスを吹きだした人がおりまして、あれよあれよと思うまに、路上ライブはさらに盛り上がりをみせ、いつ終わるともしれず続いておりましたが、おっさんの用意してきた楽譜も無尽蔵にはありません。当然のことながら終わりはやってまいりました。
 あとで聞くと、このサックスの人は、プロの演奏家だそうで、おっさんは恐縮しましたが、逆に楽しかったと、お礼を言って帰って行きました。そして皆も満足したところでライブもおひらきとなり、ギターを抱えての帰り道、おっさんは先輩と話しながら、やっと気づきました。
 長崎出身の現役ミュージシャンである、さだ氏の曲を、長崎の街中で唄うことの危険を・・・つまり、さだ氏のファンは、その辺にうようよといるのであります。それを不用意にも唄ったおっさんが、もっと覚えておけと言われるのは、しかたのないことだったのであります・・・・。
 さて、これまで語ってきた、おっさんの路上ライブ日記は、ネタ不足のため、しばらく休みます。そのかわり、次からは、ビジネスマン時代の、おっさんのドジ話を書きますので、よろしくお願いします。