合氣道開祖 植芝 盛平翁



合氣道開祖 植芝盛平翁先生
合氣道は植芝盛平翁(1883〜1969)に依って創始されたものであります。 翁は、和歌山県田辺市に生れ、若い頃から日本古来の剣術、柔術、槍術、杖術等の各種の武道を修業し、その奥義を究め、更に進んで精神的にも、哲学、宗教等の門をくぐり、種々難業苦業を重ねた結果、1922年(大正11)に独自の武術を『合気道』と名付け、国内はもとより世界中にその名を広めました。

86年の生涯において、たゆまぬ求道鍛錬の結果得たものは、「天地人和合の道」。体を鍛え、技を磨くことによって気と心を鍛え、平和と愛の力、すなわち真の和を求めようとする合気の精神でありました。翁はつねづね「合気とは敵と戦い敵をやぶる術ではない。世界を和合させ、人類を一家たらしめる道である」といい、そもそも合気道は、相手と相和して切磋琢磨をはかり自己の人格完成を目指す武道だと述べています。


明治16年(1883) 和歌山県西牟婁郡西ノ谷村(現田辺市)に生まる。
明治41年(1908) 後藤派柳生流柔術の免許を受ける。
明治45年(1912) 北海道開拓民(政府募集)の団長として55戸の同志を引きつれて移住。開拓に着手。ここで、大東流柔術の武田惣角氏に会い教えをうける。
大正 8年(1919) 父危篤のため帰郷。途中京都綾部町(現在は市)に立ち寄り、大本教の出口王仁三郎師に会い心を開かれる。父の逝去後綾部に移住し、修行道場植芝塾を開設す。
大正11年(1922) 武道の新境地を開く。本格的に「合気道」と呼称す。
昭和 2年(1927) 一家あげて上京。海軍大学校はじめ各所にて指導教授す。
昭和 6年(1931) 現在の東京都新宿区若松町に合気道専門道場を建設。
昭和15年(1940) 公益法人として財団の許可を得る。
昭和16年(1941) 茨城県岩間町に野外道場を設置。心技さらに一段と飛躍。合気道普及の礎となる指導者の育成に努める。
昭和30年(1955) この年前後より国内はもとより海外においても普及発展す。
昭和35年(1960) 合気道創始の功績を以て紫綬褒章を贈らる。
昭和39年(1964) 勲四等旭日小綬賞を受賞。
昭和44年(1969) 昭和44年4月26日86歳で入神。 この日、正5位勲三等瑞宝章を生前の合気道創始の功績とその普及の功により贈らる。